新刊のご紹介


「がんになったらすぐ読む本」 朝日新聞出版 渡辺 亨 700円+消費税
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よっぽどキンテン化


週末はスペインで、アバスチン情報uptodateのセミナーがあったので遠路はるばる参加してきた。アバスチンは1960年代にFOLKMANにより提唱された「血管新生抑制」が具体化された治療薬である。癌細胞が増殖するのに必要な栄養を運ぶ血管を呼び込むため、癌細胞は自ら「血管内皮増殖因子(VEGF)」という物質を作り、近くの毛細血管に枝分かれを作るように働きかけ癌専用血管を作る。アバスチンは、このVEGFに対するモノクローナル抗体で、VEGFをつぶして血管が新しくできないようにするものだ。つまり、抗がん剤でいじめられ、死に体となった癌細胞が「くっくっ苦しー、水、水を~」という状況で生き延びようと必死でもがいている所に「だめ、だめ、あげない」、と血管が新しく作られるのを抑えて栄養もいきわたらせないようにする、という分子標的薬剤である。イメージとしては「抗がん剤効果増強のターボチャージャーみたいな感じ」である。海外ではすでにいろいろな臨床試験が行われ、大腸癌、肺癌、乳癌、脳腫瘍、腎癌、卵巣癌などで効果がある。日本での開発は例によって大幅に周回遅れ。大腸癌だけが承認されているが、その他の癌の治療に使われるようになるのは遠い遠い未来のことのようで、今更どうする気力もないぐらい海外とは大きく水をあけられている。しかも、ブラジルとか、マレーシアとか、日本のほうが進んでいる、と思っているような後進国(発展途上国、新規開発国といったほうが良い)でもアバスチンはすでに日常の診療に使用されていて、実は日本よりもずっとずっと先進国なのだ。
ところで、セミナー2日目にはケースディスカッションがあり6例が提示され討論した。日本と違ってすべて実例。日本でよくあるケースディスカッションはいかにもというような作られたやらせ症例なのだがあれはよくない。症例検討では実例をだすように強く推奨する(グレードA)。それで問題は、そこで提示されたケースやパネリストの答えがおかしい、というはなし。70歳女性、ER、PgR陽性、HER2陰性、術後にACとTAMを使用、術後13年目に骨、胸壁に再発。胸壁再発は痛みやむくみがあるというケース。これに対して会場からのアンサーパッドを用いた投票のための選択肢は、パクリタキセル+アバスチン、アバスチン単独、ドセタキセル+アバスチン、パクリタキセル単独、それにアロマターゼ阻害剤単独。岩田先生も柏葉先生も私も、AIでしょう、それしかないよね、という感じ。ところがAIを選択したのは4割で5割強がパクリタキセル+アバスチンを選択。司会者もパネリストも「Cathy Millerの論文でもそれがいいということになっていますね、皆さ~ん」という感じ。日本の方がよっぽどまともにキンテン化している。しかし、ここでわれわれは、はっと気づいた。これは日本のしゃんしゃん大会(5月23日予定)にあたる、Global Shung Shung Congress(GSSC)なのだと。AI以外は考えられないんではないですか、と質問したが、症状があるからケモだ、という説明。確かに、むくみや痛みがあるからケモで、アバスチンによるターボチャージャー効果を期待するという理屈だろう。しかし、visceral crisisというわけでもなさそうだし、13年の無病期間ならホルモンが効きそうと考えて、痛み止めなどを使いながらAIというのが、エレガントながん治療ではないだろうか。しかし、多くの癌治療医は、このようなGSSCにより見えざる大きな力で脳細胞が洗われていくのだろうか。帰国前に洗脳解除プログラムのためビールをしこたま飲んだので多少はGSSCの呪縛からは解放されていると思う。しかし、洗脳というのは自分では気がつかないのだ。昔の映画「マタンゴ」を思い出す。

もっともなご意見


国立がんセンター中央病院を、「考えるところあり」退職された国頭英夫先生が本を出版した。「考えるところ」というのはだいたい想像がつくし、優秀な人材が次から次へと退職し、残っているのは・・・、それはおいといて、本の内容は一つ一つ、もっともだと思う。特に臨床力もなく日ごろ病棟にも来ないのに、お偉いさんやお金持ちが入院したときにだけ差し出がましく病棟をしきる医師の話は100%アグリーだしそんな人間を現在われわれの貴重な税金で養わなければならない静岡県民は複雑な心境だ。すべての章の記載は確かに医師の視点に徹しており他者、とくにマスコミなどの意見に容易に迎合しない姿勢はすばらしい。残念なことは本名での出版ではなく偽名をつかっていることだ。国立がんセンターを考えるところあってやめたのだからこれからは自由に意見を言えばよい。改訂の際にはぜひ実名カミングアウトを期待したい。

