天下の悪法「個人情報保護法」を考える


浜松医療センターが日本初の「オープンシステム病院」として開院したのは1973年(昭和48年)で、母体となった浜松市医師会病院が発展的に移行したものです。オープンシステム病院とは、病院施設、医療者の智恵を院外主治医(医師会々員)と院内主治医(病院勤務医)とが協力して活用し、患者の診療にあたる仕組みです。この仕組みができた当時は、浜松市医師会員の100名近くが、オープンシステム機能を利用していました。具体的には、浜松医師会員が各自の診療所で昼過ぎ(あるいは夕方)まで診療した後、往診の形で、医療センター入院中の患者を回診し、その際、院内主治医と、意見交換したり、退院後の対応を決めたりと、今で言うところの病診連携で、しかも顔の見える形での有機的な連携が実現されていました。

私の父渡辺登氏は、このシステムの定着、実践にとても熱心でした。私が医学生の頃は、帰省の度に白衣を着て父の後について医療センター回診に行ったものでした。医療センター医師、院外主治医、看護師、放射線技師、病理診断医といった人たちとも、いつの間にか知り合いになり私は「渡辺登先生の坊ちゃん」と格付けされておりました。時代は下り、2005年に私が父の後を継いで浜松に戻ってきた頃、同じように、父と一緒に医療センターを回診するのが日課でした。しかし、状況はだいぶ変わっていました。そもそも浜松市医師会員でオープンシステムを活用している医師は10人たらず、年配の医師ばかりでした。いくつかの病棟をまわっても、ナースステーションからは、どこのじいさんが来たんだ? みたいな目でみられていましたが、父は一向に意に介せず、右手を挙げて、後はよろしくと、意気揚々と階段を降りて行きました。2007年に父が他界した後も、私は浜松オンコロジーセンターでがん薬物療法を担当した患者が入院した際の回診、診療カンファレンスや、病理診断カンファレンスなどをオープンシステムの利点を活用して院内主治医との討議、意見交換の形で活用し、治療方針の決定、手術の是非に関するディベートなどをしてきました。このような活動は「真実は必ずしも一つではない。」「Aという考え方もあればBという考え方もある」という懐の深さや、ロジカルシンキング、すなわち、自分がなぜAという治療方針がいいと思うかを、相手に分かるように、論理的に説明する鍛錬になり、EBMの基本でもあります。また、「カンファレンス」の語源は、con = いっしょに、力をあわせて、ference=物事を遂行する、話し合う、という意味。時間と場所と、情報と知識と理解を共有して、正しいことに肉薄することです。このような理念がオープンシステム、病診連携には内包されているのです。

Conferenceのconは「一緒に」ということですから、討議の対象は、院内症例も、院外症例も、院内主治医と院外主治医が討議対象としてしかるべき、それだからカンファレンスの意義があると思うのですが、今日、浜松医療センターに行ったら病理の小澤先生に呼ばれて、「このような形の病理カンファレンスは、個人情報保護法に抵触し、病院機能評価でも咎められるし、がん専門拠点病院の認定要件にも抵触するので、今後、廃止したい、との下知(げち、女城主直虎参照)が下りました。院内症例は勤務医の所轄の問題なので勤務医だけで討議する、院外症例は院外主治医の所轄なので院外主治医だけが討議するよう、病理カンファレンスを別々に行う、ということです。がん薬物療法の専門家からすれば、所轄以外の院内症例の治療方針について外科医にとって有益な助言、提言、示唆、指導があると思います。たとえば、国立がんセンターでの外科内科の合同カンファレンスでは、内科は所轄以外である外科担当症例についての意見を述べますし、外科も内科提示症例について、外科の立場から提言をしてくれます。このような異なった立場、異なった専門、ことなった経験を背景として専門医療者が、智恵をあわせる、ともに事を進めることは極めて有意義なことであるのに、今回の下知は、そのような英知を崩壊させるものであると思います。

我々医療者は、様々な律法により「守秘義務」が既に課せられています。「業務上知り得た患者の情報は口外しない」ことは、ルールを超えた、マナーであり、常識であります。正確な基礎情報を提供する電子カルテを供覧しながらの討議では、患者の個人情報は当然共有されます。匿名化していない情報は、要配慮個人情報に該当し、これを、所轄症例ではない医師が知ることが、「不適切な第三者への提供」ということになる、と個人情報保護法の規定を解釈するのなら、小澤先生の言い分は、間違ってはいないでしょう。しかし、カンファレンスの廃止で失うもの、患者が被る不利益も多大なものとなることは、専門家の立場でないと分からないことですが、大問題であります。刑法134条により医師は既に法的に秘密漏洩は硬く禁じられており、オープンシステムの理念を正しく理解した医師は、「最も適切な、客観的意見を提言できる理想に近い第三者」であるのです。個人情報保護法が発行されて以来、医療者は、訳の分からない呪縛におびえ、本来、共有すべき情報を不適切に隠蔽していると思います。過剰反応も目につきます。

