月: 2015年1月
予防すべき時に予防
インフルエンザA型(香港)が流行っているとマスコミが大騒ぎ。近隣の病院でも、学校でもインフルエンザ患者が急増している。もともと重症化して大パニックになったこともある香港型だから、その流行を予測して、今年使用されているワクチンは、この型にはあっているけど、それでも、重症化する可能性は高いと知られていた。しかし、11月から12月にワクチン接種を勧める話はマスコミではまったく取り上げなかった。だから、テレビでも言っていませんから、今年はワクチンは打ちません、という人は多かった。ワクチンを接種しても効果がない、ということではないのに、予防医学の考え方が浸透していないようだ。朝のワイドショーなども、騒ぎを派手に報道して、視聴率を上げることがプライマリーエンドポイント、公衆衛生学的観点から、備えてワクチンを打ってください、というような、教訓めいた話題を提供しても、すぐにチャンネルを変えられてしまうから、結局、大変だ! 大変だ!という論調で、視聴者の恐怖心を煽る手法を取らざるをえない。これは、映画でも、テレビ番組でも、「評判になったら観る」という安易な行動決定パターンをとる人が、マスコミによる操作で定着してしまっている。予防は、発症前の対策なので、ピンとこないことが多いのだが、がんに関して言えば、肺がんにならないようにタバコはやめよう、胃がんにならないようにピロリ菌を除去しよう、乳がんにならないようにアルコールは控えよう、子宮頸がんにならないように「姦淫」はやめよう、いずれも重要な予防医学である。恐怖心や、虚栄心が刺激されなくても、科学的な報道に基づいて、理性的に正しい行動をとれるような、成熟した社会は程遠い。
三つの定年
年賀状を受け取ると1年ぶりの消息が伝わってきます。ご家族から喪中の連絡を頂く事もあれば、定年を迎えます、体調不良です、元気です、など様々な人生に、しかも昔からよく知った人の歩みに触れ、いろいろなことを考える年始であります。勤務者は60歳前後で社会的定年を迎えます。55歳から65歳の範囲に社会的定年が設定されているのはご存知のとおりで、大学、会社、病院、お役所など、それぞれに意味があって社会的定年が決まっていますが、肩たたきとか、出向とか、いろいろな仕組みで、能力、人脈力に合わせた社会的定年調整も行われますね。これが第一の定年です。第三は、人生の定年で要するにこの世を去るときです。その先がどうなっているかはこの世にいる間は憶測の域をでませんが、輪廻とか、神の国とか、千の風とか、宗教や文化により、いろいろな可能性があるらしい。第一の定年は、所属している組織、社会が決める事、また、第三の定年は、神様なりがきめること、いずれも自分で決める事は、ふつうはできません。問題は第二の定年です。そろそろ、好きな旅行を、長年無理をかけた女房といっしょに楽しみます、という感じで、第二の定年を自らが前向きに決定するという便りも多くあります。が、年賀状の中に、まだまだ現役で頑張ります!!(80歳代の医師)、とか、第一の定年のあと、第二、第二の職業を「卒業」し、第三の職業につきます、といって、検診関係の仕事に従事しますという70歳代後半の医師からの便りもありました。第二の定年を物ともせず、それを突破している方々に対しては、お元気でいいですね、という反応が当たり障りがないものでしょうけど、第二の定年は、自分から言い出さないと他人は決めてくれません。あちこちで、90歳に達するような、時には100歳を超えたような「妖怪人間」がいつまでも「理事長」とか「会長」とか現役で「頑張っている」。頑張らなくてもいいのに頑張っている。通常、加齢とともに脳の力は衰えます。全くお変わりなく、なんていうことはありえません。そう、見えるだけです。私の父も近くで見ていた私には85歳を過ぎたあたりから、判断がずれてきたのがわかりました。しかし、父を知る人々は、おおせんせいは90すぎてもお元気で、頭もしっかりしていらっしゃいましたね・・、と、思い出話で語ります。私もそうなるように頑張ります、と社交辞令で答えますが、それはしないほうがいい、と思います。第二の定年を決めるのは自分ですから、晩節を汚さぬうちに、身を引き、後進に道を譲る。いつまでもしがみつかない。『「老兵は役を終えても舞台を去らぬ」と言いますが、だれも仕事をしようとしている人を追い出したり、そういう人に対して冷たい態度を取ろうとは思わない。場違いに話の長い人に「もうお時間です!」とかも、いいにくい』んだって。自らをよく吟味して第二の定年の時を決めよっと、と思います、年頭のご挨拶とさせていただきます。
はりぼて・見せかけ・作り事
ディズニーリゾートが地球上でいちばん幸せな場所、というコメント正月番組で聞きましたが、本当にそんな馬鹿なこと信じているのでしょうか? 地球上には素晴らしい自然、歴史、人々が存在し、ディズニーなどには、まったく魅力を感じない、あれは、にせものです、作り事、ハリボテ、ということを子供達に教えなくてはいけないのです。はりぼて、という言葉から連想するのは、「はりぼて標語」。「女性の社会進出」とか「地方創生」などの標語が一人歩きして、「女性だから」といって実力、人間力、洞察力、胆力、調整力も全然備わっていない人が「女性だから」という理由だけで登用されはじめていますが、どこの職場でも、化けの皮がはがれ始めている、というニュースも見ました。たしかに思い当たる人事も幾つかありますね、北にも南にも。肝心なことは、女性だからというような「形だけ」「外形基準」から決定、判断するのではなく、男性であろうと女性であろうと、実力、人間力、洞察力、胆力、調整力のある人間を育成すること、それにつきると思います。それには、幼少期、学童期、思春期、青年期を通うじて、男の子も、女の子も、心、精神、肉体、を育て、ここ一番で頑張る力、神を畏れ、人を愛することのできる自立した人間を育成することです。 他人にどう思われているかを第一に考えるような指導も廃止しなくてはいけませんよ、製薬協の皆さんもね。今日から新しい年の仕事が始まります。