私は3年前に父を口腔がんで、2年前に姉を乳がんで、また、21年前の義母を大腸がんで亡くしました。それぞれの家族のがん治療に主治医として関わった長い歳月の間、治療や処置の選択に迷うことも多くありました。しかし、自分ひとりで悩まず、同僚や先輩、後輩の意見を聞き、最善と考えられる判断を下すように努めました。また、家族と相談することもありましたし、相談しなくても自然に良い判断ができたこともありました。
義母の大腸がんは、小細胞がんという珍しいタイプで、抗がん剤もほとんど効かず、発症から半年足らずで、国立がんセンター病院で亡くなりました。悲しみの中で妻に病理解剖が必要なことを話したところ、あなたが必要だというのなら構わない、と同意してくれました。内科医であった父は、亡くなる3か月前まで診療所にも毎日顔を出し、昔馴染みの患者さんと雑談を交わしていましたし、医師会の勉強会にも毎週欠かさずに参加していました。最後の数日は、トイレから立ち上がることもできず、私が抱えてベッドに移したこともありました。その時、脈がとても弱くなっていたので、脈、微弱だな、と思わずつぶやいたところ、そうか、微弱か、と父もつぶやきました。それが父の発した最後の言葉になりました。姉は乳がん手術後1年半で再発し、その後10年近く、私の専門とする薬物療法を続けました。姉は弟である私に、すべて任せるから一番いいと思うことをやってほしいと言っていました。ある時、抗がん剤に対するアレルギー反応のため呼吸が止まりかけ、6時間近く人工呼吸を続け、ようやく呼吸が戻り、救急車に同乗し浜松医療センターに搬送しました。1か月後に退院、その後、姉は約1年の人生を送ることができたのでした。
義母、父、そして姉の闘病生活を主治医として見守り、出来ることはやった、出来ないことはしかたない、他にできることは見当たらないし、結果はすべてよかったのだと思っています。家族の死は、医師としての私の人生に貴重な教訓を与えてくれました。