タウンミーティングでのやらせ質問が問題となっていますが「えっ、なんで? そんなの、前からじゃん」という、逆に、何で今さら問題にするの、という感じです。というのは私も元は公務員、その時代から、今もすこし続いていますが、いろいろな委員会の委員をやってきました。行政が企画する会議、委員会など、これ、ほとんど、やらせといえばやらせが含まれます。委員長にしても、委員にしても、事務局が用意したせりふを読まされるような部分が必ずありますし、事務局案にだまってうなづくというような局面があります。ただ、難しいのは、どこまでが、事前準備のアジェンダ(予定議事)に含まれ、どこからが、やってはいけないやらせなのか、この区分です。しかし、細かい区分を定義するよりも、会議の存在そのものが、ただ、「会議を開きましたよ」というアリバイであったり、「わいわいうるさいことを言っているやつらがいるから、一度、委員会をやって、討議して、いくつか主立った事だけを決定しておけば、やりましたよ、ということで、責任ははたせるだろう」というガス抜きだったり、手続きは踏みましたよ、という形だけだったりと、本質を見失った対応を皆が求めるようになったような気がします。事の本質はなにか? ということを考えないといけないと思うのですが、なかなか、そのような意識を持った人に巡り会えなくなったような気がします。外形基準だけで判断することが習慣となって、中身、本質を見抜くようにしないと、夕張の「剥製動物園」みたいに、バカまるだしの判断をしてしまうでしょう。我々の(多額の)税金がはこものがんセンターなどに無駄遣いされている現状など、納税者としては、行政の「やらせ・はこもの・アリバイ体質」をきちんと監視しなくてはなりません。