つばめだより


つばめだより

営巣に励んでいたつばめ君夫妻が入居したのは巣完成直後でした。保健所、消防署、市役所などの査察は受けていないらしい(あたりまえだい!)。先日、乳癌学会で行った倉敷は、浜松より季節が先に行っているのでつばめも既に子育て期に入っていました。やはり、巣の下には多量のフン!これは生命現象としてしかたありません。浜松オンコロジーセンターのつばめの巣は、玄関にある円筒形の柱の上にあります。下にフンが落ちても簡単に掃除ができるようにうすいアクリル板を買ってきて、これを丸く切り抜き設置。切り抜くときに、久しぶりに「直径かける3.14」的計算をしました。つばめ君も、この作業を巣の中から不安そうに見つめていました。ひながぴよぴよと餌をねだるのももうすぐです。

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手弁当は低品質の証


乳癌学会で臨床試験のセッションの司会をしました。臨床試験というのは治療薬、治療方法、検査方法、あるいは診断方法などが、効果があるのか、意義があるのか、役に立つのか、ということを患者さんに被験者になってもらい調べる試験です。どんな治療、検査、診断技術であれ、臨床試験をしっかりやらないと本当に役に立つのかどうか、がわからないのですが、臨床試験をしっかりやっていないため、本当に役に立つのか、効果があるのか、がわからないまま使われているクスリや検査方法、治療方法がやまほどあります。たとえば、整形外科などで電気をあてるっていうのをやっていますが、あれは、気持ちいいだけで、関節の病気が良くなるという証拠は全くないのですが、世の中に広く出回っています。がん治療の領域でも、ほんとうに意味があるかどうか、わからないまま当然のことのように使用されているクスリや手術、検査などがたくさんあります。また、臨床試験ということ自体をあまりよくわかっていない医師も多くいて、臨床試験が順調に行われていない、という現実があります。乳癌学会のこのセッションの目的は、しっかりした臨床試験をやるためには、どういう点を改善していけばいいのか、をみんなで考えましょう、ということです。

 

「あるクスリの効果を調べました、そうしたらすごくよく効きました、だから、たくさんの患者さんの治療に使いましょう」と言うとき、「効果」とはどんなことが起きた場合、効果というのでしょうか? たとえば、頭が良くなるクスリ、というのがあったとして、それを飲んだ人と飲まない人を比べて、計算問題が早くできるようになるとか、6桁の数字を何時間後まで暗記していることができるか、など、どういう風なことができるようになったら頭が良くなったと判断するのか、つまり、効果判定基準を、前もって決めておかなくてはいけません。次に、調べたって言うけどどのような方法で調べたのでしょうか? 主治医が調べて、報告するのですか、それとも、看護師なり、薬剤師なり、臨床試験を実施する他のメンバーが、調べるのでしょうか。調べた結果は、もう一回、見直すことや、調べなおすことはできるのでしょうか? つまり、記録がのこされているのでしょうか、同じ方法で、もう一回やってみても、同じようなことがおきるのでしょうか?よく効いた、っていうけど、誰が判定したのでしょうか?相撲だって行司軍配で勝負が決められるわけで、それを相撲取りが自分で勝手に勝った、勝ったと言ったって、そんなのだめだよ、というように、効いた、という判定も、誰か他のひとが、きちんと宣言しないと認められるものではありません。要するに「客観性」が必要ということです。たくさんの患者さんで使うためには、クスリを大量生産できないといけないけど、そのためには、しっかりした工場がなくてはいけないし、決められたとおりに作られているのかなどを点検しなくてはいけないし、そういうのを誰がするのでしょうか? などなど、が問題になります。臨床試験というのは、そのような、一連の、複雑な様々な手順を、予め決めておいて、誰がやっても同じような結果がでるような工夫をして、しかも、患者さんに迷惑がかからないように、最大限の注意をはらう、ということが大切なのです。

 

さて、臨床試験を行うためには、医師の熱意とがんばりがなくてはなりません。熱意のある医師が、良い治療薬を開発するため、仲間をつくって話し合い、「このような患者さんには、この治療をやってみて、効果を検討しよう」、とか、「このような患者さんが、外来に来たら、昔からやっている治療と、新しく効果を検討したい治療を比較するために、くじ引きをして、昔治療と新治療のどちらかをするか、決めよう、そして、その結果を仲間同士、持ち寄って、相談して、新治療が昔治療よりも良いかどうか判定しましょう、というような形の「医師の自主研究」というのが、かつては日本全国いたるところで行われていました。そして、このような場合、治療薬を販売している製薬企業が、タクシー代や会場費や、食事代を負担して、「先生方の自主研究」をお手伝いします、というような雰囲気がありました。しかし、このような場合、往々にして、我が社のクスリを売らんかな、という意向が働き、製薬企業が、「先生方の自主研究」を商売の道具に使っていることが多かったのです。それが行きすぎると銀座で接待みたいなことも大昔はあったらしい。それに対して、「俺たちは、クスリ屋の世話にはならない。会場を借りるのも、効果判定をするのも、すべて自分たちの持ち出しでやっているし、時間外や休日に出てきてやっている」と、いわゆる「手弁当」でやっていることが美徳であるように自慢する医師のグループが、これもまた、あちこちにできてきたのが、1980年代でしょうか。しかーし、手弁当とは、すなわち、行事なしで相撲やろう、アンパイヤがいないので、球を受けたキャッチャーがボール、ストライクの判定をしよう、みたいなことであって、それは、まったく、正しい判定ができない、かりに正しいとしても、正しいということを証明することができないわけです。ですから「手弁当は低品質の証」と言わざるを得ないのです。

