St.Gallen2015の印象


ザンクトガレン2015では、何かが大きくかわった、ということはありませんが、ざっくりとまとめるとだいたいこんな感じでしょうか。各領域で蓄積されたエビデンスが「ready for prime time」つまり、日常診療に着実に反映される準備ができました、という感じを強く受けました。しかし、一方で、「アナトミーからバイオロジーへ」という基本潮流は強く、確実に流れ続いており、やがて、近いうちに起きるであろう大きな変革が見えてきている、とも言えるでしょう。免疫染色でホルモン受容体、HER2タンパク、Ki67を評価するという(セピア色の)20世紀のプラクティスは、まだ当面、続けなくては行けませんが、すでに遺伝子関連検査が出来上がっており、舞台の袖で出番を待っています。と言うよりは、先進国・地域では、オンコタイプDXにしてもPAM50(プロシグナ)にしても、マンマプリント、エンドプレディクトなどの予後、予測検査やBRCA遺伝子変異検査などは、当たり前のように臨床で使用されており、セピア色の検査は影を潜め、驚くほどに、遺伝子診断に移行しており、日常診療に導入されています。一方、日本を含めた後進国では依然として20世紀あるいはセピア色のプラクティスを守らなければいけないという現状に、今回も、持って行きようのない怒りとも、不満とも、諦めとも、満たされない思いをしたのは私だけでしょうか。Dan Hayesなどは当然、先進国民ですし、バイオマーカー評価の第一人者ですから、「Ki67などという、analytical validityすら確立されていない検査は臨床の現場から消え去るべきだ」ぐらいのことを言います。また、PAM50などの遺伝子発現を見る検査を導入するのが当然であろう、と主張する若手専門家も多くいます。それはその通りですが、私達のような後進国の国民は、そこまでは割りきれません。なので、昭和の時代の検査のチューンアップで我慢しなくてはいけないのです。
(1) 昭和の時代の遺産を磨く努力
ki67はanalytical validityが成り立たないという限界を踏まえて対応する必要があります。ですから「低いと高いを一つのカットオフ値で識別するような努力はやめたほうがいい」ということです。そのかわり「明らかな低値は◯◯以下、明らかな高値は△△以上」として、「◯◯と△△の間を未決定ゾーンあるいは中間ゾーン」とする。そして、luminal AとBの区別のためには、Ki67値が未決定ゾーンの場合には、PgRの値などを考慮しで決める、ということでどうでしょうか。これは、イタリアの病理医師、Vialeの提案です。今回、そうなるかもしれません。

(2)世界の標準をとにかく導入するには・・・
遺伝子検査については、早く、当事者がアクションを起こさないとこの窒息状態は解消されません。PAM50をするにはnCounterの導入が第一歩、そしてQC/QAをしっかりやって、Nanostringsの定める基準を満たし認証されればよいのです。nCounterは、二年前は3億円とか言っていましたが、一昨日聞いたところでは3千万円に下がっていました。お父さんの病院を継承するQPくんは、遺伝子研究を続けていたので素養があり、今は仕事していない奥さんは臨床検査技師だっていうし、是非、継承するQP病院にQP電子研究所をつくってnCounatertとProsignaを導入し、全国のPAM50検査を一手に引き受けたらどう、と発破を書けておきました。

(3)「ready for prime time」のプラクティスははやく導入しよう
1.断端タッチオンインク
温存術のマージンは、タッチオンインクがほとんどのパネリストに支持されました。日本でも、その動向は変わらず、断端陰性の判断はマージン5mmなんて言っている連中は、有明にもいなくなりました。かつての一派がすこし言っているのは聞こえて来ますけどね

2 照射は寡分割照射が標準だ
私の住む地域の放射線治療医は寡分割照射に懐疑的です。なので私の住む地域は後進地域認定されます。ああ、情けなや!! しかし、今回、放射線治療のセッションでは、壇上の放射線治療医たちは、エビデンスを提示し、寡分割照射は標準!!と言い切っており、votingでも、それが指示されました。ただ、残念だったことは、放射線治療のセッションが始まると、多くの日本人外科医は、会場を後にして観光に出かけてしまったことでした。

