終日運転


オンコロジーとは無関係ですが昨日は息子の引っ越しの仕上げに親ばかヘルプで妙子とふたりでアウトランダー車で若干の荷物を運ぶため新東名→東名→(首都高)→都内・・・の予定で朝7時すぎ浜松を出発。新東名の浜松の入り口は周辺道路整備が悪くってくねくねの田舎道で時間をロス。新静岡サービスエリアでアウトランダーを充電しようと思ったら日産リーフが充電中。トイレから戻ってきたら黒のアウトランダーが充電開始していたので断念 充電設備は一台では足りないね。横浜・町田インターを先頭に25kmの渋滞、その原因は事故、その先、首都高三号線が渋谷のあたりで「災害」のため交通止めというハイウエイラジオ情報。厚木でおりた方が早いとカーナビがいうので従ったところ一般道も大渋滞、海老名駅前で昼食とり渋滞の246号を3時間かけて横浜・町田インターまで東進。高速に乗ったら順調でカンパチから甲州街道へ烏山まで到着。親ばかヘルプ後、親子三人でおじいちゃんの誕生日おめでとうを伝えに本所まで。途中、落下してきた脚立に激突した直後の車の脇を、こわいねーといいながら通過、このあと高速4号線は大渋滞だった模様。本所で食事して帰りはひとりで羽田・横浜を回って横浜・町田インターまで、断続的な渋滞を辛抱強く移動して東名に乗り、足柄、牧ノ原サービスエリアで充電。途中、静岡の手前で大型トラックに乗用車が押しつぶされる凄まじい事故に遭遇。乗用車の運転者をのせた救急車が発進した直後だったのでその後を追尾。浜松に戻ったのは1時すぎでへとへと。終日運転して事故の現場をきりぬけるというアクシデント満載の一日でした。一匹で暗い部屋で待っていたロビン君の歓迎で疲れも吹っ飛び今日は午前中の外来終了です。今日は泉プラチネを訪問してきます。

 

首都高3号線の災

思い悩む人心掌握


 はじめに:組織の責任者にとって人心掌握はもっとも重要な責務の一つです。しかし、重要なだけになかなかうまくいきませんし、永久に完成の域に達しません。自分を棚にあげるわけにもいきませんから、自己の精神修養にはげみつつ、掌握できない心人(こころびと)に気づいてもらう事を願っています。

本文:神を畏れる、の「畏れる」は「恐れる」とも「怖れる」とも違います。畏れるとは、「自分よりはるかに力のあるものに対してすべてを委ねること」です。そして、その「はるかに力のあるもの」と自分がつながっていることによって、無上の安心と平安を感じ、優しい気持ちを持ち続けることができるのです。

人は、一人では生きてはいけませんし、家族、親戚、友人、職場の同僚、近所の人、サークルの仲間・・・などと、お互いに信頼し合える関係を築きながらこの世の人生を送ります。隣人とは、単に隣近所の人、ということではありません。道ばたにうずくまっている人、困っている人、友達にいじめられている人、仲間はずれにされている人、意地悪をされている人、そしてつらいおもいをしている人など、あなたのほうから積極的にかかわっていき、隣人として愛することができますか。

人は生まれながらにして、ねたんだり、いじめたり、仲間はずれにしたり、うそをついたり、困らせたり、いじわるしたりという、罪を多く持っています。ひとはだれしも不完全で、完全なひとはひとりとしていません。しかし、ひとりひとりが成長する、反省する、悔い改めることで、より完全に近づいていくことができます。身の回りで、自分と意見のあわない人、気に食わない人、自分より能力が劣ると感じる人、のろまでいらいらする人、など、意地悪をしたくなる人がいるかもしれません。でも、その人たちはみんなあなたの隣人なのですから、愛さなくてはいけません。どのようにしたら愛する事ができるかを考えなくてはなりません。隣人を愛することであなたも愛されるのです。

相手を責めるのではなく、自分が相手に何をしてあげる事ができるか、自分の行為、言動で相手がどれほど傷ついているのだろうか、相手の気持ちをおもんぱかり、人々のつらさをおもいやり、みんなの幸せをおもうこと、それが、よい人間として、私たち一人一人が目指すべき隣人愛なのです。やさしい気持ちを持つこと、考えてみましょう。

