「がん常識の嘘」
第6章 抗がん剤は世代交代が起きている より
・・・・当時は乳がん、卵巣がん、肺がん、大腸がん、などの、固形がんの治療は、まだ手術で切るしかない時代でした。固形がんに対して抗がん剤の効果がある、と初めて報告されたのは1969年のことでした。全身に広がった乳がんに対してCMFVPを行ったところ70%の患者でがんが消えたというデータがアメリカ癌学会で報告されたのでした。ちなみにCMFVPとはCyclophosphamide(シクロフォスファミド、商品名「エンドキサン」)、Methotrexate(メソトレキセート、商品名「メソトレキサート」)、Fluorouracil(フルオロウラシル、商品名「5エフ・ユー」)、Vincristine(ビンクリスチン、商品名「オンコビン」)、Predonisone(プレドニゾン、商品名「プレドニン」)の5種類の薬剤の組み合わせ。現在のCMFの基本となった併用方法です。これはもう、がん治療の学会では天変地異に等しい衝撃がありました。しかし一度消えたがんも、やがて再発するということが明らかになり、二の矢、三の矢をしかけるように、二次治療、三次治療と、治療を繰り返すことや、もっともっと効果の高い薬剤の開発に、全世界の製薬会社が血道をあげたのでした。そして1970年台に登場したのがアドリアマイシン、1980年台にはシスプラチン、そして90年代にはタキソール、タキソテールが登場し、2000年頃までには、悪性リンパ腫、乳がん、胃がん、肺がん、食道がん、頭頚部がん、大腸がん、卵巣がん、子宮がん、などの、頻度の高い固形がんに対する細胞毒性抗がん剤治療が出そろったわけです。しかし、これらは、毒でもってがんを制することを基本的なメカニズムとして効果を発揮する薬です。副作用も強い、効果はかならずしも長続きしない、ということから、なんとかがん細胞だけを狙い撃ちするような薬ができないだろうか、その発想から考え出されたのが、分子標的薬剤です。一時期、ミサイル療法という呼び方をされたこともありました。がん細胞の特定の部分を標的にミサイルを撃ち込む、現在の分子標的薬剤の発想です。ミサイル療法という呼び方が今ひとつ定着しなかった理由は、ミサイルはいいが、なにを標的に撃つの?、テポドンじゃないんだから目標をはっきりさせてよ、という問いかけに答えることができなかったからです。それに比べるとハーセプチンは最初にHER2タンパクという、細胞増殖に深く関与する標的があきらかになり、あとから、ミサイルであるハーセプチンが作られたという経緯があるため、薬剤として成功したと考えられます。リツキサンもそうです。B細胞リンパ腫の表面にあるCD20という表面マーカーを、まず標的と定め、それに対する抗体として作成されてのが、リツキサンです。
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