治療薬や診断方法、診断機械などが、ほんとうに患者にとって役に立つかどうかを決めるには、患者に被験者として協力してもらい、臨床試験をきちっとやらないとわかりません。ときどき、マスコミに紹介されるがんの血管内治療、あれは、臨床試験をきちっとやっていないので、ほんとうに役に立つものか、わからないし、多分、だめだと思います。だめなのに、あたかもすばらしい治療方法であるかのように、宣伝されているものがあまりに多いのは、日本国民の「中学校、高等学校での科学教育」の不備が原因だと私は思っています。今日の新聞に、「コラーゲン、たくさんたべて、お肌プルプルは幻想」という記事が載っていました。前から、そんなもの、効くはずはない、と思っていましたが、お肌つるつる、という宣伝文句に多くの日本人女性はだまされていたのでした。しかし、そのとなりに、「元気の源、発酵コエンザイムQ10」とか「歩いたり、すわったりグルコサミン+コンドロイチン」というコマーシャルが堂々と出ています。いったい、何を考えいるんだ、朝日新聞、科学部は!! 斬り~!!(ふるーい)。新しい薬、新しい診断機械、診断試薬などが、本当に役に立つのか、どの程度、安全なのか、と言うことを、きちっと調べるためには、ネズミやウサギ、サルやキジを使った動物実験で、いくら、よいよい、と言ったって、話にならないのです。いつのことだか、思い出してごらん、シークワーサーが胃癌に効く、なんていうネズミ試験の新聞記事が那覇空港の売店のあちこちに貼られ、売り子のおばさんが、胃癌に効くよ、言っていた。あれ、どうなったの? ネズミ試験の結果は新聞では報道しない、ということにしたらどう?
臨床試験のなかで、新しく開発された治療薬や診断機械での「性能を調べる」、そして、結果をもとに、厚生労働省に、製造あるいは、輸入承認を得るための、データ収集の試験を、とくに「治験」と呼びます。癌治療薬は、ほかの薬剤とちがっていて、安全性を調べる段階の第1相試験を、がん患者に被験者としての協力を求めて行います。たとえば睡眠薬、では、安全性を調べる段階の試験(第1相試験)、有効性を調べる段階の試験(第2相試験)でも、一般の健康人に協力してもらい、被験者となって性能評価をすることができますが、癌治療薬は、そういうわけには行かないのです。第1相試験では、史上始めて、あるいは地球上で始めて「ヒト」に、その薬が投与される、という場合もあります。いったい、どんな種類の副作用が出るものなのか?、どれぐらいの投与量で副作用がでるものなのか?? 体内に入った薬は、何時間ぐらいたったら、血液中からなくなるのか??? どれぐらいの投与量ならば、まずまず、安全に投与できるか???? 体内で分解され、排泄されるのは、肝臓から、腎臓から????など、様々な疑問について、検討するのです。それまで、動物で、ある程度、あたりをつけてはありますが、所詮、ネズミ、サル、などの動物での出来事ですので、ヒトとは違います。第1相試験では、せっかく、ヒトに投与するのだから、ついでに有効性も見ておこう、という程度であって、有効性を検討する段階は、次の第2相、ということになります。しかし、第1相試験で、ある程度安全、ということが証明されないと、第2相には進みません。
では、第1相試験に被験者となって協力する患者にとってのメリットはいったい何なのでしょうか? 他に有効と思われる治療方法がないというがん患者に被験者としての協力を依頼するのですが、第1相試験に協力しても、どんな副作用がでるかすらわかっていない、ましてや、がんが小さくなる、痛みなどの症状がとれる、寿命が延びるといった治療効果も、あるのかないのか、わかっていないわけです。第1相試験に参加した被験者では、20人に一人程度は、がんが小さくなるというメリットがあるから、それに望みをかけて、試験に参加してもらうよう、説明する、という意見も聞いたことがあります。次世代のがん患者への贈り物として、自らはボランティアとなって、新しい薬剤の開発に協力してほしいと、そういう話もありますが、果たして、自らががんで苦しんでいる患者にとって、このような発想が自然にわいてくるでしょうか。第1相試験を、第三者的に見ていると、こういうような理屈しか見えてきません。しかし、実際は、かなり違うのです。
昨日、癌治療薬の第1相試験の症例検討会があり、私も「企業側の医学専門家」として参加しました。症例検討会とは、治験に参加し、規定の治療を受けた被験者で、いつ、どのような副作用がでたのか、とか、レントゲン写真やCTで、なにか、異常がみられたか、とか、わずかな検査値異常、軽い症状でも、それを主治医はどう考えているのか、薬剤との因果関係はあると思うのか、ないと考えているのか、効果は少しでもあったのか、治験が終わったあとの患者はどうなっているのか、など、一被験者あたり、30分ぐらいかけて、討議するもので、極めて真剣、真摯で、薬剤の評価ということだけにとどまらず、被験者の病状について、まさに徹底的に討論するものです。この治験は2病院の共同参加で行われているのですが、当然、それぞれの病院では、毎週、場合によっては毎日のように、治験に参加した被験者の経過について、徹底的に討論しているわけですが、治験の症例検討会では、さらに、つっこんだ討論が展開されます。症例検討会では、主治医は、被験者の臨床経過の細部、たとえば、熱が出たときの状況や、そのとき院内のカンファレンスでは、どのような討論がなされたか、など、実によく覚えています。いや~、実に関心しました。治験に参加することにより、多くの専門家が、力を合わせて、これほどまでに細部に亘ってよく気配り、目配りしてもらえる、というのは、被験者となる大きな、いや、最大のメリットではないかと思います。治験に参加して、症例検討会を経験していくうちに、担当医師のプレゼンテーション技術も磨かれますし、治験をきちんとこなすためには「臨床力」も鍛錬されます。また、なによりも、患者に治験参加を依頼し、参加後の被験者に経過を逐一説明するための説明力が身に付きます。この説明力は、治験に参加した被験者に対してだけではなく、それ以外の患者に対しても自然と活用されるので、総合的な癌診療力が大幅に向上するものです。臨床試験や治験のことを全くわかっていない中途半端な患者団体などは、モルモットにされる、標準的治療があるのにわけのわからない新薬を検討する意味はない、薬剤は100%安全でなければだめだ、など、とんちんかんな議論を展開し、臨床試験を妨害することもありました。(トラウマです)。治験の症例検討会での臨床研究者の真剣な態度を見れば、きっと、○デア○○○も目から鱗がおちるでしょう。