第一の決断
我が診療所は、祖父、父、私と三代にわたり世襲されている。祖父は診療所の運営以外に、聖隷病院の開設に尽力し、浜松市の中心部から浜松の北の果ての三方原まで、大八車に結核患者を乗せて運んだという。父は、浜松市医師会中央病院や浜松医療センターの設立、国立医科大学誘致など、浜松地区の医療体制を整備する活動に関わってきた。父は私に、あとを継げとは一切言ったことがなかった。私が受験生の頃、勉強の合間に居間に降りていくといつも父が分厚い洋書を読んだり、書き物をしたりしていた。通信教育Z会の英語を教えてもらい、医学の話なども聞いているうちに、自分もきっと、いずれは父のように診療所をやることになるのだろう、と漠然と思っていた。その思いは北海道大学に進学しても変わらず漠然としていた。(以下次号)