大きな病院の落とし穴 -その2-


週刊朝日が今でもピンぼけのようにやっている「病院ランキング」、副題には「疾患別手術件数徹底調査」などとある。手術を沢山している病院ほど、手術がうまい、病気がよく治る、傷も小さい、などと思っている一般人が多いようで、それを煽っているのが手術件数順のランキングである。大きな病院と評価されるためにイソップ童話の「牛みたいに大きくなりたくて空気をめいっぱい吸い込んで破裂したカエル」のように、キャパを超えて手術件数を増やす、それに伴って手術の質が落ちる、ということはよくある。ランキング上位の病院では、年間乳がん手術数500とか800とか1000を超えるところが白鵬、稀勢の里クラスである。ところが、手術の内容は20世紀のまま。つまり、細胞検査で「がん」と診断がついたら温存手術はしてセンチネルリンパ節生検はする。それで術後の治療は、バイオロジーよりもアナトミー情報、つまり、腫瘍径だったりリンパ節転移ありなし個数を優先して決定するというもの。先生とこ、遅れてるね、と冗談めかして言ってみると、針生検で病型分類して術前薬物療法をしてというのは、手間暇かかるし病理も仕事が増えるからと対応してくれない、というような答えが返ってくることが多い。なぜ、だめなんですか? という反応もあってあきれる。キャパを超えた「件数一流病院」は、クオリティでは二流、三流なのである。朝日くんもそのあたり、まだよくわかっていないようだ。

 

大きな病院の落とし穴


大きな病院で診てもらいたいので紹介状を書いてください、という患者の申し出にはもう慣れっこになった。はい、わかりましたと上機嫌を演じてその場で紹介状を書く。大きな病院神話というのが一般市民の間には根強いが、大きな病院に勤務していると小さな人間になってしまうっていうことだってある。タモキシフェンを内服していた女性が手の指の関節痛があり、腫れている関節もあるということで乳がん手術からかかっている大きな病院の主治医に訴えた。すると「他の薬なら関節の痛みが出ることはあるけどこの薬はそういうことはないから気のせいだ」と言われ、そういうものか、と我慢していたが痛みは取れず腫れは引かない。三ヶ月後の外来で大きな病院の主治医にもう一度痛み、腫れを訴えた。そうしたら、「そんなに気になるなら近所の整形外科にいったらどう?」といわれ、その通りしたら、ロキソニン錠とロキソニンテープが処方され、あとは毎日電気をかけてリハビリに通うように言われた。ひと月通ってもよくならないので、大きな病院の主治医に「この病院の整形外科で診てもらえないか」と頼んだところ整形外科は混んでいるから無理むりムリとけんもほろろ。大きな病院のメリットはいろいろな専門科がそろっている、っていうことだが、ここはそうではないのだ。整形外科は背骨しかみないとか、形成外科が閉じたり、長い間、血液内科の医師が居なかったり、表看板と実態がかい離している。それで、その患者さん、私どもの診療所を受診、話を聞くとお母さんもおばあちゃんもリウマチで手が変形してるって。リウマチ因子を測ったら陽性、それで、リウマチ専門のFKMクリニックに対応をお願いした次第です。それでもあなたはは大きなエスレイ病院に行きますか?

検診の森へ


沈みゆくツバルに身を置いていても検診の森に逃げ込むという手がある。かつて理事会でもあのうーそのうー先生が、「年老いて生き残れない外科医を救済するために検診○例やれば専門医としてみとめんと、おえりゃあせんのうー」と言っていた。それはまさに鬱蒼と茂る検診の森へと移住し、森の人(オランウータン)に進化していくということを意味する。あそこは光も届かない原始の森、石灰だ、構築だ、石ころだと、気象衛星ひまわりのような筋雲をみて、指導者講習だ、なんだかんだとあれこれとおしゃべり会をしているところだ。オランウータンの救済ではあるけれど実は何のやくにも立たないのだ(朝の黙想より)。

思えば遠くへ来たもんだ


という歌があるけれど、NSAS試験をやり始めた1990年代の中頃、三浦先生から「渡辺君は、僕たちの領域に入ってきて、いったい何をやりたいんだろうか? 僕たちがやっていることを手術もできないような君が、何をしようというのか、ちょっとわからないな」と言われました。そのころから、20年の歳月が流れて、どうも、世の中は変わった、僕たちの領域って、違うんじゃないかと感じる。あっという間の20年だったが、随分、遠くへ来たような気がする。

ツバルという島がある。海面が上昇してどんどん島が小さくなっていく。自分たちのテリトリーは永久に安泰と思っていると、ツバルのように居場所がなくなっていくのだ。せっかく、「乳房再建、オンコプラスティックサージェリー」という地続きの土地が見えたのに、それを、形成外科医に渡してしまった「僕たち」。「僕たちの領域」と思っていたところには、気づいたら、腫瘍内科医が沢山、入植しているのだ。もう「僕たちの領域から出て行きなさい。」と言えるほど、君たちには、力はない。ツバルのように、かつての君たちの領域は、もはや水面下に没し、立っているところもないぐらいだろう。この変化、今後さらに加速していくだろう。思えば遠くへ来たもんだ。

時代の変化と共に、自分を磨かなくてはいけないと思う。しかし、大きな組織にいれば、自然と磨かれるというものではない、ということは、エスロカ病院など、一流と言われている組織で勉強していても、GK病院にいても、いっこうにぱっとしてこない若者、すでに初老の域に達した大将たちを見てきたからわかる。自分を磨くのは自分だ。資格をとればいいという話ではないし、大きな組織でのほほんとしていたら、腐食はすすみ、我が身はツバルになっていく。我を磨き、友を圭く(みがく:圭友会の語源)。今の専門医制度とか、学会の方向性を見ていると若者たちをツバルの島に無理矢理閉じ込め、また、若者たちもツバルから踏み出そうとしていない。先日巡り会った若者を後ろ姿を見守って行こう。ツバルに向かっていくのか、新たなテリトリーを見出してくのか。時間は確実に耳元を流れていく。 (朝の黙想より)