よのなかばかなのよ


世の中は、だんだん住みにくくなっているように感じます。先日、車を買いました。車の上に、荷物を載せられるようにキャリアをつけるように依頼したのですが、納車の際、ディーラーはキャリアを取りつけずに箱に入れたまま車と一緒に持ってきて、当局の指導で、キャリヤは使用直前に取り付け、使用が終了したら取り外してほしい、そのため、ディーラーで取りつけることはできません、ということでした。当局の下らない指導の結果、ディーラーは事なかれ主義になり、ユーザーに不便を強いているのです。くだらない法律や、ばかな当局の指導のおかげで、世の中は、だんだん、冷たく住みにくくなっています。

病院では、DPCが普及しています。DPCとは、Diagnosis Procedure Combinationの略です。よっぽどセンスの悪い人が造ったのでしょう、変な英語の変な略が変なふうに使われています。まるで、ホットひとつ、フレッシュはいりますか? みたいな感じです。従来の診療行為ごとに計算する「出来高払い」方式とは異なり、入院患者の病名や症状をもとに手術などの診療行為の有無に応じて、厚生労働省が定めた1日当たりの診断群分類点数をもとに医療費 を計算する定額払いの会計方式です。 平成15年4月より大学病院・特定機能病院において試行が開始され、平成16年4月より試行する医療機関が民間にも広がりました。しかし、外来診療は、すべて従来の出来高払いです。厚労省のもくろみは、こうすれば、入院が短期間になり、医療費が倹約でき、国民総医療費を減らせるだろうということですが、病院も収益を上げるために、DPCの様々な抜け道を探しています。昨日、こんな話を聞きました。
DPCでは、手術のため入院し、手術で切除した標本を、患者が入院中に免疫染色など詳しい病理検査をすると、収益が減ってしまいます。そのため、S岡がんセンターでは、退院後の最初の外来の時に、外来検査として入院中に採取した検体の病理検査を詳しく行い、その分を外来検査として請求すれば、包括されない、という賢い建ちゃん方法をとっているそうです。しかし、これだと、検査結果が出るのに時間がかかるので術後の薬物療法等の決定が遅くなる、入院中に検査を済ませておいてくれれば、安く済むのに、外来検査となるので出費がかさむ、など、患者にとっては二重の迷惑になります。病院の言い分もわからないでもないけれど、そもそも制度的に不完全なDPCなるもの、ここらでもう一度、考え直したらどうでしょうか、社会主義国家じゃああるまいし。くだらない法律や、ばかな当局の指導のおかげで、世の中は、だんだん、冷たく住みにくくなっています。
今日は、休日当番、風邪、熱、頭痛の大人や、蜂に刺された子供やら、朝からぽつぽつと20人ちょっとの外来患者がやってきました。内科医としての当然の実力と義務で対応し、必要な処方をして、SPIKESで説明して、お薬を出しますから、薬剤師から説明を聞いて受け取ってくださいね、というと、えっ? ここでお薬もらえるんですか? 他に行かなくってもいいんですか? と患者さんは皆さん喜びます。院外調剤は実に不便ですよね。当院は、有能な薬剤師を2名雇用し、がん治療のみならず、一般内科診療も、院内調剤で対応しています。薬150品目の薬剤に限定しなくては、不良在庫が増え、無駄が多くなるので、内科の薬は医学書院から出ている「内科医の薬100」に準拠しています。院外処方は、患者にとっては不便以外のないものではないですし、外来化学療法患者では、調剤薬局で内容も理解されずに内服抗がん剤、ホルモン剤や、吐き気止めなど、がん治療の支持療法が処方されてしまう、という恐ろしい事態が発生しているのです。不便で危険な院外調剤なるもの、ここらでもう一度、考え直したらどうでしょうか、北朝鮮や中国じゃあ、あるまいし。くだらない法律や、当局の薬系技官のエゴのおかげで、世の中だんだん、冷たく住みにくくなっています。

転移は手術するべきか? (2)


