北大卒業を控え、進路を父と相談しても、「医学(Medicine)の基本は内科(Medicine)だからな」といった漠然とした助言しかしてくれなかった。それでとりあえず内科を広く学ぼうと思い、北大の第一内科に入局した。第一内科は呼吸器疾患が専門で、研修中にACTH産生小細胞肺癌、アミラーゼ産生肺腺癌など奇妙な病態に多く遭遇した。それまでは、私のがんのとらえ方は、肺癌はレントゲン写真に現れるように、単なる丸い塊程度の認識で、気管支を圧迫して呼吸困難を来たす、脳に転移して頭蓋骨内の圧力が高まるといったがんの機械的側面にしかなかった。しかし、学ぶうちにがん細胞がホルモンなどの生理活性物質を無秩序に産生し、生体のホメオスターシス(恒常性維持機構)が撹乱される、というがんの生物学的側面に興味を持つようになった。「ホルモン産生がん」関連の論文を検索すると阿部薫という名前がしばしば登場し、所属をみると国立がんセンターとなっていた。その頃、大学医局の掲示板に貼ってあった「国立がんセンター病院レジデント募集」のポスターを見て、卒後2年目から築地での勉強が始まったのである。(以下次号)