3. 術前薬物療法が標準と考えてよいぞ
細胞毒性抗がん剤の術前化学療法は、市民権を得て、ready for prime timeといえるでしょう。GBG(German Breast Group)の功績は多大であり、Gunter von Minchwitzのリーダーシップには改めて感服します。pCRの意義がどうだこうだということは、ある程度整理がつき、これはこう、あれはどう、となったので、その辺り、いつまでつべこべ言っていても始まらない。

4. 術前ホルモン療法
術前ホルモン療法も、閉経後では、明らかなるLuminal Aには完全に標準で、その期間にはついては、前回までの「最大効果まで」から、「8ヶ月前後」にちょっと後退したが、手術をしたって、どうせ、ホルモンは合計で5年とか10年は使用するのだし、微小転移が起きているとすれば、それは、しこり診断以前の話だし、局所コントロ―ルが必要というのなら、局所の状態を慎重にフォローすればいいのだし、Mesenchymal-Epithelial Transitionとか言うのならその証拠が出れば信じるし、原発巣と全身と転移巣をシャトルバスのようにがん細胞が巡回する、というのなら、その巡回経路を遮断する意味でも、全身薬物療法が重要ということになるので、手術の意義について、もう少し、真剣に考えてみるのがよいでしょう。閉経前でも術前ホルモン療法は、術後で検証された、LHRHアゴニスト+よいAIをするのが、標準とまでは行かないけれども、通常使用することを積極的に考えてよいような風潮です。

5.術前化学療法
術前抗HER2療法は、すでに標準となっているので、あとは、使用する薬剤のの選抜をどうするか、ということになるだけです。ザンクトガレンでは薬価の問題は話題に出ません。国によって異なるでしょうし、保険の仕組みも様々であるし、豊かな国、貧しい国の差が大きいので共通の舞台では論じにくいのです。一つ言えることは、高価に応じた薬価という考え方を導入しないと行けません。スズキアルトに1500万円出す人はいない、カイエンターボならば出すよ、それと同じことです。

6.トリプルネガティブは、どうやら7つの病型分類が定着したと考えて良さそうです。それに基いて、治療が細分化される方向で検討が進んでいます。

広告

夏色のNancyと共に


ドイツ語でWien、発音はヴィーン、英語でVienna、発音はヴィエナ、オーストリアなまりのドイツ語だとWien、の表記で日本語にのウィーンに少しちかい、ウにてんてんではなく、ウにてんぐらいの発音になるそうです。日本語では、Wienを日本語的に読んでウィーンですが、ドナウ川も、ドナウ川(ドナウがわ、ラテン語Danubiusスロヴァキア語Dunajセルボクロアチア語Dunav, ドイツ語: Donau, ハンガリー語 Duna, ブルガリア語: Дунав, ルーマニア語: Dunăre英語フランス語: Danube:ダニューブ)と、ややこしい。それほどに長い歴史と、多くの民族と言語の入り乱れた複雑な地理の地域なんですね。なんで、こんな話をするかというと、今日の朝、羽田発のANA機で早朝にドイツのフランクフルトに到着し、ルフトハンザ機でヴィーン国際空港に。そこからは、パネリストの特権で、お迎えリムジンが用意されており、市街へ移動。同じ時間に到着したNancy Davidsonと一緒で、車内では、前出の発音の話で「That’s intersting. I didn’t know such difference.」ということでした。彼女はヴィエナははじめてだそうです。ちなみに私は2回目、15年前「Docetaxel is effective at a dose of 60 mg/m2」の演題をESMOで発表したことがありました。Nancyにヨーロッパに学会にはあまり来ないの?と聞いたら、very expensiveだし、アメリカにはレベルの高い学会がいくつもあるからね、という返事。そりゃそうだ、そりゃそうだ。また、2016年にDan HayesがASCOの会長をやるね、Breast Peopleは、会長やること多いね、といったらBreast Peopleは結束が固いから、というお答え、要は政治力と、同業者の仲良しこよし会で、日本の乳癌学会と同じだけど、日本ではBreast Peopleが癌治療学会とか癌学会の会長をやることはありません。それは、外科医社会の中で乳がんを専門というと、序列が下から4番目だからです、という話をしたら、Nancyは、That’s intersting.  一方アメリカではASCOの会長をやっているBreast Peopleは、腫瘍内科医であり、腫瘍内科医はグレードが高いからね、というと、Nancyは、I dont deny you. (否定はしないわ)とニヤニヤとしていました。日本では外科医が乳がんのケモをやっているという、絶滅危惧的特殊事情はとてもよくご存知でした。それで、Nancyは2016のAACRの会長は私がするの、と満面の笑みをたたえて言いました。DanがASCO、私がAACR、同じ年にどっちもbreast peopleよ、とのこと、会長をやるっていうことはとても嬉しいことのようです。それとか、20年前、1995年のSt.Gallenの時、Davosのスキー場で会いましたよね、という話をしたら、Yes, I remember that.  などなど、道中、Nacyとは夏色とまでは行きませんが思い出話が尽きなくて、INTI-0101はやっぱり素晴らしい研究でしたね、とか、SOFT/TEXTトライアルは予想したとおりの結果でしたね、といった肝心な話は全然せず、春色のダニューブ河畔を眺めながらの旅でありました。

