がん治療では、点滴抗がん剤副作用(吐き気、感染症など)の予防・緩和のための飲み薬、飲み薬の形の抗がん剤、そして今後主流となる分子標的薬剤が、「院外処方」により、「調剤薬局」で処方される。この「院外薬局」については、降圧剤、高脂血症治療薬、胃薬、便秘薬、風邪薬などの、特に問題のない薬が主たる対象となってきたが、ここに、がん治療につかわれる前記の薬剤も加わるようになって、様々な混乱が生じている。吐き気どめ、浮腫予防などに使用するステロイド剤、通常よりも短期間に多い量が使用されるが、これに対して不勉強な調剤薬局薬剤師が「こんな量を使うなんてとんでもない!」と患者に言ったため混乱した話、内服抗がん剤ティーエスワンが男性患者に処方されたが、奥さんが調剤薬局に薬を買いに行って、本人と勘違いして、病名も確認せず、腎機能も確認せず、処方されたけど、トンチンカンな説明で混乱した話・・・。なので、がん治療においては、内服薬の院外調剤は不適切だと思っている。昨日、多地点看護カンファレンスで提示された症例でも、患者が正しく服薬できなかった原因の一端は、院外調剤薬局にあったと考えられるような事例であった。浜松地区でも、薬剤師が「薬ー薬連携」といって、病院薬剤師と調剤薬局薬剤師との連携で、がん治療薬を適切に処方使用という努力がさんざん行われたが、私は、この活動を横でみていて、「電子カルテを共有して、国民背番号(マイナンバー)導入されて、患者情報が共有されない限り、現行の『処方箋一枚からの謎解き処方』は限界がある」と思ってる。しかも、患者は、不便を強いられ、高い医療費を負担しなくてはならない。一昨年のことだったか、「調剤薬局花盛り」というコラムが朝日新聞に載っていた。「塾や、昔からの商店が閉じたあと、あちこちに調剤薬局がオープンし、しかも、長者番付の上位に名を連ねている」という内容で、まえまえから噂されていたように、そろそろ調剤薬局冬の時代か!と思っていた。今日の朝日新聞、「くすりの福太郎」が、薬のカルテを全く記載していなかった、けしからん!!ということで一面に載っている。「◯◯さんに、いつ、どんな状況で、どんな薬を調剤した」という記録を薬のカルテと呼び、その記載が義務付けられているのに福太郎ではそれをしていなかった、というもの。そうはいっても、どんな診断で、どんな臓器機能(腎臓が悪い? 肝臓は?)かもわからず、しかも家族が取りに来れば、肥満か、痩せかも把握できない状況では、記録なんて、形ばかりのもので、その必要性も感じないのだから、記載もれ、となっても不思議ではない。そもそも、薬剤師は6年間の高等教育をうけて、国家資格を得、それで、調剤薬局で、薬のピッキング程度のことしかしないのでは、なんのための教育か? と首をかしげる。そもそも調剤薬局ができたのは、診療所などで医師がいい加減に薬剤を出していた、副作用にも注意を払わず、仕入れ価格も不明確、この状況を当たらめねば、という表向きの理由で院外調剤という仕組みが30年ぐらいまえに導入された。しかし、今回のロックオン、この流れを変えることになるだろう。今こそ、「診療所に薬剤師を配置すべき」、診療所内での、医師、看護師、薬剤師のチーム医療で、多職種相チェック(監視)の体制を整えるのが正しい医療の方向であろう。
記事を興味深く拝見しました。薬剤師です。
院外の薬剤師の言動に関して、専門性の高い診療科医師からすれば、もどかしい思いをすることは多かろうと思います。
この辺りの考え方は些か概念的なものになりますが、医師から見た看護師、病院医師から見た逆紹介先の医師も、場合によっては同様の批判がなされるかもしれません。社会保障カード等による情報共有によって利点があることは確かでしょうが、異なる専門性による判断や知見の拡大について、供用される情報がなければ意味がないと断じることもできないでしょう。
>降圧剤、高脂血症治療薬、胃薬、便秘薬、風邪薬などの、特に問題のない薬
という表現については、それを専門とする医療者からは不見識との批判が出ることと思います。もし強引に効果や副作用を考慮しカテゴリー分類(実際に分類はされている訳ですから)を行ったとしても、降圧剤・脂質異常症治療剤といった薬剤においては、その選択やフォローアップが患者の寿命に影響しますから、現在の一般的な社会的認識からは乖離した持論かと思います。
医薬分業が、所謂先進国においてスタンダードであるのは、制度としての合理性があるためと私は理解しています。衆参二院制、判検分離といった制度は、事案の処理速度やコストを考慮すれば不利である筈ですが、国民や国家の成熟性によって、制度は守られています。
ご存知の通り、戦後GHQの働きかけによる医薬分業徹底案を退けた日本はその後、薬漬け医療・薬害大国との揶揄を受ける状況に陥り、不完全ながら分業実施への道を歩むことになりました。
G8諸国で医薬分業未実施の国はなく、経済誘導による医師の任意分業を採用する日本は未だ特殊な状況にあります。
先進国に共通する高齢化、医療費の膨張への対応策は、医師を高度な判断や技術が要求される医療へと振り向け、安定した病状の患者やプライマリケアを、アクセスがよく人件費の安い薬剤師等の医療者に担わせることです。
医療費の逼迫を理由に、日本医師会がその意を汲む政治家や官僚、メディアと共に薬局バッシングを行い、権限や利益の確保を求めて院内への回帰を模索することが「正しい医療の方向」とは思えません。
同様の「医師が全てを担当し実施する」といった主張は、先進国で平均的な医師数を抱えながら、勤務医が忙殺され救急医療が崩壊する要因となっています。
私は、利益団体たる日本医師会のそういった主張によって政治が影響され、制度設計に歪みが生じることも、また個々の医師が医師会の主張を無批判に受け入れ、同様の主張を繰り返すことも、あまり好ましいものだとは思いません。
医師のみを重視する日本の医療については、ディオバン問題でも指摘されました。
昨年のプロポフォール事故についても、院内の薬剤師が過量投与について担当医に指摘しながら、医師は聞き入れず事故に繋がっています。適切な医療文化の醸成のためには、何より医師会の働きかけや圧力によって制度設計が歪まないことが肝要です。
前の記事「本末顛倒のような気がする」について、
>そもそも非正規でしか雇用されない人はそれなりに訳があるのではないか。つまり、小学校、中学校、高校、大学と、きちんと勉強せず、世間のために役立とうという気概もなく、要するに自己研鑚を怠ったために正規に採用されるに足りる付加価値、能力が備わっていないのだから、それは、それに見合っただけのポジションしか得られないということではないだろうか。
について私は異なる意見を持っています。宇沢弘文の対談集「始まっている未来」において、経済学者のフリードマンが
「黒人問題は経済的貧困の問題だ。彼らはティーンエイジャーの際、遊ぶか勉強するかについて、遊ぶことを選択した。だから上の学校にも行けず、技能も低い。報酬も低いし、不況では最初に首になる。それは彼らが選択した結果だ。」
と述べたことに対し、黒人の大学院生が立ち上り、
「私に両親を選ぶ自由などあったでしょうか?」
と問うエピソードが紹介されています。
当然にどちらが正しいということは出来ないでしょうが、異論が存在するということは重要であり、第三者がどちらかに肩入れすることは不適切だと、私は思います。