大間まぐろと治験との類似性


電子カルテは合理的です。記録は明瞭なフォントでディスプレイに映し出されるし検査データなどの数値も発生源で正しく入力されたものは永遠に正しい値が保存されます。かつては、癖のある字、読めない字のカルテがほとんどで、記載も乏しく貧しく、特に外科医のカルテなど、記録としての体裁をなしていないものも多く院長回診で、たまに院長がカルテを見ても、「おお、元気のある字だな、変わりなしって書いてあるから、変わりないんだな」という感じでしたから。それに比べると電子カルテは、人に読ませるための記録でなくてはならない、という概念を定着させたと言って良いでしょう。医療センターには院外主治医として毎週回診に出向いていますが、残念ながら、肝心な事、たとえば、手術記録とか、病状説明内容とか、主治医の病状アセスメントとか、そういうことの記載は乏しく貧しい。読みやすいフォントだけに書いてないということが明確になるということも合理的であるといえましょう。

治験のCROが出向いて来てSource Data Verificationというのをやる際、電子カルテを読んでもらえば、すみからすみまで経過のすべてがわかりますが、ちょっとやり過ぎだな、感じます。治験の適格規準、除外規準には、ぜ〜んぜん関係ないようなことまで、一所懸命書き写していく担当者の姿は、自分のやっていることの意味がわかっていないのではないか、と哀れさすら感じてしまします。それなら、いっそのこと、母子手帳の内容まで書き写していったらいかがだろうか、とも思ってしまいます。昨年1億5000万円の競り値のついた大間のまぐろが今年はその20分の1で落札、いままで、いかに無駄なことをしてきたか、と関係者も反省していましたが、治験のデータマネージメントにかかる労力も、その大半が無駄であることにそろそろ気づかないといけないのではないでしょうか。製薬企業が治験のためにCROに支払う経費も薬価算定の根拠となるということを、誰かが指摘しないと、医療費の高騰には歯止めがかかりません。

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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