おこちゃま医大講義録


我が母校、北海道大学の前身である札幌農学校に酪農を指導しにきたウイリアム・スミス・クラーク博士は、Boys Be Ambitious, like this old man!  (若者達よ、志〈こころざし〉を抱け、この老人のようにな!)という言葉を残して札幌の地を去っていきました。赴任当時、学生は酒を飲んだくれ、喧嘩や争いが絶えず、ひどい状況でした。世の中は戊辰戦争、西南戦争といった内戦のさなかで人々の心もすさんでいました。クラーク博士は、まるで子どものような学生達に対し、愛情を持って厳しく接し、自ら模範となるように好きなワインを学生の目前でたたき割り断酒を宣言したそうです。たった、8か月の指導ですが、学生達は、志を抱けるまでに成長し、新渡戸稲造、内村鑑三ら、優れた人格の思想家として活躍したわけです。 さて、今月は三回にわたり恒例の甘松医科大学の講義に行ってきました。相も変わらず、授業の途中に当たり前のように立ち上がって教室を出て行こうとするもの、授業開始から30分以上遅れて堂々と入室してきた女学生、注意して一番前に座らせてレジデントマニュアルをプレゼントしても、反省とか恐縮の態度は全くみられず、講義終了後も、ありがとうございました、今後、気をつけます、ぐらいいいに来るかと思ったら、そんな気配は全くありません。国民の貴重な税金を使って、おまえたちのようなろくでもない子どもを医師になるまで育成しているのだから、もう少し自覚を持たなくてはいかんだろうと思いました。さらに、休み時間に廊下にでると、またまた、おこちゃま数人が集まりトランプゲームに興じているではありませんか。休み時間だから何やってもいいだろう、というものではないのだぞ。図書館にいくなり、当日の講義の復習をするなり、休み時間はそういうためにあるのだ。また、別の集団が、任天堂DSでゲームをやっていました。いったいおこちゃま甘医科大学の教育はどうなっているのだ? クラーク博士のように、学生を成長していない子どもとして厳しくしつけ教育しなければ、莫大な税金の無駄遣いになっていく。危機的状況にあるのだが学長はわかっているのだろうか?

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

“おこちゃま医大講義録” への 1 件のフィードバック

  1. わかっていたら、こんな事にならないでしょう。
    自分の地位や名誉しか考えておりません。
    最近、訪問していなかったので、コメント、遅くなりました。

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