春は名のみの風の寒さや

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

早春賦の季節です。私ども今年1月31日に「個別指導」というのがあって正月そうそうからその準備に追われました。厳寒の日々は、事務作業に没頭し、ほぼ、無事に当局の指導も終わり、気づいたら立春を過ぎ、暖かい春を待つ、浮き浮きした季節を迎えていました。個別指導で学んだこと、それは、常に客観性を保つことです。「客」とは他人、他人が「観て」も、大丈夫なこと 「主観」、「主(あるじ)=自分」だけの視点では正しいことから外れてしまう場合があるので、ときどき、客観 をあえて求めることが大切 ということですね。

「科学的」ということも「客観性」、「透明性」と通じることがあります。「透明」ということは、360度、どこから観ても、よく見える、裏がない、影がない、暗闇がない、ということです。夜は暗く、昼間は明るい。当たり前のことですが、明るく、客観的で、透明であること、誰の目からみても正しい事 それが求められる毎日である、ということです

夜明け前の暗闇は朝の光を待ち望む時間です。立春、春分と春の足音が近づき、国立がんセンター同総会、西村正治先生定年祝いと、春は、出会いと別れのセレモニーもあります。3月の終わりには、人の移動、桜花の咲き誇るエネルギーと華やかさを感じ、そして、このあたりでは5月3-5日の「浜松祭」の準備が始まります。かとうかんじさん、久しぶりで浜松に遊びにきませんか? りすとらまだか、あ●と●ま●か そんな季節になりました。

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