エッセイ「私と臨床試験」


CSPORなどの臨床試験を長年リードしてきた私は、試験登録が進まないことによる心労が度々重なり、こんなに痩せてしまいました。1987年、米国留学から帰国し、当時、国立がんセンター病院副院長であった阿部 薫先生(現・国立がん研究センター名誉総長)から、今ではJCOGと呼んでいる、多施設共同臨床試験の班研究をテコ入れするように言われました。そこで新しい比較試験を計画して班会議で議論したのですが、参加者の8割は無言、1割は寝ている、残りは、昼から別の会があるからとか言って退席、と言うような状況でした。議論がないわけではなかったのですが、うまくいきませんでした。NMR先生などは徹底的に反論、「その試験が意味のない理由」というスライドをわざわざ準備してきて文句をつけ、挙句に班会議から脱退していきました。会議の進め方がまずいせいなのかと、JCOGのそのほかの班会議を見学してみましたが、どこも同じようにお通夜のようでした。今は知りませんが、昔は、JCOGには、公的研究組織に参加しているという、親方日の丸的発想に支えられ、班研究への出席率は高かったのですが、臨床試験を躍動させようという意欲が感じられる参加者は、ほんの一握りでした。
NSASBC01試験も最初は、公的研究組織でした。資金源は、社会保険庁からの研究費、つまり、今思えば、消えた年金の一部です。年間、数億円の研究費を頂いたわけですし、阿部薫先生から「お前に任せるから」と、強烈なミッションを与えられ、出力全開のパッションで突っ走りました。現在、あちこちで使われているプロトコールのお手本となっている臨床試験計画書を策定し、腋窩リンパ節転移陰性症例の中から、ハイリスク症例を選別して対象とするという計画のもとに、NSAS悪性度基準を作るため病理部会を開催し、坂元吾偉先生、秋山太先生らのお力で今でも使われている、そして世界にも通用する基準が出来ただけでも、消えた年金は、充分に元をとったと思います。
NSASBC01試験は1996年10月14日から登録を開始、はじめは順調に登録が進捗していました。しかし、途中で不見識、非常識、反社会的かつ独断的、自己中心的患者団体「イデアフォー」と朝日新聞の一女性記者がつるんで、理不尽で執拗な妨害活動をしかけてきました。朝日新聞には、連日批判的記事が載り、それを読んだ浜松に住む母親が、「お前、何か、悪いことでもしたの?」と電話をかけてくるほどに、私はいじめられました。症例登録はがくっと減り、2年経過した時点から、大鵬薬品工業の委託研究となったため、親方日の丸的価値観を持つ研究者は、ごっそりと抜け、さらに進捗は鈍化したのでした。このあたりの経緯は、近々、日経BP社から出版される「NSAS物語」に詳しく書かれるものと思います。あの頃は、毎年、初詣に行っていた深川不動で、商売繁盛の大きな熊手を買ってきて、NSAS症例登録促進!と書いて、医局の壁に掲げたものでした。苦しい時は神頼みです。NSASBC01は、JCOの論文を載せることが出来ましたが、2年間の内服薬UFTと6か月の注射中心のCMFの比較で、期間も、治療内容も大きく異なるアーム同士の比較です。どちらの治療を選ぶか、という質問に、乳がん診療に専門的に携わっている医師でも、意見が分かれていました。つまり、臨床的平衡(Clinical Equipoise)が成り立っている状況であったと言えます。Clinical Equipoiseは、クリニカルイクイポイーズと覚えましょう。SSK先生と、SEK先生がいたとします。SSK先生は、「ぼ・ぼくは、CMFを使う」という意見、SEK先生は「わたしはスポンサーも大鵬ですしUFTを使用します。もし、スポンサーがロッシュ(当時)なら、フルツロンを使います。」という意見だったとします。どちらが正しい治療かは、神様のみが知っている、でも、専門家コミュニティーのなかで意見が五分五分ぐらいにわかれる、というのが、クリニカルイクイポイーズの状態というわけです。その状態で、SSK先生もSEK先生も、NSASBC01試験に参加してくれました。SSK先生が登録した症例がUFT群になったとしても、SSK先生は、「この二つ、どちらもあなたのような患者さんの治療に、使われています。しかし、どちらがより良い治療か、それとも同じ程度か、専門家にも分からないので、そこを、将来の患者さんのためにも、是非、この試験に参加してください。」と説明するでしょう。SEK先生だって、CMF群には、同じように説明するわけです。NSASBC01は、同意取得が難しいという問題は確かにありましたが、これにもかなりのパッションを注ぎました。佐藤恵子さん(現、京都大学○○○准教授)が、倫理的側面をとことん追求し、先駆的な取り組みをしてくれました。しっかりした説明をしたうえできちんとした同意を取るため、かわいいリス(後でわかったことですがこのリスは、宇宙人シマリスだそうです)のついた説明文書を作り、説明の場に同席し、患者のフォローアップもしてくれました。その研究は今でも続いています。患者さんの間には、あるいは我々医療者の間にも、潜在的に「飲み薬は副作用が軽いけど注射薬やきつい」という認識があります。NSASBC01では、そこのところをQOL評価として、下妻晃二郎先生(現立命館大学○○○教授)がしっかりと担当してくれた点は、たいへん大きな意義があったと思います。このように、一つのチームとして、臨床研究を引っ張っていくには、研究責任者(Primary Investigator)は、最初から最後まで、ハイテンションを維持しなれば、仲間をついてきません。PIの施設は、常にTop recruiterでなければいけないのです。うまくいかない臨床試験で共通しているのは、責任者にやる気がない、責任者が試験以外の活動(講演活動、他の収入のいい治験参加、他の国際的に名声が得られるような試験参加など)に血道をあげている、などの問題が見え隠れしていることです。
NSASBC02は、01での経験や、Daniel Hayes、Craig Hendersonら、海外の研究者の意見を参考にして、アンソラサイクリンあり vs. なし、パクリタキセル vs. ドセタキセルの比較という2 x 2 factorial designを採用し、当時としては誰も考えなかった、アンソラサイクリンなしのアームを設定する、という斬新なデザインを考案しました。「アンソラサイクリンを入れないというのは前例もないから倫理的にどうだろうか、海外で同様の試験があれば倫理的問題はクリアできると思うけど」というようなコンサバな意見も多数ありました。しかし、意義のある試験であることが多くの研究者に理解され、患者さんからも支援されたことなどから1000症例を超える数の症例登録が割とスムーズに進みました。先の中間解析の結果は、ポスターディスカッションで発表することができ、Best of ASCO2009に採用されました。ポスター会場では、ウクライナの研究者からも、ウクライナのコミュニティーホスピタルでも治療方法が変わるかもしれない、とおほめの言葉を頂きました。NSASBC02は今年には最終解析を迎えようとしています。皆様の御支援、ご指導、ご協力に、あらためて感謝申し上げる次第です。

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投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

“エッセイ「私と臨床試験」” への 1 件のフィードバック

  1. 渡辺先生にいただいたアドバイスの背景がよく分かり大変勉強になりました ありがとうございました!

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