大腸がんの手術後、数年たってから肺に転移が見つかり、原発病巣には再発はなく、また、肝臓など、他の臓器にも転移のない患者の治療について、腫瘍内科医と外科医との間で、意見が分かれます。外科医は肺転移を手術で取るべきだ、と主張します。その根拠は、「今までの治療経験によると、大腸がん手術から肺転移診断が診断されるまでの期間が長い患者、あるいは、肺転移が少なく技術的に切除可能な患者では、切除後の生存期間が明らかに長いので切除する方がいい」というガイドラインなどの記載です。しかし、腫瘍内科医は、肺転移を切除するよりも、全身的に効果の及ぶ薬物療法が必要であると反論します。それは目に見えない微小転移の存在を考えているからです。
大腸がん手術から肺転移までの期間が長いという患者は、もともと、がん自体の増殖が遅く、肺転移後の寿命も長いようなタイプの大腸がんである可能性があります。また、今までの治療経験で、肺転移が少なく技術的に切除可能な患者とは、つまり、転移病巣が小さい患者が選ばれて手術されたという可能性があります。逆に、肺転移が大きい、数が多いなどの理由で、技術的に手術ができない、あるいは、高齢であるとか、心臓や肺の働きが悪いような患者では、手術自体の危険があるので、手術を行わなかったという可能性もあります。すなわち、過去の経験では、がんの性格がおとなしいような患者、あるいは元気の良さそうな患者だけを選んで手術をした結果、「手術をする方がよい」という結論に至った可能性が十分にあります。手術がよかったという話ではないのかも知れません。ただ、胸腔鏡など、体に負担の少ない方法で手術が出来るのならば、手術の害悪、危険はほとんどないと考えられるので、手術をしても悪くはないでしょう。しかし、大腸がんに対する薬物療法が進歩してくれば、乳がん同様、肺転移を手術で切除するという選択肢は消えていくでしょう。

転移は手術するべきか? (1)


夏休みということもあって、ややまったりとした雰囲気で時間がながれてるようないないような。以下の文章は、朝日新聞静岡版連載記事転用でご容赦。

がんは最初に発生した部位(これを原発病巣と呼ぶ)から、がん細胞が血液の流れに乗り他の臓器に移り、そこで増殖します。これを転移、転移した場所を転位病巣と呼びます。転移は、肺、肝臓、骨、脳などの臓器によく起こります。転移病巣を手術する意味があるかについて、腫瘍内科医と外科医との間でしばしば論争になります。外科医は技術的に手術できれば手術する、腫瘍内科医は、手術すれば、治癒するのか、寿命が延びるのか、を考えます。
肺転移を例に考えてみましょう。転移は、原発病巣に対する治療後、定期的な検査として行われる胸部レントゲン写真やCT検査で診断されることが一般的です。転移は、通常、1-2cmのまるい影として映ります。その場合の治療は、同じ肺転移と言っても、乳がんからの肺転移と大腸がんからの肺転移とでは、多少意味が異なります。乳がんは、ホルモン剤、抗がん剤、抗体療法といった薬物療法がよく効くので、転移であることが明らかな場合には、肺転移病巣を手術する意味は全くないと言っていいでしょう。薬物療法で長期間にわたりがんが消えてしまうこともよくありますし、稀にがんが消えたまま治療終了後もぶり返してこない、つまり治癒したと思われる場合もあります。「転移であることが明らかである」とは、影が二つ以上ある場合とか、乳がんの腫瘍マーカーが血液検査で高い値を示している場合などです。肺の影が一個だけの場合には原発肺がんの可能性もあるので、手術で白黒つけなくてはいけません。
では、大腸がんからの肺転移はどうでしょうか。学術論文やガイドラインを読むと、「今までの治療経験によると、大腸がん手術から肺転移診断までの期間が長い患者、あるいは、肺転移が少なく技術的に切除可能な患者では、切除後の生存期間が明らかに長いので、切除する方がいい」と書いてあります。これは果たして本当でしょうか? 次回、この問題を掘り下げて考えてみたいと思います。

