ならぬものはなりませぬ


on the job training : 仕事をしながら、苦労しながら覚えて行く、自分の得意分野、専門分野を構築して行くこと。もちろん経験だけでなく関連する論文を探して最新情報を確認するとか、権威あるテキストブックの該当箇所を読むとか、UpToDateで評価の定まった標準的な対応を確認し、自分の経験が間違いない事は確認しておかなくてはならない。ところが、最近は、未熟講師の退屈なセミナーを聞かないと認定されないとか、保険診療項目で加算が算定できないというような誤った方向が許容されているのはいかがなものか。暇があれば、三流講師の話も聞いてみてもいいけれど、これが泊まりがけのセミナーなんていうことになると時間の無駄使いはなりませぬ。

論文になったものでないと講演で話してはいけない、学会発表の内容は触れてはいけない、ということで、先日招いた講師がつまらない話をしていった。学会発表の内容を触れてはいけない、というのは、企業スポンサーのしゃんしゃん大会の話であって、独立学術団体が、学問の切磋琢磨を目標に開催するような後援会では、さまざまなレベルのエビデンスをもとに、聴衆と演者の相互討議で共通の認識を高めて行くことが大事である。それなのにおかしな業界団体の取り決めに翻弄されそれに間違って迎合して小さな話しかできない講演者はリピーターとはなり得ませぬ。

老舗(しにせ)、長年の運営の蓄積が、確実な成果として評価される意味合いのことばである。安心と信頼に基づいた重厚な価値を感じる。長年、培ったノウハウ、共有された経験など、おでんの汁のようなものである。しかしただ古ければいい、というものではない。カビがはえたような汁は廃棄処分せねばならぬ。箱物、これは形だけ作って中身がそだたないもの、行政の得意技である。行政に迎合した箱物ががん診療拠点病院である。きょとん病院ということばを好んで用いるひとも多い。何も中身が充実していないのに、きょとん病院となったといって大いばりしている箱物病院があるが、世間は、きょとん病院という看板にだまされる。古くからある病院でも、経験知の蓄積ができていなくて、内容は、ばらばら、めちゃくちゃ、昔で言うところの東横のれん街のような、俺の経験、おらいの経験が不当に尊重されつつ、昭和の時代の医療が展開されているようなきょとん病院もある。本当の意味で見直すならば、なりすまし患者を送り込んで実際の姿を見抜かなければなりませぬ。

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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