 

何を言いたいんだかわからない時


St.Gallen2015の内容について京都、名古屋、熊本、東京などで話してほしいという依頼があります。光栄なことで喜んでお引受しました。今までもSt.Gallenの後にはこのような依頼がありまして必ずタイトルは「St.Gallen 20XX」として内容そのものずばりで一番わかりやすいと思うのでなんのためらいもなくそのようにしてきました。この手の講演はこちらが望むと望まざるとにかかわらず製薬企業がスポンサーとなります。参加者(聴衆)もそれは承知で講演はただで聞けるしスポンサーが懇親会の場まで設定してくれます。まあ、そのような風習が浸透しており、勉強は自分の金でするものだ! などとややこしい事をいう人もいないので製薬企業スポンサード講演会というのが当たり前という文化になっています。しかし、私も国家公務員であった時代から全国47都道府県を制覇するほど各地の講演会には出向いて来ましたし、講演料とか交通費は製薬企業のお世話になってきました。それが悪いという文化もありませんでしたし、講演のスライド準備とか、話の内容建てとかは、いつも工夫をして聞いてくれる方々に感謝されるように頑張ってきたので、それなりの報酬をうけとることは知的労働に対する正当なる対価と考えています。そんな姿を北大の加藤ちゃんは揶揄して「空飛ぶ治験屋」と命名してネガティブキャンペーンを張られてしまったのは2002年教授選敗退の年のことでした。そのキャンペーンが正しくなかったことはその後の歴史が物語っているところですが、世の中はそういうものです。それで話を講演タイトル「St.Gallen 2015」に戻します。今年は、TKD社が学会発表された内容を自社の営業に都合のいいように書き換えて講演会で使ったというおちゃめなことをやってくれたので、「学会発表内容を自社製品のプロモーション(販売促進)に使ってはいけない!!というプロモーションコードが製薬協でできて、自らを戒めて深く反省する、ということになりました。そのコードが間違って解釈されているようで「講演会に学会名を入れてはいけない」となったようで「St.Gallen2015」は、まかりならん、ということになったのですね、おかしな話! そのことは後でわかったことですが、打ち合わせの段階で、各社の担当者が入れ替わり立ち代わりやってきて講演のタイトルを「乳がん診療最前線の話題から」とか「世界の標準治療からみた乳がん診療」とか「乳がん標準治療2015」などでいかがでしょうかといってくる、なんか煮え切らない、引きつった笑顔で、うじうじ、もそもそ、へらへらというので「何を言いたいんだかわからないんだけど、St.Gallen2015の話をしてくれというから、そのように、わかりやすいタイトルをつけてなんでだめなの?」と聞いてもわからない、理由を聞いてもわからない、にゃんにゃんにゃにゃん、笑っているばかりのぜねこちゃん♪、という感じなのです。麒麟のお巡りさんから話を聞いて、納得はできないものの理解はできたので、「そんなことは論旨のすり替えではないか! 学会発表の内容を不正に変更して発表した悪行を禁止するのは当然であるが、それと学会発表内容は講演するなとか、学会名の一部をタイトルに入れてはならんという話は、全然、関係ない話ではないのでしょうか?」と担当者諸君に言うと、自分たちもそう思います、とはっきり言います。彼らはまともです。しかし、こころ貧しく品性さもしい製薬企業社員が販売促進を強いられて苦し紛れにやってしまった悪行は「われわを試みに合わせず悪より救い出したまえ」と祈り、悔い改めなければなりません。

