それでも朝は来る


ある商業誌から依頼されて半生を振り返ってみました。ここではそれを12回に分けて連載することにしました。その中には触れていいませんが、半生といえば還暦、赤いちゃんちゃんこは着せられませんでしたが、後輩たちからガーミンのForAthlete225Jをプレゼントされました。ガーミンですからGPSの老舗、加えて心拍数もはかれ、しかもスマホとの同期もばっちり、二か月間、ほぼ毎日、5−10kmぐらい、毎朝走っています。青森でも秋葉原でも京都でももちろん浜松でも。高山忠利先生も「仕事の流儀」で走っているところが写っていました。私は還暦を迎えてからの活動期間を25年と考えていますから体力、知力、胆力が大事、おそらく同年代の活動家たちは同じように考えているのでしょう。そして心に構える名言「それでも朝は来る」,どんなに厳しくつらい夜であっても何事もなかったように朝は来ます。朝がくれば太陽が昇り闇を消し去り輻射熱を与えてくれます。「それでも朝は来る」ーー ひどい人にひどい思いをさせられても何事もなかったように朝をむかえる。一日のルーチン活動を終えた時、反省と納得と成長の夜を迎えます。

司会者の役割


今年の癌治療学会は本庶佑先生や山中伸弥先生の講演があり第一会場は満員で講演内容もすばらしかったです。癌治療学会の性格上、平行セッションが多くなり、また、セッション間の時間も限られており、あれもこれも聞きたいという場合に、予めの参加計画(advanvance attend planning)が不可欠ですし、また、司会者が後のセッションとの関連、つまり、その会場で次のセッションは計画されているか、他の会場でのセッションまでの移動時間は確保できるか、などを考慮しなくてはなりません。しかし、司会者の最も大切な役割は、講演者に持ち時間を守らせ、会場からの質疑応答を盛り上げることです。また、参加者は質問があれば、予めマイクの前に立ち、質問の意志を司会者に伝えること(advance standing at microphone)が大事です。ASCOなど海外の学会では、これらのマナーが適切に実践されていて、司会者も質問者も気持ちよく質疑応答することができます。後のセッションがなければ、時間的に余裕があれば、質問時間を切り詰めたりしません。質問者の質問を大声でさえぎるような馬鹿な司会者はいません。質疑が盛り上がれば、多少時間が超過しても、質疑を優先させます。演者の講演・発表が終わってから、司会者が、愚にもつかないまとめをだらだらと述べて、時間を浪費することはありません。そもそも、海外の学会では、質問する人が沢山いることを前提に学会が運営されています。ところが、日本では、質問する人がいないセッションが普通で、司会者が時間をもてあますことが多いのです。それは、日本の文化なのかもしれません。とくに、製薬企業の人たちは「自分たちは質問してはいけない人種である」と教え込まれているようなので決して質問しません。なので、薬物療法のセッションなどでは、フロアの半分以上を占める製薬会社社員はくろこであり、会場は「半分空席」と同様なのです。また、看護師も質問しません。看護師は、自己表現の習慣が乏しいようです。自分の考えを理路整然と述べる、要領よく短くしゃべる、ことが出来ないひとが多いことに加えて、学会で質問しよう、という意志を持たずに学会に参加する人が大部分、学会で黙って座っていよう、というひとがほとんです。司会者はこのような、silent majorityを如何に鼓舞して、如何に演出して、会場からの質問を引き出すか、ということも、与えられたミッションであると思います。よくあるのは、二人の司会者がいて、機械的に、セッションを前半と後半にわけ、ここからは、私が司会を変わります、といって、もう一人は役割ごめんで、後半、壇上で静かにしている、とか、司会者が一人でしゃべりまくって、会場からの質問者にさえぎられてはじめて話をやめる、とか、沈黙のうちに、パネリストひとりひとりに、同じ質問を順番に機械的に繰り返していく、とか、質問者がマイクの前に長い時間立っていることに気づかずに、不手際な司会を続け、時間になりましたので、このセッションを終わりにしたい、と言ったり。学会は質問者が主役である、という原則にたち、もっと、上手な司会をしなくてはいけません。また、あまりに高齢者に司会をさせると古風な流儀で、無駄な所に時間を費やし、死んだようなセッションとなります。もっと、ダイナミックな質疑応答が出来るような文化に衣替えしてほしいものです。