だから何なの?


乳癌学会では座長、ランチョンセミナー、シンポジスト、パネリスト、不毛なディベートと今年も出番が多かった。でも、昨年ほどではなく、一日目の午後や二日目の午後はいろいろな演題を聞くことができた。術前化学療法では、こんな場合にはpCR率がたかい、pCRの判定基準は統一すべきだ。。という話が多く、そんなの、5年前からわかっているじゃん、だから何なのさ、というような話ばかり。発表者には次のステップはこういう検討が必要だ、次にはプロスペクティヴな試験をやりたい、というような真剣な展望を聞きたい。発表者は若い人たちが多い。おそらく、教室の上の先生から、しろといわれて発表したのだろうか、みんな、発表し終わって質問もあまりでないと、ほっとしたように、または、会場にいる友達と笑顔をかわし、終わってよかった、と部屋を出ていく。決して、ほかの人の発表を聞いて勉強しよう、という姿勢は感じられない。彼らにとっては、つつがなく発表を終えることがエンドポイントであり、もっと勉強していこうなど、それ以上の要求はないように見える。だから、あまり辛辣な質問は、可哀そうだから、まあ、やめとこ、ということになる。一昨年だったか、座長をしていたシンポジウムで、若い先生の発表があまりにもいい加減だったので、コメントをつけたら、それがどうもトラウマになったらしく、そのあと、いろいろな人に、いろいろと言われた。若くない人が発表した時は、ここぞとばかり、質問するが、それは、会場にいる若い人たちが、ああいう点が問題なんだな、とわかってもらいたいからだ。発表者は昔からの知人だし、しょっちゅうメールでやり取りしている仲なので、これはおかしいんじゃないか、とか、これでは結論、でないのではないか、など、思ったように指摘しても、そのあと、フロアで発表者が近寄ってきて、いろいろな意見交換ができるのだ。トリプルネガティブのシンポジウムも、だからなんなのさ、そんなん、当たり前じゃんというような、海外の焼き直しだったり、その話は前も聞いたから早く論文にしてよ、というようなものもあり、いま一つの盛り上がりだった。
二日目のモーニングセミナーでは座長を務めた。演者のルカジアーニの話は、良い話だか、場違い話だか、聞く人によって意見がわかれるようだ。ただ、会場の反応は、例によって、「がん診療きょとん病院」だった。質問も出ないし、ちょっと詳しそうな人が会場にいたら、○●先生、コメントありますか、と場つなぎで質問しようと捜したが、そういう人もいなかった。それで、感じたままを語って見たところ、これが受けた。「先生のあの話、おもしろかったですね~。」と。また、通訳もすばらしいかったらしく、ルカジアーニも、後で、あのリマークはエクセレント、と言っていた。
私が、1980年代に乳がん診療を始めたころは、治療の選択肢も少なく、また、予後因子、予測因子もはっきりしていなかったので、すべての患者で「アドリアマイシン+エンドキサン+タモキシフェン」で事足りた。ER陰性でもタモキシフェンが効く、という主張もあった。すなわち、One size fits allの時代。だから、何も専門家でなくてもできた。しかし、今は、次から次へ、ニブ、マブどころか、聞いたこともないような治療薬が雨後の筍状態である。この状況を、昔は乳癌薬物療法は「ふくわらい」だったが、今はジグソーパズル。今のところ100ピースとかのおこちゃまバージョンだが、そのうち2000ピース、10000ピースになっていく。だから、その状況にまけないで、これからもがんばって、ジグソーパズルにチャレンジしていく必要がある」。ふくわらい、にはちょっと皮肉が含まれているんだけど、それは、「目隠ししても、楽しくできる」ということから「勉強しない外科医でもできる治療」ということだよ、わかった? それにしても通訳の北川さんは、ふくわらいをなんて訳したんだろう? 今度あったら聞いてみよう。 
 

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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