「臨床試験の基礎は中学教育にあり」の巻


臨床試験が思うように進まないことがしばしば指摘されます。日本人には臨床試験は向かない、という、まるでとんちんかんな論調を展開していた大御所もかつてはいました。しかし、さすがにいま、そんなことをいう人はいません。医師の資質の問題、医師の数の問題、医師の仕事量の問題、CRCがいないという問題、データセンターがないという問題、研究費がないという問題、同意がとれないという問題、薬剤が使えないという問題、など、臨床試験が進まない理由としていろいろな問題があげられ、それなりに解決策は講じられています。たとえば、データセンターもここ5年ー10年ぐらいでいくつか立派なのができました。CRCも増えてきました。しかし、いっこうに手つかずの問題もあります。医師の中には、臨床試験の方法論や、臨床試験で得られるエビデンスの意義について、こいつは低脳かと思えるぐらいわかっていない医師が多く、また、医療はすべて完成されたものであると信じ、自分だけは最良、最高、最善の治療をうけたいと主張するわからずやの患者も多いです。「いくつかの最良、最高、最善である可能性のある治療のなかから、どれが、それなのかを、明らかにするために臨床試験に参加して欲しい」旨の説明に対し、「ここの病院は一流であると思ってきたのに、最良、最高、最善である治療がわからない、などというふざけた話があるのか!」と、怒りをあらわに立ち去っていく患者サマもいます。臨床試験参加を拒否するのは、患者サマの権利ですから、それを侵害してはいけません。しかし、いろいろな状況で思いをめぐらしてみると、低脳かと思えるぐらいわかっていない医師や、わからずやの患者らの主張が形成された背景には、初等教育におけるサイエンス教育に問題があるのではないかと思います。
 
人類の技(art)は、完成されたものではなく、つねに、進歩しているものである、という意味で、state of the artという言葉が使われ、よく言う「標準治療」の英訳としては、standard treatmentというようりは、state of the art treatmentと言う方がふさわしい気がします。初等教育でも、このような科学の意味や、科学的研究の方法、そして人類が解明しえたものは、自然現象のほんの一部にすぎないこと、薬の効果とかを含めた医療についても、まだまだ未完成であり、神のみぞ知る真実を解明するためには、科学的な探求方法があることを教えなければいけないと思います。中学校教師の質の低下、熱意の低下がしばしば問題視されていますが、サイエンスの意味を正しく教育できる中学校教師は、腫瘍内科医の数よりもっと少ないであろうと思います。いっか~ん!(ひかえめに)
 
今日、外来に来た中学校教師、治療を計画的に進めなければいけない状況なのに、土曜日は、クラブの遠征などがあり来れない時も多い、平日は会議などがあって抜けられない、それ以外も突然生徒指導などがある、学校は休むことができない ・・・・・・、まるで計画がたたないのが中学校教師の特徴であるかのような主張。都合の良い時間に来てもらえるように最善の努力は払いたいと思いますが、いつこれるかわからない、予約をしても突然キャンセルすることもある、と、こんな状況では、計画的な治療はできません。また、こんな無計画な人間に、人を教える資格などがあるのか、とほほのほ。熱血教師像はもてはやされていますが、計画的に物事をすすめ、場合によっては自分の都合を優先することのできるprospectiveな中学校教師が求められている時代であると思います。

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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