あぁ 臨床腫瘍学会


仙台は今回も雨、前回は乳癌学会の時。今回もシャトルバスは超満員、朝の街は渋滞、東西に走る地下鉄が完成するまではこの問題は解決しない。会場はせせこましく、隣の部屋の声が聞こえる、第二会場までは遠くて行く気がしないし、ポスター会場のテントは最悪である。コンベンション会場を浜松並みに、もう一度言うよ、せめて浜松並みに、構築しないといくら東北の中心といえども仙台では学会開催は不可とせねば成らぬ。臨床腫瘍学会は、プログラム集が変に英語で読みにくいし、誰のための英語なの?? まず、私たち参加者が「情報・知識・理解の共有」をすることが、やっぱり大切だね、理念がぶれてはいけない。内容もAASCOのコピーだし、新規のエビデンスはほとんどない。あいかわらず有るべき論が多く、コンテンツに乏しい。腫瘍内科医はどうあるべきか、っていう話もちょっとうんざり。また、薬物療法実施が認められるのは、臨床腫瘍学会専門医に限定すべきだ、なんていうとんでもない我田引水の主張が富山高岡厚生連から。そうじゃないでしょう。「腫瘍内科医が手がけるとやっぱり治療の効果が上がるねー、患者さんも楽だよねー、さすが、腫瘍内科医、頼れるよね、しっかりやってくれるよねー、これなら、我々外科医が手を出すなんて、ナンセンスだよね、脱帽!」って言うぐらいの実力を示さなくてはいけません。もう一度言うよ、あるべき、やるべき、こうすべき、ではなく、腫瘍内科医としての旗を示しなさい、ということです。1997年、第9回の臨床腫瘍研究会を東京で開催したときと、なーんにも変わっていないっていう感じもしました。「Show the Flag!! Gentlemen.」

しゃんしゃんの花道


前回、私たちはしゃんしゃん大会主催者側の舞台裏について学びました。えー、そうなんだぁ、という反響を何人かのしゃんしゃんフェチの方からいただきましたが、同時に、実はね・・・、と今度は、しゃんしゃん大会に参加する医師の行動パターンについて、こちらが、えー、そうなんだぁと関心するような事例を学ぶことができました。
しゃんしゃん大会は、あごあしまくら付き、と相場は決まっています。顎つまり食事がついて、足つまり交通費(通常はMR君がチケットをもって同行する)、枕つまり宿泊費がつきます。主催者である製薬企業は当然、あごあしまくらをつけてもしゃんしゃん大会に参加して自社製品の販売促進を図ることが目的です。しかし、参加者の中には、あごあしまくらだけをかっさらうような親の心、子知らずという事例も多々あるのです。
①しゃんしゃんの時は必ずAKB48劇場に行く例、②T社のしゃんしゃんの日にY社MRにYS vs. YG戦のチケットを用意させる例、③の1 しゃんしゃんには毎回参加するが開始後10分で夜の街に消えていく「Dr. Ten-minutes」として有名な例、あるいは、③の2 しゃんしゃん受付とホテルチェックインだけして失踪する「Dr. ワンセコンド」など。他の事例もあれば教えてください。昭和から平成に受け継がれたしゃんしゃん大会には長い歴史がありその活用方法もさまざまです。しゃんしゃん芸人としゃんしゃんたにまちが繰り広げる、これぞ、しゃんしゃん道、しかし、その終焉を迎える日は近いようです。