もうすぐSt.Gallen2015


3月中旬にはSt.Gallen 2015が開催されます。パネリスト間でのスライドチェックも終わり、あと2週間でもう一度、予習をします。今回は内容的には大きな変更はないと思いますが、遺伝子発現に基づく予後推測、治療効果予測が世界では一般化しているのですが、日本では行政の切れ味が悪いため、なかなか承認に至らず、2年前と同じように「日本ではここに上がっているオンコタイプもマンマプリントもプロシグナもエンドプレディクトも、ガバメントがアプルーブしていません」と発言しなくてはなりません。そうすると周囲のパネリストから「オー、リアリー!?」と、驚きの声があがることになります。パネリストとしてはとってもはずかしいのですが、ジャパニーズガバメントが悪いのか、話をもっていく企業が悪いのか、後方から支援している医学専門家の不手際なのか・・・。

St.Gallenのあとは、国内でいろいろな先生がたに呼んでいただいて、内輪話をも交えて、日本の近未来を語る会があちこちで開催されます。これは、毎回、いつもとても楽しい会になり、討議、討論も盛んです。いつの、どこでだったか、にしやませんせいというかたが、「タモキシフェンが復活したり、わけがわかりません。そんなでたらめな専門家ってあるんでしょうか?」と、厳しいご指摘を頂きました。たしかに、2002年にアリミデックスがタモキシフェンに買った!! というランセット論文から、タモキシフェンの時代はおわり、すべてアロマターゼ阻害剤だぜ、となりました。その後、フェマーラも、アロマシンも、同じくアロマターゼ阻害剤はどれもこれも素晴らしい!!という論調になりました。しかし、日々の診療で、関節痛とか、骨粗鬆症骨折とか、体の冷え冷えを訴えをアロマターゼ阻害剤内服している患者から頻繁に聞くようになると、結構副作用強いな―、使いにくいなー、でもエビデンスではタモキシフェンよりいいって言うし・・・と思っているうちに、関節痛などの副作用の出る人のほうがよく聞く、なーんていうことをジャックキュージックが言い始めて、ああそうなのか、と患者さんに我慢して続けようね、よく聞いているっていうことだから、と言って続けるも、その後のデータで、タモキシフェンに戻してもいい、とかCYP2D6 遺伝 子タイプによっては効くかも知れない、とか、そもそもタモキシフェンとアロマターゼ阻害剤の効果の差の大きさは僅かなものじゃないの!? 5000症例とか9000症例の比較で有意差になるけど生存曲線みても肉眼では1本に見えるような差程度じゃあね・・ということも浸透してきて、タモキシフェン復活という話になり、世界のコンセンサスがより戻されたというわけでした。その辺りの微妙な経験知の蓄積を、にしやまくん、今ではわかってくれるかなー、ことしも熊本行くけど。

情熱をもって人を助けよ


教会の鐘の聞こえる街角で 働きたいという人がいる
私は地獄のすぐ手前まで 助けの船を漕いで行きたい

東京の築地の街の真ん中で 豊かなカリキュラムで研修したい医師がいる
九州の時化の海を超えて行く 私は離島医療に尽くしたい

我々は他者の苦しみを分かち合い その重荷を負い その必要を助けみたしてやるとき 医療者の本分が発揮される
このことをはっきりと自覚するならば 事情は変わってくるのではあるまいか 情熱をもって人を助けよ

(詠み人:オンコロプリンちゃん2号)

