20年ふたむかし


1992年に私たちは国立がんセンターでそれまで内分泌と呼んでいた乳がんの内科診療を主たる仕事とするグループを、乳腺内科と呼ぶことにした。それは誰に許可を得るものでもなく勝手にそう決めてそう名のった。がん治療学会でも、乳腺内科渡辺亨ですとあえて所属を強調した。変な診療科だね、内科でいったい乳腺の何をやるの? とか、母乳マッサージとかやるのか? などと、大腸外科のMRY先生にさんざんコケおろされた。しかし、しかしだ、そこには腫瘍内科という存在をアッピールするための全体計画があったのだ。つまり陣容が充実するに伴い婦人科癌を守備範囲にいれ泌尿器科癌、頭頸部癌、泌尿器科癌、原発不明癌など、腫瘍内科分野からの参画に乏しい領域を少しづつ勉強していき名実ともに守備範囲を広げていったのだ。当時、へんだな、と思ったことの一つに、臨床腫瘍研究会などで胚細胞腫の発表に、「私は素人なので教えてください。」と前置きするOE君の姿だ。何が、素人なんだ? お前は肺がんしか勉強しないから、そんなへんな前置きをするんじゃあないのか? と感じたので、私たちは腫瘍内科と胸を張って言えるように勉強していこう、と決めたのだ。その歩みの途中で乳腺内科という変な看板は徐々にフェードアウトさせていった。そのような周到な計画のもとに行った活動である。婦人科癌では勝俣君がよく頑張ってくれたし、そのほか、先生のお弟子さんですか? と聞かれてうれしくなるような若手がたくさんそだった。ところで、今年、2012年4月から、とある癌専門病院に乳腺内科という看板があがったらしい。三丁目の夕日の感覚だなあ。化学療法科という、血も涙もないドラッグハンター的呼称よりはましだけどね。Breast Medical Oncologyを大学に定着させると張り切っている元若手外科医もいるが、それはそれで、いいかも知れないが、時代は、ボーダレスの方向に向いているのも確かで、やはり、一領域に固執した取り組みでは、片手落ちになる。数年前のビジネスのキーワードは、「選択と集中」であったが、リーマンショックや、タイの洪水などをみても、一領域、一地域に限局し、選択し、集中することが、どんなに危険か、ということを学んだ。むしろ、軸足をしっかり決めるけれど、守備範囲はある程度ゆるく、ひろく確保する、という視点が必要であり、それには、中腰、ため腰のスタンスが重要なのである。

広告

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中