しゃんしゃん大会がやってくる


さてと、夏休みも終わり新たな活力を得て新学期を迎える。まず、やってきたのが各社しゃんしゃん大会の段取り合戦である。しゃんしゃん大会という用語、すでに一般名詞として定着しているが、かつては、あれが学会だと思っていたという人もいた。しゃんしゃん大会には各社1億近くの予算を計上しており、品川あたりの高級ホテルで数百人の参加者を見込んで盛大に盛り上げる。そのためには、顎・足・床付きで、アテンドと称して各地MR君がすべての参加者に地元から東京まで同行する。しゃんしゃん大会には、ふさわしいしゃんしゃん芸人が登場するが、この人選もいろいろとあるらしい。当然、国家公務員は除外かと思ったら、そんなことはなくって主たる活躍をしている芸人も多い。私が国家公務員の頃、しゃんしゃん芸人を演じたが当時はまだ、戒律が緩かったのでなんでもありの時代だった。とはいえ、一線を画して登壇していたので、T社、C社の同系統の薬剤で共通のスライドを使用するというような伝説のS先生のような芸当はできなかった。どうしても断れず今年、登壇することになってしまってこまってしまっている大会の人選案を見せてもらったところ、俺にも挨拶させろ、とか、俺の出番はどこだ、と、言ってくる大御所がてんこ盛りで、挨拶の司会、挨拶、挨拶のまとめというような感じで、三役そろい踏みである。それなりにギャラが発生するわけだから無理からぬところであるがこれはいったいどんな風に収拾をつけるのか楽しみである。また、昔の話だが、しゃんしゃん大会でI先生がエビデンスとは無縁の世界で発売記念薬を思いっきり持ち上げたことがあった。楽屋に用事で来た、当時はまだ純粋だった若手のM君が早速、先生、あの話のエビデンスはなんですか?と食いついた。そしたら、さすが、しゃんしゃん芸人の権化、I先生は、わっはっは、ご祝儀、ご祝儀と、艶っぽい笑顔で一笑! M先生も目が点ということもあった。今年は、臨床試験で取り返しのつかない汚点を残してしまったN社はさすがに自粛だそうだ。あの事件発覚前には意気揚々と、先生がなんとおっしゃっても我が社は誇りを持ってハイレベルな学術集会を開催しますのでのご了解ください、と浜松まで啖呵を切りに来た日が懐かしい。しゃんしゃん大会も来年以降はフェードアウトします、乳癌学会があれだけ充実していれは、もう必要はありませんよ、という正論を唱える虫はさすがである。しかし、俺にも挨拶させろとしゃんしゃん大会たかりの虫はまだ駆除できていない。

夏休みはすぐそこ


昨日は国際共同臨床試験(sponsored by N社)のIDMC、つまりIndependent Data Monitoring Committee(独立データモニタリング委員会)のWeb Meetingがありました。日本時間20時から、電話回線を使ってのグローバルミーティング。ランダム化比較試験を対象に日本1名、米国2名、フランス1名の4名の委員が後半のクローズドセッションで、効果、安全性についてネット会議しました。前半のオープンセッションではN社の開発担当社からのプレゼンがあり、進捗状況とか、両群をまとめた有害事象とかイベント発生状況とかが提示されました。いろいろな国のなまりでの発表で昨日はインド系のアクセントでした。インド人英語はナゲンドラとかアムリックとか、議論好きなお友達もいたので昔から慣れており平気。それで、クローズドセッションでは、N社諸君は退席、IDMCメンバーだけの討議となります。効果について論じるときは、これで発表して良いかを決めるとか、有害事象については試験中止すべきか、などを論じることもあります。最近NEJMに掲載されたいくつかの論文でも、これで公表と、決めたときはかなりのプレッシャーでしたし、結構議論が白熱することもあります。web meetingは日頃「たちてん」で慣れているので、間合いとか、顔が見えない相手との討議もおかげでうまくこなせます。英語の討議も平気です。振り返ってみると長年培ってきた様々な個人的stete of the artが存分に生かせるのでいろいろな経験を積み重ねることができたことを神さまに感謝しています。先日NHKの特集番組で、若者が海外留学を希望しない、その理由は、一番が興味がない、二番が英語が苦手、ということでしたが、そんなこと言っていたら話にならないと思います。某松医科大学の卒業生でも留学に全く興味を示さない人々が多いのは、そんな時代なのか、それともそんな地域なのか。利己しかないのか? やっぱり、かげにひなたに、グローバル環境で活躍するのが私たちの使命(ミッション)だと思います。

それで、もう一つの使命(ミッション)はというと、今日はうってかわっての浜松市医師会の夜間救急室深夜当番。0:00から7:00までの深夜勤務が月に1回ぐらい回ってきます。この使命で何がいやかって、高圧的不勉強な仕切り型看護婆(Kangobar)がうっとしいのと、深夜帯は小児が来ることです。深夜勤務をやるようになって8年ぐらいになりますが、以前は、我慢してこども、赤ちゃんも診ていましたが、さすがに「今日(こんにち)の治療指針」を見ながらやるのでは、赤ちゃんやお母さんがかわいそうなので、最近は、子どもはわかりませんから、小さい子は、二次救急担当病院に搬送してください、ということにしています。高圧的仕切り型看護婆はいやそうな顔するけど、内科と小児科は別物ですよ。小児科医が足りないからって内科医が赤ちゃんを診るのは無理無理無理~。ちょっと利己ですが、内科はしっかり診ます、専門です!!と胸を張って言っていますが、不確かな時はUpToDateをモニターして軌道修正することもあります。

来週は、お楽しみ、伊豆クルージングです。天気も良さそう、高木正和先生も元気そう、留守番の妙子様も機嫌よさそう、なので、このまま、スムーズに夏休みに移行したいと願い、ひたすら7:00の時報を待つのみです。あと5時間ちょっとだね。。おっと、「プー、先生、診察お願いしま〜す。」高圧的仕切り型看護婆が呼んでいる。すぐに行かないと、当直室まで婆がやってくる。