郷里の浜松で腫瘍内科診療所「浜松オンコロジーセンター」を開設したのが2003年の5月。仕事や子育てをしながら外来に通って抗癌剤治療をうける患者さん、セカンドオピニオンを求めて遠方からやってくる患者さん、ご自宅でがんの末期を過される患者さんといったがん診療や、がん検診、がん予防の相談と、近隣の方々の一般内科診療を行なっている。
セカンドオピニオンを聞きに来る患者さんの治療内容、地域で開催される症例検討会、カンファレンス、地方会、学会などで提示される、がん治療の実態を見るにつけ、今まで私が、国立がんセンターなどで学び、経験して得たものとは、あまりにかなりかけ離れたがん医療の実態にふれ、正解はどこにあるのか、ひょっとしたら、自分が間違っているのか、わからなくなってしまうこともある。大腸癌が肝臓や肺に転移しても、手術すれば治りますよ、と言って無茶な手術をしたり、乳癌の患者に抗がん剤は副作用が強いからやめときましょうと、やたら弱腰の外科医と、なかなか意見が合わす、これではまるで「四面楚歌」ならぬ「四面外科」だと思った。
我が診療所は、祖父、父、私と三代にわたり世襲されている。診療所でできることには、限界があるのも事実だし、診療所でなければできないこともある。祖父は診療所の運営以外に、聖隷病院の開設に尽力し、浜松市の中心部から三方原まで、大八車に結核患者を乗せて運んだという。父は、浜松市医師会中央病院や県西部浜松医療センターの設立など、浜松地区の医療体制を整備するような活動に関わってきた。私も、その血を受け継いでいるのか、専門とするがん医療を、日々の診療という目線と、もうひとつ、どうしたら、もっと良いがん診療ができるだろうかという目線で、NPO法人「がん情報局」を設立し、情報提供活動を行い、もっとよいがん医療体制をつくることができないかと、毎日、考えて続けている。
一昨年、92才の父を看取り、今年、5歳上の姉を看取った。父は口腔がん、姉は乳がんで、私の専門とするがんでこの世を去った。主治医として、また、家族として、かかわったのであるが、がん患者の苦しみ、家族の苦しみも味わった。同時に、もっとよいがん医療をつくれないものだろうか、という熱意はさらに強くなった。縁あって、朝日新聞に、コラムを連載することになった。腫瘍内科医のひとりごとを、皆さんに聞いてもらうことが出来るチャンスを活用して、ちょっと毒のあるひとりごとだけど聞いて頂きたい。そして、ご意見、提言、反論など、お寄せいただければ、受け止めていきたいと思う。
乳がん治療中の患者です。
朝日新聞から他紙に変えようと思っていたんですが、先生の連載が始まるなら、このまま朝日新聞で行きます!楽しみにしています。
松山赤十字病院「外科」に所属していますが、乳癌治療に携わってからは私的には「外科」と「腫瘍内科」「放射線科」「病理診断科」の要素を併せ持つ「乳腺科」を目指しています。今後とも御指導、御鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。