 

臨床試験は、医師のグループ(①)の他に、試験自体、医学の進歩に貢献するという点で意義があるのか、ということや、試験が最初の取り決め通りにおこなわれているかなどを第三者的に、冷静に、公平に判断を下し、試験の進行をじっと見守る独立モニタリング委員会(②)と呼ばれる委員会が必要です。そのほかに、倫理審査委員会、倫理委員会という、試験に協力する患者さんに不必要な危険や危害が及んだりしないだろうか、患者さんのプライバシーなどの人権などが侵されていることはないだろうか、などを審議する委員会もひつようです(これも②)。さらに、検査結果や治療内容の記録などのデータをきちんと正しく、公平に処理し、統計学的解析を行うデータセンター(③)がなくては、成り立ちません。また、会議をやるには、交通費もいるだろうし、食事だってしなくてはならないだろうし、研究に使用する通信費や消耗品費、メールやインターネット、プレゼン資料作りのため、パソコンなどの物品も必要でしょうから、何らかのスポンサー(④)が、お金を出してくれないとできません。それは、製薬企業の場合もあるし、国民の税金をつかった文部科学省や厚生労働省からの研究助成金の場合もあるでしょう。また、民間企業や、篤志家からの寄付で成り立っている場合もあります。さらに、もっとも重要なのは、臨床試験に被験者として協力してくれる患者さん(⑤)の存在です。だれだって世の中でいちばんいい治療を受けたいに決まっています。しかし、今、一番いいとわかっている治療と同じぐらいの効果か、もしかしたら、それよりももっと良い効果のある治療が、臨床試験として提供されたら、それを受けたいと思うこともあるでしょう。また、自分が試験に参加することで、新しい治療が、よい治療なのかどうか、ということをはっきりさせることができれば、将来、自分と同じ病気で治療をうける患者さんにとって、役立つ治療、あるいは情報を提供できます。さらに、いま、一番いいとわかっている治療でも、なぜ、それが一番いい、ということがわかったか、というと、他の患者さんが、臨床試験に参加してくれたからわかったのです。ですから、患者という立場になった場合、持ちつ持たれつ、ということもあるわけです。

それでもって、この①から⑤がそろって初めて臨床試験を実施することができ、臨床試験を実施することによって初めて良い治療、良い検査、良い診断方法などが確立する、ということになるわけね。

向井博文先生の調査では、日本には乳癌の臨床試験にとりくんでいる医師のグループが19あるそうですが、そのうち、①~⑤までの要件を備えているのは、たった二つしかありません。どうすれば①~⑤までを完備できるのでしょうか、ということをみんなで真剣に勉強したセッションでした。

ところで、かつて臨床試験をするといってお金を集めるだけ集め2-3名の患者さんが登録されたっきり、そのままになって消滅してしまったグループもありましたね。あのお金、結構な額だったと思いますが、いったいどこへ行ってしまったのでしょうか? 

 

Where has all the money gone? Long time passing, Oh when will they ever learn, oh when will they ever learn? ( Peter, Paul and Maryの「花はどこへ行った」の節で) いっか~ん!

 

つばめ君夫妻来訪


梅雨の気配を感じるこの季節、北国からやってきたつばめが、町中をすいすいと低空で飛行しています。数日前から、夕方の水やりの時に、つばめがぴよぴよ、すいすい、とオンコロジーセンターの周りを飛ぶようになりました。通りの電線に二羽でとまって、じっとこちらを偵察している姿もありました。3日前の朝、オンコロジーセンターに出勤すると、玄関の軒下に泥のかたまりがついているのを発見、見ていると、二羽のつばめが代る代る壁につかまりながら、泥をすこしづつ付け足し、なんと巣作りをしているではありませんか。その場所は、ちょうど、入り口の真上、泥やフンが落ちると困る、と反射的に持っていた傘でどろをそぎおとしました。するとどうでしょう、二羽のつばめがぱたぱたと私の周りをとびまわり、やめてくれー、と言わんばかり。つばめが巣をつくるのは安全と繁栄のしるし、という話をどこかで聞いたことを思いだし、また、つばめ君たちの熱意にもほたされた私は、そんなにいうならここならいいよ、と、フンが落ちても問題ないところを傘で指し示しました。するとどうでしょう! つばめ君たちは、許可されたところに巣作りを始めました。以前、東京の自宅のベランダに鳩が卵を産んだことがありましたが、その時は洗濯物が汚れるという理由で撤去しました。しかし、今回のつばめ君夫妻の来訪は、縁起がいい、という意見も多く、営巣を静かに見守ることといたしました。新しくできたオンコロジーセンターの軒先の新しい巣、生まれてくる雛たちは、果たして喜んでくれるのでしょうか。