忙しいのよ 乳癌学会


乳癌学会の前日の火曜日は青森県立中央病院の外来だったので青森から札幌に移動すれば楽ちん楽ちんと思いきや、意外と不便で結局、羽田に飛んで羽田に泊って羽田から飛んで札幌入りした。薬物療法のセッションはほとんどが術前薬物療法でどれもこれもレトロスペクティブで小規模で結論の出ない試験もどきである。臨床試験の「り」もわかっていないような発表や、遠隔転移のある症例もひっくるめて、同じレジメンで「術前化学療法」の効果を論ずるというあきれた発表もあった。エビデンスを尊重する心、臨床試験の基本、など、乳癌学会には、大切な理念がまだまだ積み残しだ。臨床試験の障害とその克服、というタイトルで、高塚雄一先生と一緒に司会を任されたプレジデンシャルシンポジウム。プレジデンシャルシンポジウムは3つあって、これは「2」である。つまり、2番目。当初2日目の午前中に開催されることになっていた。それがいつのまにか「2」と「3」が入れ替わって、2日目の午後に。しかも昼過ぎのロボットだかなんだか、わけのわからない話がのびのびとなり、その次の霞先生の胸を打たれるような話も、早く終わるようにと司会からせっつかれて、水をさされた形に。その次のプレジデンシャルシンポジウム2も30分遅れでの開始となった。しかし、幸い穂積先生以外の縁者はみんな12分きっかりで発表。質疑応答分にとっておいた3分を集めて20分ぐらいで総合討論を展開することができ10分遅れで高塚先生に上手に締めくくって頂いた。残念なことに、プレジデンシャルシンポジウムと言うのにプレジデントは会場にいない。また、臨床試験に積極的に関与している先生たちも並行するセッションに張り付きで会場には来られない。また、会員の多くも、他のセッションに吸いつけられて会場は、閑古鳥がぱたぱたと飛んでいた。マンモグラフィのフィルムリーディングや、病理診断コーナーも、長蛇の列。途中であきらめて帰って行った会員や、ぶーぶー文句を言っている人もいた。全体的に、プログラムの配分も、二日間ではこなしきれない内容になってきたので、乳癌学会もそろそろ会期を三日間にしないと、意味のある勉強ができないのではないか。木、金、土の三日間でもいいと思うが、どうよ。市民講座はなくてもいい、どうよ。そうしないと乳癌学会は忙しすぎるのよ。
 

6月の出来事


めまぐるしく毎日が過ぎゆき、気づいたら6月も半ばを過ぎていました。6月の出来事を振り返ってみましょう。1日(火)は杏雲堂病院創立記念講演会があり「がん薬物療法最前線」という演題で講演しました。一般の人々にもわかり話をしてほしいと黒川理事長からのご指示をいただきましたので、かなり噛み砕いた内容で話をしました。一般の方々からはおほめの言葉をいただきましたが、杉村隆先生からは「渡辺さんね、もっと科学的に話さなきゃだめだよ」って。ふん、知るか、という気持ちを抑え、笑顔で「ご指摘ありがとうございました。」とお答えいたしました。お~、亨ちゃんもおとなになったね~と、E先生からはおほめのことば。がん診療拠点病院はきょとん病院だから見直すべきだ、という持論を展開し、会場の垣添忠生先生に、どうでしょう、とうかがったところ、私だってあれはおかしいと思っているよ、と頭から湯気をだす勢いでおっしゃっておりました。是非、見直して頂きたいものです。懇親会では杉村隆先生が「制度疲労を起こした施設がふたつあり、ひとつは、杏雲堂病院、もうひとつは国立がんセンターなんだな」とあいさつされました。なにぃ~!制度疲労だってえ~? その元凶をつくったのは、あんただろうー、斬りー!(古る~い;一_一)とは、言いませんでしたが、そのとおりだよね、という声があちこちから聞こえてきそうですね。講演会には杏雲堂ゆかりの方々が多数お越しになっており、歴史の重み、人間の和の温かさ、というのも感じることができました。よい会でした。
6月は、とある事情があって浜松の外来診療を私が大部分担当しなくてはいけなくなり、急遽、ASCO行きをキャンセルしたのです。だから、例年お送りしている「ASCOは楽し」レポートは今年はお休みです。ASCOはVirtual Meetingでひととおり勉強しました。来週は乳癌学会ですが、土曜日には外来をしなくてはいけないので金曜日の出番が終わったらすぐに浜松に戻らなくてはなりません。でも、千歳空港のすし屋「はなぶさ」で、ボタンエビ、ウニ、トロ、いくら、ほたて、もひとつ、ボタンエビ、は、どんなに急いでいてもはずせませんね。7月は今回で最終回となる最新情報カンファレンスに初参加、宮良先生の細やかな気遣いと周到な準備には頭が下がります。7月は落ち着いて過ごせることを願ってやみません。7月4日は父の命日です。また、暑い夏がやってきます。