腐っても腐らなくてもがんセンター


週刊誌で国立がんセンターが叩かれていると友人から聞いたので駅で購入して読んでみた。麻酔科医師が今年の4月にまとまって退職したので外科手術ができなくなった、そのため外科医師も退職し国立がんセンター中央病院が崩壊している、そこで責任は院長にありと、職員大会を開いて院長の責任を糾弾したという話。私が1987年に国立がんセンターの職員になったころにも、ある抗がん剤の座薬開発にからんだ汚職事件(注:お食事券ではない)があり、このままでは国立がんセンターは崩壊するというような危機感があった。しかし、そんなことはなく、治験を科学(サイエンス)にしよう、という機運が生まれ、治験参加は本来業務であるという対応につながり、その後の治験ビジネス隆盛にまでオーバーシュートしてしまった。一方で、腫瘍内科の萌芽にもつながった。今回も土屋院長をつるしあげるのではなく、国立がんセンター改革につなげればよいのではないか。前々から、国立がん外科病院と言われてきた。しかし、がん治療の主体は21世紀の声を聞くころに外科手術から内科的薬物療法に大きくシフトした。1999年に完成した国立がんセンター中央病院の外来化学療法を行う通院治療センターも、私が退職した2003年ごろには、手狭になり、点滴待ち時間が長くなった。一方、手術室はサッカー場ぐらいある広大なもので、手術室と通院治療センターを取り換えよう、という意見を言ったら、本気でそんなばかなことを言ってるのか、と大腸外科のMRY先生に叱責された。しかし、胃癌、乳癌、大腸癌などのコモンキャンサーの手術はすでに全国の病院に専門家が育成され、どこでも均質化された手術が受けられるようになっている。何も、国立がんセンターでなくてもよいのだ。麻酔科医師の不足は全国的な問題のようだ。麻酔科医師は、独立して会社を設立し派遣の仕組みで自分たちの権益を守っているようだ。それも、ひとつの見識だろうが、中~長期的な視点に立てば、癌の外科手術自体が減ってくるので、麻酔件数も減少の一途をたどるはずだ。国立がんセンターも院長を糾弾するのではなく、これを機会に、構造改革をはかり、外科病院から内科的薬物療法中心の病院に転換する絶好のチャンスではないだろうか。あるいは、国立がんセンターは完全に行政機関に徹する、あるいは100%研究施設に徹するべきで、日本で最高の医療を提供するという目標は捨てるべきだ、という議論も昔から根強い。確かに、、研究費の配分もします、政策医療も考案します、最先端の研究も推進し実践します、最高の医療も提供します、若手の育成もしますと、いう八方美人的、総花的な姿勢には、無理があるように思う。それならば、この際、病院機能は、民間に移管して、行政機関に徹するのもよかろう。国立だから給料が安い、だからいい医師が集まらない、という話も頓珍漢である。癌医療を生涯にわたり責任をもって生き抜くためには、目先の待遇の良し悪しは、本当はあまり重要ではない。大切なことは、ただしい「思い」をもつことである。いかに、正しい思いを保ち続けることができるか、それが一番大切なのである。それには、研修医時代に正しい考え方を身につける必要がある。大学の若手医師でも、当直、アルバイトで稼ぎまくって、カンファレンスや勉強会にもほとんど参加しない医師が多い。確かに大学の給料は十分ではなかろう。しかし、ベンツEクラスを乗り回すほどのゆとりがあるのなら、バイトは半分ぐらいにして生涯、正しい思いを保てるように40代からの研鑽が大切である。話はすこしずれたが、腐ってもがんセンターである。国立がんセンターは崩壊することはない。構造改革を進めてほしいのだ。一方、同じころに静岡県にあるがんセンターで用事があって見学する機会があった。ローズガーデン、イングリッシュガーデン、など、一言でいえば、地上の楽園である。錦鯉が泳ぐ壮大な噴水池に続くつづらおりの遊歩道には、ヤマモモやサクラ、クスノキなどの樹木が整然と植えられている。遊歩道にはほとんど歩いていいる人はいない。車いすを押して歩くのには勾配がきつそうだ。図書館には内外の雑誌、図書が整然と整備され、オンラインコンピューターがずらりとならぶ。書籍や雑誌は、全くの新品で、開くとパリパリと音がする。午後の時間帯だったせいか、室内には、利用者は一人もおらず、静寂だけがインクと紙のにおいを湛えていた。研究室は未使用で空室が並ぶ。産学共同とか、看護部で研究に使う、という名目はあるもののその実現性は乏しい。そのような研究が開始され、スペースが必要になったらプレハブでもなんでもいいから部屋をつくればいいのではないか。研究室はガラガラなのに、管理棟の新築工事が進んでいた。管理棟を建てる前に、ガラガラの研究室を使うべきではないだろうか。これもわれわれ静岡県民の税金で賄われていると思うと、高額納税者としては考えさられてしまう。腐ってなくてもがんセンターなら、他人の金で理想の箱ものを作っても許されるのだろうか。一番大切なことは、県民のために安心、安全のがん医療を提供することだと思うのだが、どうもめざしている方向が違うように思う。
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投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

“腐っても腐らなくてもがんセンター” への 3 件のフィードバック

  1. 確かに患者さんのための医療と思います。最近「治療」というより
    責任回避、守りに重点おいてるように思います。
    大学も病院も無駄なスペースばかりです。その無駄に暗黙の了解でお金使います。
     

  2. 僕も国立がんセンターのOBです。週刊誌の記事をにがにがしく感じ読んでいます。リークしているのは某部長先生でしょうか。本人は正義感づらして土屋先生を非難していますが、結局国立がんセンターの風評を地に落としている点に関しては同じだと思います。渡辺先生のおっしゃるように腐ってもがんセンター。この半世紀の歴史の重みと底力を信じて、よりよい方向に変革が進むことを期待します。

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