「医薬品とは情報を伴った化学物質である。」と大学の講義で習いました。当時はピント来なかったこの名言も、今、多くの患者に抗がん剤を処方し、きちんと使ってもらうために情報を正しく伝える立場となり、その意味を痛感しています。また、世間には薬に対する先入観や、間違った風評に阻まれ、正しい情報を伝える事ができない、壁のようなものがあるとも感じています。乳がんが肺に転移したNさんにティーエスワンという飲み薬の抗がん剤を処方した時のことです。がんが進むと咳などが出て辛くなるから、そうならないように飲みましょうと薬の目的を説明し、副作用としては、皮膚の色が黒くなるかもしれない、ちょっと下痢するかも知れないけど、来週、様子を見せて下さいなと、薬の情報をまとめた文書を渡し、薬剤師からの説明も聞いてNさんは帰宅しました。一週間後の外来で、「抗がん剤はやっぱり怖くて、夫もやめたほうがいいと言うので」と一錠も内服していません。「薬はなるべく飲まない方がいい」という壁です。Nさんには、ではすこし様子を見ましょうと1ヶ月半ぐらいお休みしましたが、咳が出始めたためご主人にも来て頂き、もう一度説明しテーエスワン内服を開始、目立った副作用もなく咳も治まり治療を続けています。また、「抗がん剤は正常の細胞も破壊する」というのもさらに厚い壁です。どんな薬でも効果と副作用があります。確かに抗がん剤は睡眠剤や血圧の薬など一般の薬に比べると副作用は強いです。しかし、症状を予防する、あるいは今ある痛みや咳などの症状を軽減させることはできますから、それを目標として抗がん剤を使用するのです。もっと分厚い壁は、「抗がん剤は寿命を縮める」というものですが、これは明らかに間違いです。今までのどんなデータを見ても、抗がん剤によって寿命が延びる事はあっても寿命が縮むということはありません。間違った情報に惑わされ、受けられるはずの薬の恩恵を受けられないのは残念な事だと思います。