ユダヤ教では600を超える律法に縛られています。そこに登場した主イエスキリストは、600を超える律法よりも、もっと大事な教え「神を畏れ、隣人を愛しないさい」を説きました。悪法を廃して、事の真実を見つめること、それが今の社会にも大切です。個人情報保護法の呪縛は、いったん横において、我々が今、なにをなすべきかを、小澤先生もよく考えてみたらどうでしょうか。ついでに新院長も。

乳腺外科医の時代的変遷


新時代

今週月曜日に東京の名門病院で研修をしている若手医師が当院に見学にきました。若手医師は乳腺外科を志望しているとのことですが、現在の病院では画像診断医がMMGの読影や超音波診断、針生検を行い、薬物療法は全て腫瘍内科医が担当しているそうです。それはそれで正しい姿ですが、若手医師にしてみると今後の我が身の姿、自分の役割をどう描いていったらいいのかと、深く深く考える契機になったようです。そこで上の図のような私の持論を絵に描いて渡して説明しました。これは乳癌診療のみならず他臓器のがん診療における役割分担の変遷としても当てはまることだと思います。20世紀、昭和の時代は、乳腺外科医が診断から終末期医療までを担っていました。ところが、私のような腫瘍内科医が薬物療法を担当、P子先生のような診断医が画像診断、針生検を担当、となっていると、らっきょうの皮むきのように、皮をむいてむいてむいていくと中心に小さく残る領域は、「手術」であり、乳房温存術、センチネルリンパ節生検、腋窩郭清 などの技法です。乳房全摘後の再建は、人工物を使う手技も、自家組織を使う手技も「形成外科医に丸投げする」という選択肢を乳癌学会はとりました。しかし、ツバル(海面上昇により国土が縮小した島国)のように領域が狭く狭くなってきた状況で、新たな領土となりうる、人工物を使用した再建術、これを手放したのは実に痛いのではないでしょうか。しかし、これから乳腺外科医を目指す若者は、oncosurgeryだけではなく、plastic surgeryも、我が身の修練の対象とするべきであると思います。諸外国ではすでに「oncoplastic surgeon」という守備範囲で乳腺外科医が活躍を開始しており、先日、ドイツデュッセルドルフに見学に行った女医さんから来たメールには「渡辺先生のおっしゃるとおりドイツでは、薬物療法をやっている外科医はいなくて、外科医は、再建手術まで担当しています。」ということでした。次世代を生きる現在の若者は、新しい姿を模索するべきであり、現在の20世紀型の乳腺外科医はワーキングモデルにはなり得ない、と心得るべきでしょう。

正しい知識は安心の灯


ただしいちしきはあんしんのともしび
昨今のマスコミ報道を見ていると、有名人が乳がんになり間違った情報、間違った知識、間違った理解に基づいて、とんでもない、いかがわしい、あきれた治療(治療とは言えないような民間施術)をうけ、あげくのはてに同じ病気の多数の人たちを不安と混乱にに陥れている、という現象が見受けられます。有名人の状況についてTwitterやFacebookなどのSNSで不用意に発言すると血祭りにあげられたりブログが炎上したりと、ろくなことがありません。私は頑なに「有名人の病状公開は単なる売名行為でありいちいちコメントするに値しない」という立場を貫いています。
それにしても抗がん剤治療にしても術前薬物療法にしてもホルモン療法、分子標的療法にしても手術や放射線の意義にしても、「有名人の病状公開」の内容はどうかと思うような内容が大変多いです。しかし、これを真に受けて、同じ病気であってもまったく関係の無いような症状であっても多くの人々がかえって不安に陥っている現状は本当にかわいそうに思います。全ての患者が正しい知識を持てとは言いませんが、もし、正しい知識を提供できる医師に巡り会えれば、それは、不安に迷える人々にとっては安心に導く灯(ともしび)でありましょう。難しいことはわかりません、という人も多いと思いますから、そんな場合は少なくとも「有名人の売名行為」の報道などの間違った知識や情報に振り回されないよう、冷静に安心の灯を探してほしいと思っています。