戒律主義の復活


地域講演会には、○○懇談会、○○疾患研究会、○○セミナー・・なんちゃらのタイトルがついていて、私たちはよく、その「to特別講演」というところに呼ばれる。その講演の前に、製品説明会という10分程度の前振りがあり、そこは主催している製薬企業の学術担当者がスライド10枚ぐらいを使って説明するのだが、通常、だれも聞いていない、質問も出ないし、拍手もない。むしろ、参加予定者が集まるまでの時間稼ぎのような感じだ。ところが、今後、われわれも講演では、そのような製品説明以外の話はしてはいけない、ということになるかもしれない。そもそも、地域講演会を企画する立場の、その地域ごとの先生方(使い慣れた表現でいういうと地方の豪族)からしてみると、特別講演では、最新の情報とか、学会の速報ネタとか、わりと奇抜な話とか、洞察深き講演とかを期待しているのであって、スポンサー企業の薬剤の保険適応となっている使い方の話を聞きたいと思っているひとは少なかろう。もっとも、我が国で保険適応になっている用法、用量での、卓越した治療経験とか、その根拠となった有名な臨床試験の話、というのも、味付けをうまくすれば聞いてみたい講演となるだろう。最近、例の製薬協の取り決めがまた、ばからしくなったようで、昨日は、その説明にわざわざ東京の本社から担当者が来た。「月末にお願いしている弊社主催の講演会で承認されている用法、用量以外の内容の話しはしないでください。」という内容である。「わかりました。御社の製品の話は一切するつもりはありません。別社の製品の最新の話題ならば問題ありませんね。別虎銭火の閉経前乳癌での最新の話題などをしようと思っていますが、どうでしょう?」と話すと担当者は、「それならば問題ありませんが、何かさびしいものがありますね。」との反応。あなたはさびしいかもしれないが、講演を聞きたい人はうれしいのではないでしょうか。世の中は、くだらないルールが益々、横行しはびこっておいる。この件もそうだし、COIの話も拡大解釈する馬鹿もいるし、これではまるで、ユダヤの戒律主義である。安息日に仕事をしたキリストイエスは、きっと同じような心境だったのではないだろうか。

えっ またアガリクスの話?


朝日新聞の連載記事です。これを送ったら担当編集者の方から、大丈夫ですか? との御心配を頂きましたが、大丈夫もなにも、効果もないものが、危険性をはらみながらいつまでも中途半端な形で世の中に出回ることが問題だと思っています。同様のことは、丸山ワクチンにも言えます。明確な効果もないまま30年近く、いつまでも消滅しないのは、いくらなんでもおかしい話です。

朝日新聞静岡版 7月8日掲載記事 「アガリクスには気をつけろ」

治療が終了してひと段落すると、知人や友人などからさまざまな「サプリメント」とか「健康食品」を、がんにいいから、と言って勧められることがあります。なかには、とんでもない高価格をふっかけてくる悪徳業者もいると聞きます。サプリメントとは、栄養補助食品という意味で、ビタミン、ミネラルなどの栄養が不足している場合には必要かも知れませんが、バランスの良い食事を摂っていれば、補う必要はありませんし、とりわけがんにいい、というサプリメントはありません。胃がんの手術後に、鉄やビタミンB12が不足することがあるので、その場合は、定期的に注射で補う必要があります。

また、健康食品の中には、むしろ体に害悪があり、健康を損なうものが紛れ込んでいることがあります。私は、これらを不健康食品と呼んでいます。その代表選手がアガリクスです。アガリクスは、ひめまつたけとも呼ばれ、一時、がんに効くともてはやされ、健康食品として薬店などでも売られていました。アガリクスには、とても悲しい思い出があります。10年近く前、私が国立がんセンター中央病院に勤務していたころ、アガリクスを飲んでいた3名のがん患者がたて続けに劇症肝炎で死亡したのです。アガリクスによる肝障害は、その後も他の病院からも報告されています。それ以来、軽度といえども肝障害が認められた患者さんには、アガリクスを飲んでいませんか、と聞くようにしています。厚生労働省では、この問題について検討し、国が定めた安全性や有効性に関する基準を満たした場合は「保健機能食品」と分類するようになりました。しかし、わらにもすがりたい患者の気持ちに漬け込み、今でも、ある種のキノコ、海藻からの抽出物でがんが消えた、というようなうその宣伝を見かけることがあります。効果もなく、危険をはらんでいる可能性もあるわけですから、健康食品というあいまいな分類のものには手を出さないようにするべきでしょう。