看取り・見送り論争


2月なかばに医療センターで「看取り、見送りに主治医はどのように対応するかについて意見交換会」がありました。きっかけは医療センターで亡くなった患者遺族から投書があったことです。私は院外主治医という立場で、そのような意見交換会にはほとんど参加したことはありません。しかし、今回のテーマは考えるところがあったので参加しました。私の考えは(1)看取りや見送りは主治医として関与するのが当たり前である、(2)業務というよりは医師として患者、家族にかかわった人間としての気持ちの表現でもある、(3)先輩医師の行動をみて学び、先輩医師から伝承された技術も活用するのがよい、(4)看取り、見送りは、後輩医師が先輩の背中を見て学ぶべき行動学であり、伝承すべき文化である、に集約されます。意見交換会では医長クラス4−5人が意見を言いました。驚いたことに、一人をのぞいて、「看取りは当直医師に任せるべき、見送りは不要」との意見でした。医長クラスは皆、私と同年代か少し若手で、新設の単科医科大学卒業です。なので、背中を見せて後輩を育てることのできる先輩が身近にいなかったということもあるのでしょうか。文化としての伝承がなされていないため、私と同世代の医師たちが、後輩に向けて背中を見せて率先垂範することができないのではないでしょうか。看護部長も、「昔は先輩医師の背中をみて、ということがありましたが、今はそういう時代ではありません。」と言っていました。また、医師の中には、「死んだ患者よりも生きている患者が重要」とか、「東京あたりの病院では、看取りは当直医の業務、見送りはしない、ということをルールとしているところもあると聞く」、「翌日の業務に支障を来たし、リスク管理の観点からは、夜間の看取りは、当直医師の業務とすべきだ」など、背筋が凍り付くような意見の主張もありました。やや年配医師のフロアからの意見「死亡診断書をあらかじめ書いておくような無神経なことはするべきではない」に、「なんでそれがだめなんですか!? 当直医が経過を全部確認することなどできないわけだし、正確に記載できるのは主治医だ」と強烈に反対意見を主張する若手医師もいました。確かに業務としては合理的かも知れませんが、心情的にはなにか殺伐としたものを感じます。私もやはり、主治医が死亡確認の後、診断書用紙二枚とカーボン紙を引き出しから取り出し、カルテを確認しながら経過をまとめ丁寧な字で記載するのが常識的だと思いますけどね。そろそろ会も終わりに近づき、ああ、心をどこかに置き忘れてきた人々よ、生まれた時が悪いーのかー、それとも俺が悪いーのかーと嘆かわしい気持ちになっておりまました。すると司会の先生から、渡辺先生、ご意見はありますか、と水を向けられましたので上記の(1)から(4)までを述べました。最後にコメントされた院長は穏やかな口調で、医師として、また管理者としてすばらしい発言をされ、病院の背骨を明確にされました。それでやっと少し救われた気持ちになり、アウトランダーで雨上がりの夜道を帰宅いたしました。

がん患者の死 (3)


看取り、病理解剖に続いて、遺体のお見送り。私の医師人生で経験した患者の死の圧倒的多くが、国立がんセンター中央病院においてです。しかも今ある病院(1999年に完成)の前の建物の、古い古い、薄汚れた霊安室からのお見送りの場面が思い起こされます。霊安室から先の段取りは出入りの葬儀屋さんが取り仕切ります。出入り、というのもおかしな話ですが、毎月1日から10日までは○○葬儀社、11日から20日までは▽▽典礼、21日以降は□□葬祭といったふうにきちんと出入り日が決まっていたようでした。遺体が病院を出るときには、病棟の看護婦長から「○○さん、お帰りになります。」と連絡がくるので、絶対に手がはなせないような状況でなければ、霊安室の戸口の所に行きます。看護婦長や看護婦たちも行きます。それで、遺族に挨拶し搬送の車が門から出るまで見送ります。夜中に亡くなって朝までに遺族が帰りたいという場合は、看取りの業務を終えてから、医局とかで休憩して朝をまつ場合もあったと思います。そのような場合でも翌日の病棟や外来業務は通常どおりに行なうのが当たり前でした。ここまでが、看取り、病理解剖のあとの、遺体の見送りにおける医師の役割です。看取りから始まって、見送りまでの、手順、技術、儀礼などは、札幌での研修医のころ、そして国立がんセンター以降の医師人生を通じて学習したものです。オーベン、カウンターパート、先輩、指導者、診療グループ責任者、病院幹部、といった医師の先達が、当たり前のように振る舞う背中を見て覚え、しばしば技術的「こつ」を伝授してくれ、時に、遺族に対して非礼となるような行いをした場合などには、厳しく諌められたこともありました。また、友人、知人や家族の死を経験し、また、自分自身のキリスト者としての宗教体験から、死者への思い、心情は自然に育まれてきたものだと思います。