ガイドラインからの旅立ち


乳がん看護学会のニュースレターに以下の文章を投稿したところ、岩田広治先生の目にとまって、あれ、いい文章だね、と言われましたので、夏枯れの昨今、転載いたしましょう。
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来年の乳癌学会総会は、6月27日~29日の三日間、浜松市で開催します。看護のセッションは第三会場で三日間、開催します。多数の皆さんのご参加をお待ちしています。さて、最近、世の中がなんとなく住みにくくなっていると思いませんか。細かな規約とか、ガイドラインとか、手順書とか、私たちの仕事を束縛するようなルールがあまりに多すぎて息が詰まるように感じます。こういう私も乳癌診療ガイドラインや、取扱い規約を作る立場にあります。では、自分でガイドラインを作りながら、なぜ、そんなことを言うのでしょうか? その答えは、ガイドラインは、階段の手すりのようなもの、ということです。足元がおぼつかない場合には、手すりにつかまればいいですが、自分の足でどんどんと歩ける人は、利用する必要はないのと同じです。先日の乳癌学会でこんな発表がありました。「ドセタキセルとシクロフォスファミドを併用したTC療法は、中程度の催吐作用(吐き気をもよおさせる作用)があり、制吐剤のガイドラインには、グラニセトロン+デカドロンを併用することが推奨されているので、併用したら急性期悪心・嘔吐は100%おさえることができました。」というものです。私が「100%抑えることができるのなら、グラニセトロンは使用しなくてもいい、ということは言えませんか? ドセタキセルでは、むくみ予防のためデカドロンは併用するわけですし、グラニセトロンによる便秘も懸念されることから、グラニセトロンの必要性について、お考えを聞かせてください。」と質問すると演者は、きょとんとした顔で「ガイドラインで推奨されているのに、使わなくてもいいんでしょうか?」とお答えになりました。そういう姿勢がどうも息の詰まる原因で、もっと自分の頭を使って工夫しようよ、と思ってしまうわけです。いくら優れたガイドラインでも、完璧というものはありません。毎日の診療や看護の経験を通じて蓄積される智恵に基づいて、ガイドラインから少しづつ手を離して独り立ちする、つまり、必要のないことは割愛していく、という自発的な工夫も必要だと思います。自発的な工夫をする際も、工夫の結果を広く普及できるようにすることが大切です。自分だけで、グラニセトロンは割愛できるんだよね、とオレ流を自慢するのではなく、「TCにはグラニセトロンは不要」という仮説を検証することが重要なのです。仮説を検証する、という表現が出てくるとたちどころに、引いてしまう人がいるでしょう。でも難しく考える必要はありません。「TCの患者は、確かにグラニセトロンを使って吐き気はないけど、便秘で苦しむ患者が結構いる。だったら、グラニセトロンなしで治療した場合、吐き気はどれぐらいの頻度、程度なのだろうか?」という臨床の現場にいるものだけが、疑問に感じることのできる問題をしっかりと確かめていくのです。グラニセトロンを使用しないでも全く吐き気のなかった一例を経験したことが、上記の疑問を持つきっかけになることはあります。注意すべきは、しかし、もし、その患者が、たまたま、めっぽう酒がつよく、しかも、妊娠した時のつわりが全くなかった人であったら、アドリアマイシンでも、シスプラチンでも、吐き気は出ないかもしれません。このような「たまたま」を偶然と呼びます。偶然の反対は「必然」です。また、デカドロンが入っているから大丈夫ですよ、と言われると、ああ、吐き気は大丈夫なんだ、と思ってしまう「プラセボ効果」ということもあり得ましょう。偶然、バイアス、思い込み、プラセボ効果などが、入り込まないようにするための最も確実な研究方法は、ランダム化比較試験です。看護の課題をランダム化比較試験で検証したい、そのためのプロトコールの書き方を学びたい、という方、来年、浜松の学会でお教えしますね。

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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