介護の世界がわからな~い


街かどがん診療を始めて6年、高機能診療所の意義、診療所薬剤師の重要性などが見えてきた。また、外来化学療法を受けていた再発がん患者を、引き続き「シームレス(切れ目なし、つなぎ目なし)に在宅での療養につながるためには、介護、介護保険などについても理解を深めなくてはいけないことを痛感している。同時に、介護に携わる人たちが、がんのことをあまりに知らなさすぎる、ということもわかった。つまり、がんをめぐる医療と介護の連携、ということが、全然できていないということ。我々も、介護福祉士とか、介護支援専門員とか、あるいは、介護に携わる看護師の役回りとか、あまりよくわかっていないのである。それなので、「がんを取り巻く医療と介護の相互理解のために、がんになっても安心して暮らせるためのまちづくりのためのなかまづくり」と題して、7月2日にがん情報局主催の第1回の勉強会を開催した。最初に私から「がんを理解しよう」について講演した(講演ファイルはがん情報局WEB)に掲載してあります。後半は、居宅介護支援事業所(といっても実態がまだよくわからないのだが)の主任介護支援専門員(といっても実態がまだよくわからないのだが)で主任ケアマネージャー(介護支援専門員とケアマネージャーとは同じ肩書なのか、英語で言っているだけなのか、それもよくわからないのだが)の佐藤文恵さんが、在宅看取りの事例を紹介し、介護の実態、問題点をわかりやすく提示してくれた。引き続き、約50名の参加者に5-6名づつわかれてもらって、グループ討議で、何がいったい問題なのか、とか、どうなれば、もっとやりやすくなるのか、など、ブレインストーミング的な話し合いが行われた。私も一グループに張り付いて、議論に参加した。そこで分かったこと、例えば、病院をそろそろ退院し、在宅で過ごしたいという患者がいると、病院で開催される退院前カンファレンスに、ケアマネージャーらが出向いて行くが、その部分の活動は、全く報酬にならず、全くのサービス、ボランティアであるということ、今までの介護が「高齢者・認知症・ADLのゆっくりとした低下」という枠組み、時間軸のなかで構築されたいたが、がん患者の場合、先週と今週とは全く違う、昨日と今日でも調子が全然、異なる、ということもあり、スピードのある対応が求められること、介護福祉士とか、介護支援専門員といった職種は、医療職としての背景を持っていないので、退院前カンファレンスで討議されることが、おおかた、ちんぷんかんぷんであるということ、など。課題は多いが、解決の方向性は見えてきたので収穫は大きかった。
また、関連して別の話しだけど、6月のはじめに、在宅療養を望む患者さんの訪問看護をお願いしたところ、在宅診療医師の指示で2000ml/日の輸液が行われた。数日後に呼吸困難が増強した。お願いした以上、文句は言えないが、ホメオスターシスの低下した患者の補液は500-800ml/日に絞らないと、アルブミン低下→膠質浸透圧低下→肺水腫という展開は容易に想像できる。2週間前に講演した緩和医療薬学会でも、既にガイドラインに基づいた補液管理が大切であることがしきりと強調されていた。不適切補液による状態悪化は、レジデントの頃に「水のやり過ぎは、根ぐされに注意」というわかりやすい表現で、阿部薫先生から教えてもらったことだ。内分泌学の大家である阿部薫先生は、30年前から、終末期患者の適正補液について口やかましく言っていた。そんなこともあり、緩和医療薬学会での帰り道、品川駅から阿部先生に電話して「先生が、昔、うるさく言っていた終末期のがん患者の補液の話、今日参加した学会で、もう、完璧なガイドラインが出来ていましたよ。先生の言っていたとおりですね。」と申し上げたところ「そうか、俺、そんなこと言ったか、もうわすれたよ、亨ちゃんに任せてあるんだから。それよりもなあ、お前、読売新聞読んだか、垣○の馬鹿が、また、とんでもないこと言ってるぞ。あいつは、全部、てめえがやったようなつもりになってんだから、ほんとに、あいかわらず、あいつは馬鹿だな。」と、相変わらず、熱くメラメラと燃える上司のエネルギーにあらためて触発された品川駅でした。