教会の鐘の聞こえる街角で 働きたいという人がいる
私は地獄のすぐ手前まで 助けの船を漕いで行きたい
東京の築地の街の真ん中で 豊かなカリキュラムで研修したい医師がいる
九州の時化の海を超えて行く 私は離島医療に尽くしたい
我々は他者の苦しみを分かち合い その重荷を負い その必要を助けみたしてやるとき 医療者の本分が発揮される
このことをはっきりと自覚するならば 事情は変わってくるのではあるまいか 情熱をもって人を助けよ
(詠み人:オンコロプリンちゃん2号)
教会の鐘の聞こえる街角で 働きたいという人がいる
私は地獄のすぐ手前まで 助けの船を漕いで行きたい
東京の築地の街の真ん中で 豊かなカリキュラムで研修したい医師がいる
九州の時化の海を超えて行く 私は離島医療に尽くしたい
我々は他者の苦しみを分かち合い その重荷を負い その必要を助けみたしてやるとき 医療者の本分が発揮される
このことをはっきりと自覚するならば 事情は変わってくるのではあるまいか 情熱をもって人を助けよ
(詠み人:オンコロプリンちゃん2号)
渡辺先生
はじめまして。
再発治療中の患者として、いつも先生のブログを拝読させて頂いています。
以前、診察室で主治医の話をうかがっている時、「ああ、こういうのを情熱っていうのかな」と思ったことがあります。
翻って、自分は情熱をもっているだろうか?何に対して情熱をもっているだろう?主治医の情熱に見合うだけの生き方をしているだろうか?
あらためて考えることができました。