「人生店じまい」を考えた

大学の講義に呼ばれた。毎年呼んでくれるのは有り難いが、呼んでくれたのが私と同年代の教官。同年代ということは、組織に属していればもうじき定年、あと数年である。今の立場だと、そろそろ店じまいだ。だから、組織の中でもやや浮いている。仕事に身が入らない。また、それなりに能力もおちる。能力といっても、専門分野については継続的に興味を持ち、心血を注いできた研究領域については頭の中はホットだ。しかし、それ以外のこと、組織人として気配りとか、配慮とが、周囲に対する想い、思いやり、おもんぱかり、とか、学生がどんな境遇に置かれているか、なにを求めているか、外部講師がなにを求めているか、とか、医局の秘書が、同じ目線で仕事をサポートしてくれているのか、とか、もそういうことには、気が向かない、目が向かない、興味がない、どうでもいい、となってしまうのは店じまい間近だから仕方が無いか。

指定の時刻に大学に出向いた。パワポのスライドは前々日に秘書におくって講義資料(レジュメという)を作成してもらってある。講義室はどこだっけ? 昨年と同じです、講義資料はこれですと秘書から渡された。普通、呼んでくれた教官は、そろそろ行きましょうと教室まで同行して、外部講師である私を紹介し、ほどほどの所で退席する、というのが一般的なお作法だ。しかし、そういう気配りサポートはない。毎年のことだから、毎年のようにやって、ということだ。こちらは毎年、といっても、「年一回」のこと、超久しぶり、複雑な大学建物でわかりにくい講義室の場所、マイクやスライドプロジェクターのスイッチなど、忘れてしまっている。しかも、大学の講義室はどこでもそうだが、演壇の周りは、前の講義のレジュメやゴミが散らかっていたり、乱雑きわまりない。電源コンセントは空きがなく、コンピューターのプラグをつなぐところがない。どれかを抜いたら、なにかが使えなくなると困るので、結局、電源をつながず乗り切るしかなかった。学生に教えてもらい、どうにか、講義開始。ふつう、スライドやマイクの使い方は、「ぱうちっこ」にいれた説明書などがおいてあるのだが、そんなものは見当たらない。とにかく、ゴミや不要な資料がぐちゃぐちゃとちらかっているだけだ。秘書から渡されたレジュメの束を最前列におくと、学生たちが取りに来る。ところが、レジュメが足りません、と学生からの指摘。秘書が学生人数を過小評価したのか、半分ぐらいの学生にはレジュメが行き渡らず、開始そうそうテンションが下がる。呼んでくれた教官の携帯はつながらない、医局の電話番号は分からない ・・・、ということで後で配ることにして講義を始めた。呼んでくれた教官が人生店じまいなのでぴしっとしていないのか、教官の立場が人生店じまいだからとおもんぱかって秘書がぴしっと仕事をしないのかは、わからないが、とにかく「外部講師を迎える際のお作法が全くできていない」ということである。

いいこともあった。今年は講義室一杯の学生、満員御礼だ!! 居眠りしている学生はひとりもいない!! 途中で出たり遅れてきたりする学生もひとりもいない!!! 聴講する学生のまなざしは真剣だ!!!! 質問も沢山あった!!!!! ここだけの話だけど、それには一つ仕掛けがある。講義を始める前にひとりの学生が近寄ってきて「出席カードを下さい。」という。40年前、私が学生のころ、講義の終わり頃に美人秘書さんが小さい出席カードを配りにきた。中には、にこっと目配せをしてくれる秘書さんもいて、それが楽しみで講義室に最後までいたことを瞬間的に思い出し「後で秘書さんが配ります。」とつい、口から出任せを言ってしまった。秘書は最後までこなかったが学生は最後まで満員御礼であった。

 

学生の学ぶ熱意と、大学側の準備・支度をする責任感が全く逆相関である。人生、黄昏、店じまいを感じてしまったら何事もうまくいかない。大学職員は常に臨戦態勢で臨み、学生のパッション、ハイテンションを見習ってほしいものだ。

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