しゃんしゃん大会


毎年、3月から5月の学会農閑期には東京や大阪の大会場で製薬企業の一大イベント、しゃんしゃん大会が開催される。会場はだいたいプリンスホテルとか、ニューオオタニとか、ホテルオークラなどの一流の華美ホテル。参加者は全国から400名とか600名とか。そのための予算は5000万とか一億とか。コウキョウキもなんのその、それはそれは華やかな目くるめく学術大会だ。このような会はしゃんしゃん大会というのだが、学問とかサイエンスとか、エビデンスとか、そういうものを前面に出してはいけないのだ。会場からの質問も、また、壇上の縁者も、スポンサーよいしょのご祝儀相場で、目的はむしろ終了後の懇親会だったり、そのあとの六本木、銀座、新宿だったり。これについてはコウキョウキがあるのですべて水面下でのネゴシエーションとなっていてMR君と国公立病院医師とが飲み屋で同席でもしていようものなら、たちまち業界風紀委員会であるコウキョウキに違反していまう。でも、民間の大学や医療機関ならコウキョウキは関係ないので派手にやっている。これもひとつの文化であって毎年の風物詩なのでまあ、いいんじゃあないの、という感じだろうか。私は、昔からこの手のしゃんしゃん大会はばからしい、時間の無駄、ポリシーに反する、という感性から、頼まれても、出ないよ、と言ってきた。でも、どうしても、という場合もあり、今回、しぶしぶと、いやいやながら断りきれず引き受けたのが5月の23日。そのパンフレットを今日、MR君がもってきたが、これがごたいそうな装丁のもの。それでその上、ご丁寧に抄録集まで作るというからあきれたが、できた抄録集が自分のところだけ空白だとやや恥ずかしいのでとりあえず字で埋めておいてもらおうと書いたのが以下の文章である。不適切な表現もあるのでおそらく虫害から、強引な改訂依頼がくるだろうけどまずはブログでのお披露目としたいと思います。よっ、しゃん、しゃん、しゃん。

 

 

コンセンサス会議の意義の意味

現場感覚、時代感覚、国際感覚を持って考えよう、最適な乳がん診療を

 

浜松オンコロジーセンター院長 腫瘍内科 渡辺 亨

 

エビデンスが十分にある領域ならば専門家の間で意見が割れるということはないが、非・専門家の間ではさまざまな治療が行われてしまうこともある。非・専門家が専門的治療に従事するというのもおかしな話ではあるがしかたない、それが日本の乳がん診療の現実なのだ。エビデンスが十分にない領域は2種類に分けることができる。ひとつは、「まだ、エビデンスがそろっていない」というもの。新しい薬剤、新しい検査方法、新しい考え方などは、臨床試験が計画されていたり進捗中であったり、現在検討中の諸問題がこれに該当する。他は「エビデンスは今後も出てはこないだろう」というもの。レベルの高いエビデンスが必要ではあるが、実際、臨床試験の実現可能性が低い場合や、エビデンスはいまさら必要ないという領域もあるだろう。

1978年から始まったSt.Gallen Consensus Conferenceは、乳がんの初期治療方法の選択をめぐり最近では2年に一度開催されている。この会議は、世界の乳がん臨床試験グループの代表者が集まり、その時点でのエビデンスを整理し、エビデンスの十分に整った問題のみならず、エビデンスがそろっていない問題について、専門家の意見として、推奨される診療、許容される診療範囲を明確にしていく作業だ。

1992年から導入されたリスクカテゴリーがその後毎回改定されてきた。これは入門編としてはわかりやすいので広く使用され、2007年の第10回ではホルモン感受性、抗HER2療法感受性とリスク(低、中、高)による24病型分類は実用的価値の高いものとして広く受け入れられていきた。しかし、このリスクカテゴリーの考え方でいくと、必ずしも抗がん剤治療が必要ではない患者が抗がん剤治療の対象となる(over treatment)可能性も指摘されており、現行のカテゴリー分類に対して、なんらかのブレークスルーが求められている。近年、欧米においては、MammaPrint®OncoType DX®などの遺伝子発現分析に基づく予後予測ツールが急速に使用されており、St.Gallen Consensus Conferenceのリスクカテゴリー分類との不一致もしきりと指摘されている。このような流れを受け2009年のSt.Gallen Conferenceでは、「治療閾値(treatment threshold)」という考え方が導入され、リスクカテゴリーというアプローチが姿を消すことになる。現場感覚、時代感覚、国際感覚を研ぎ澄ませながら、乳がん患者に対して最善の治療を提供するにはどうすればよいのだろうか、を消化器一般外科医の皆さんと一緒に考える機会として、今回のしゃんしゃん大集会を活用したいと思う。

なんでこうなるの


あちこちの講演会とか勉強会とかで講師として呼ばれたり聴衆として参加したりしていろいろな討議を聞いているとなんでこんなこと今頃はなしてるの? というようなあまりにレベルの低いディスカッションが繰り広げられ我が耳を疑うこともしばしばでございます。それでも一応周囲の反応をみて顔見知りがいれば、あれってひどくないか?と確認してみるとたいがい、そうっすねえ、と言うような反応が返ってくるが誰もなにも発言せず座長の大人の質問で丸くおさめて楽しくお開き。これが懇話会とか懇談会というたぐいの集まりのようです。それぞれがそれぞれの立場があり明日からの人間関係を重視するという観点からあまりごりごりとディスカッションはしないというのが慣例となっているようです。今日もそうでした、どことは言わないけどね。あまりの低レベルに目にウロコが張りました。