年が明けて受け取ったメールの中に「せっかく国立がんセンターレジデントをご紹介頂きましたが○●◎病院で研修することにしました。」というようなのがいくつかあった。講演や見学などの機会に会って、腫瘍内科の勉強をしたいと言ってきた若い医師には、国立がんセンターのレジデントがいいよ、と言って紹介し窓口として勝俣範之先生に連絡を取るようにと勧めている。どこのどの先生だか、すべて覚えているわけではないので、だれだっけ、これ? というのもあるが、受け取ったメールのなかで「国立がんセンターはアルバイト禁止なのですがあの給料では妻子を養えません。アルバイトができるGNKN病院にしました。」というのがあった。勉強のためだから、といっても背に腹は代えられないということだ。確かにその通りだと思う。一方、大学の勤務医のなかには二つも三つもアルバイトを掛け持ちしろくに研究もしないで高級外車をのりまわし家のローンや海外旅行と贅沢三昧。それでも、もっと給料を上げろとメールを送りつけてくる元気のよいお坊ちゃまもいる。ところで国立がんセンターでもアルバイト完全禁止というわけではなかった、昔はね。今は厳格なのかもしれないけど。それでも二つも三つもかけもちするようなやつはいなかった。恩師阿部薫先生はレジデントのオリエンテーションのときに「君たちは国立がんセンターに勉強をしに来たのだから青春の貴重な時間を切り売りするようなアルバイトの是非についてはよく考えなさい。禁止するとか許可するとか、そういった次元の話ではないのです。」とおっしゃった。その精神がわれわれの間にはなんとなく浸透していた。阿部先生といえば思い出す。阿部先生は横須賀のご自宅に帰るのは土日だけで、あとは部長室に泊っていた。毎晩11時頃になるとランニングシャツ姿でタオルを首にかけ研究所のシャワーを浴びに来る。「お前たちもいつまでもこんなところにいないで早く帰りなさい。」と言って回るので阿部先生回ってくるまではみんな帰れないでいた。毎週土曜日の5時半から日本テレビのプロレス中継があって阿部先生はそれを見てから横須賀にお帰りになる。そのため、週末もみんなで集まってジャイアント馬場の出るプロレスを見ていた。それが終わるまでは何となく帰れないというような雰囲気であったが、プロレスが終わると阿部先生は「さあ、帰るか、お前たちも土曜日の夜なのにほかにいくところはないのか?」と勝手なことを言って帰って行った。冷静に見れば理不尽だが、そんな雰囲気のなかでぼくらは育った。昨今のご時世、労働環境が厳しく待遇も悪いと報道されている勤務医や大学院生だが、医師不足の追い風のなかでアルバイト代も高騰し優雅な生活を送っている、というのが実態で、そんなパラサイト的ぶら下がり医師が、実は医療崩壊の本質なのかもしれない。