外科医がなんでもやりたがる時代


かつては外科医は手術を中心に何でもやらなければならない時代だった。外科学の発祥から現代まで、進歩につれて多くの学問を作り上げてきた。手術に伴う麻酔学や、無菌操作のための感染症学や、診断のための病理学などなど、である。移行期には外科医が麻酔をかけていたが、麻酔学、麻酔科が暖簾分け、分家独立して外科医がかける麻酔は「自家麻酔」と呼ばれるようになり禁止されるに至った。だから、麻酔学会の期間中は、手術ができなくなり患者さんは待たされる。学問の進歩とはこんなものなのだ。病理診断然りである。移行期には外科医が自分たちで病理診断を行っていた。病理学講座というのが大学にはできたが大学の病理医は数も少なく実験病理が本業で外科病理には興味がないという時代が長く続き、そのため、大学の外科学教室には自前で病理診断を勉強する外科医が育ち、病理学講座にはお世話にならなくてもうちで診断できるから、という時代が長く続いた。草野球で打順の回ってこない人が審判をするようなもので、客観性にかける、お手盛りである、ということで、次第に病理診断医のアルバイトとして「外注診断」が行われるようになってきた。質が保たれているかどうかは怪しいところだが客観性は保たれ草野球よりはマシである。これも学問の進歩である。感染症学、無菌操作などは、外科医が目くじらをたてて、手術前の手洗い道を若手に徹底的に教え伝承されてきた。しかし、感染症学が分家して専門的に検討してみると、古来よりの手洗い方法は無意味、不要ということになってしまった。今や、手術前の手洗い道は伝統芸能と化しているが、脱皮できない外科医が今でも伝統芸能を手洗い場で披露しているので見学希望のかたは手術場の看護師にお尋ねください。学問の進歩とはこんなものだ。昨日、第11回中部乳癌会議が開催され、例年通りの白熱したディベートと、昨年から取り入れた、ディベート対称となるような「uncertain」「グレーゾーン」「イクイボカル」「イクイポイズ」「イクイクミコ」の成り立つような臨床問題(クリニカルクエスチョン)について、臨床試験のコンセプト立案というセッションは実に内容の濃いものであった。岩田先生も私も半生を傾けたといえるぐらい、長い期間、臨床試験に関わってきたし、新しくファカルティメンバーに加わった安藤正志先生は近代臨床試験学の祖といえるぐらい、プリンシパル、ストラテジー、タクティクスを心得ているので、彼のコメントは鋭く、この討議は実に充実し、そのうちここで生まれた臨床試験も多数走りだすだろう。さて、初日には、津川浩一郎先生に、「若手に送る言葉」を1時間語ってもらった。特に乳腺専門医については、私とは多くの乳腺外科医との間に意見の相違があるので、津川先生の話には、全く賛成できないような内容ではあった。しかし、津川先生の取り組み、20世紀型のなんでもやりたがる乳腺外科医の現状を手際よく、印象的に、美しく語ってくれた。津川先生の優しくおおらかな人柄も感じることができた。乳腺専門医として、乳腺外科医が検診、画像診断、病理診断、薬物療法、手術、遺伝子診断、緩和医療などなど、全てをやりたがる20世紀の話は、21世紀を生きていこうとする若手にはどのように受け止められたのだろうか? 学問の進歩は、細分化と統合の繰り返しだから22世紀には再び統合されるようなことがあるのか? 病理診断やサブタイプ分類などは、簡便なリトマス試験紙みたいのができていて、ぺろっと舐めると即座に答えがでるような時代になるのだろうか? 時代の進歩の方向や速度を見誤らないようにしよう、というのが若者へ伝えるべきメッセージである。中部乳癌会議ではもう一つ面白い話を聞いた。三重県では東京で標準となっている治療が県庁所在地の津に伝わるのに10年かかり、そこから県境の市町村に伝わるのに20年、計30年かかると言うのだ。辺境地域ではいまでも「Bt+Ax(乳房切除と腋窩郭清)で薬物療法なし」が乳癌の標準治療なのです、という話には説得力があった。もう一人、世の中を知り、洞察力のある三重県からの参加者は、三重大学ももっと頑張ります!!という力強い宣言も聞かれた。大府乳癌会議は今年も有意義な二日間であった。来年は山内英子先生をお迎えする。帰りは恒例の清水家うなぎ祭で締めくくった(文責:おんころぷりんちゃん)。