六十の手習い(2)


60歳で習字を始めること。年をとってから物事を習うたとえ」。担当者が蒸発したので新規に導入したMMT eliteを私が活用することになった。針刺しはFNACにはじまりCNBと国立がんセンター病院では腫瘍内科の仕事であった。33番診察室は内科、35番診察室はFKTMらの外科、間の34番診察室は予約外や処置のため内科、外科で利用していた。我々が術前化学療法を始めたのが2000年頃だったが、CNBが必要でBARDの機械を内科で購入しCNBも34番で内科が行っていた。多い日は1日5件位はぱしっ、ぱしっとやっていた。その頃からエコーを使用してやっていたが、私が左利きのため機器の設定がそのようになっており清水先生らの右利きのCNBは配置を換えていた。元々、学生の臨床実習で一外をまわったときに手術に入って当時は学生でも皮膚を縫ったり簡単なところはやらせてもらっていた時代で、私も当時は外科に興味があったので手術をやらせてもらえるというのがうれしかったが、機械出しの看護婦のばばあが左利きの子がいるとやりにくい、とぶーぶー、のべつまくなしに、手術中に文句を言われつづけたので、それがいやで、手術にははいらなくてもいいです、とすねた。そのあたりから、外科嫌いが始まったのかもしれない。断っておくが外科は嫌いだが外科医は好きです。それで、CNBはお手の物で、当時は腋窩リンパ節でさえ恐れずにCNBでぱしっ、ぱしっやっていた。(以下次号)。

そんな針刺し技も、超音波装置の解像度向上や、MMTやVacolaといった吸引式針生検の普及で精度が向上し患者の苦痛も軽減してきたのがここ10年ぐらいの出来事。最近は、針刺し技は、若手医師やらに任せ、私は、病理診断結果の解釈、サブタイプ別治療方針の決定といった「頭脳技」をもっぱら行ってきた。しかし冒頭のような状況のため、多少錆び付いていた針刺し技を自ら行う状況となった。この機会を有り難き好機と捉え、針刺し検査室の環境整備(第三診察室を検査室とし、検査台、超音波装置の配置、配線の見直し)をやり直して、手技の確認を行った。

五郎丸選手のルーチンのように一定の手順を確立するには、何度も何度もシュミレーションを繰り返す必要がある。肉のくわばらは近所でも有名な良心的な肉屋として知られている。肉のくわばらは毎月「29日」はお買い得、その日に行って、肉の塊を買ってきた。刺入角度、深さ、針の進め方、機械の持ち方など、超音波装置で確認しながら深夜一人で何度も何度も練習し、ルーチンを確立した、肉は、お買い得国産ヒレ肉100グラム98円というのを塊で買ってきたのだが、最初にキッチンで必要な大きさにいくつかのブロックに分けてとりあえず5分の一を使って残りはあとで使おうと冷蔵庫に入れておいたのだが、結局、最初に切り出した一ブロックだけで技は完成の域に達した。妙子が冷蔵庫の肉を見つけて、どうするの、こんなに買っちゃって!! と言うので、どうしよう、と戸惑っていたらヒレカツを沢山揚げてくれた。これがまた、最高の美味、柔らかさでありがたい。ルーチンの確立は、どんな領域でも大切なことだと思う。そして、いくつになっても、新しいルーチンに挑み、自分のものにすることが大きな刺激となり、また、あたらしい目標となるのだ。我々の年代、周りを見回してみると、そろそろ人生の終焉と捉えているような人々もいる。活力、展望を無くして、これからどうしようかと、自他共に先行きが不透明な人々もいる。それはそれで、悠々自適でよいのだろう。しかし、新たなルーチンへの挑戦は私にとっては最大の活力源である。85才までの現役宣言をした以上、たゆみない挑戦、自己研鑽が続く。六十の手習いはまだまだ序章である。

投稿者: 渡辺 亨

腫瘍内科医の第一人者と言われて久しい。一番いいがん治療を多くの人に届けるにはどうしたらいいのか。郷里浜松を拠点に、ひとり言なのか、ぼやきなのか、読んでますよと言われると肩に力が入るのでああそうですか、程度のごあいさつを。

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