阿部 薫先生を偲ぶ


11月14日、阿部薫先生が亡くなりました。私は、駆け出し医師の時代から今日までの30年間、阿部先生の厳しい指導を受けて参りました、来年の乳癌学会には、先生に是非浜松に来て頂くよう、準備を進めていたところでしたが、それもかなわず、道半ばにお別れしなくてはならないことになってしまい残念でなりません。厳しい指導者としての阿部先生の一面に光をあて、偉大な故人を偲びたいと思います。
1982年度の国立がんセンター病院レジデント採用試験で、面接官として端の方にいらっしゃったのが、後で思えば阿部先生でしたが「終末期医療に取り組む心づもりはあるか」という質問を頂きました。レジデント採用後のオリエンテーションでは、若い時代の貴重な時間を切り売りするようなアルバイトには賛同しかねる、と先生にはっきり言われ、以来、私は若者のアルバイトには拒絶反応があります。1987年に内科医員として採用され、私は阿部先生の「内分泌グループ」で乳がん患者の診療、研究に携わることになりました。阿部先生の外来診療では愛情あふれる、とても温かい対応でした。あるとき、阿部先生と一緒に診ていた患者から、私の対応のまずさについてのクレームが寄せられたとき、お前が一生懸命にやっているのはわかる。しかし、例外を作ってはいけない。99人の患者をしっかり診ても一人をないがしろにしたら、お前の評価はゼロなんだぞ、と厳しく叱られ、臨床医の基本姿勢を叩き込まれました。この話、聖書の99匹の羊の喩えと似ているので、亡くなる前に、阿部先生に出展を確認しておけばよかったと思います。また、俺たち医師も患者も同じ人間なんだ、だから、想いとか、悩みとかは、同じなんだよな、とカンファレンスでもよくおっしゃっていましたが、それを聞くたびに、何か、ご自分に言い聞かせているようにも感じました。そして、適応と限界という表現も、総論などを執筆されるときによく使われていました。がん医療、とりわけ再発がん患者の治療では、できること、できないことがある、という現実を、患者と共に共有するという姿勢の大切さを学びました。後年になり、私も妻と共に洗礼を受けクリスチャンになってから知ったラインホルドニーバーによる静穏の祈りは、まさに、阿部先生のがん医療に取り組む理念に通じていると思っています。2012年11月19日、生前、阿部先生が通っていた金沢文庫のカトリック教会で執り行われた葬儀は、こんなやさしい阿部先生のお人柄がにじみ出ていたように思います。国立がんセンター中央病院医局から送られてきたFAXに親近者に限る、とあったので、参列を控えた方もたくさんいたのだろうと思います。でも、近親者とは書いてなかったので、私は仲人もしてもらったし、生涯の恩師ですから親近者のはずです。なので、妙子と納棺式、葬儀に参列し火葬場まで行って来ました。吉田茂昭先生も一緒で、阿部先生が骨になるところまでを見届けたのでした。すると不思議なもので、阿部先生との付き合いもこれからは霊的なフェーズにはいるんだな、と一応の区切りがついたように思いました。阿部先生に心から感謝の気持ちを捧げるとともにご冥福をお祈り申し上げます。

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投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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