情けなや、治験が国策とは・・・


CSPOR CRCセミナー、今回が第20回、CRCの育成は大切であると10年にわたり見つめてきたが、最近ではせっかく育成したCRCが悪魔の手先に利用されているような感じがしている。がん領域では似たような分子標的薬剤が次から次へと開発され、必要性に疑問を感じるような治験が次から次へと計画されている。しかし、医療は二の次、治験ビジネスに群がるデビルキャットが徘徊しているのだ。「本当に必要なのか、こんな薬!」という帰無仮説を否定できるか、という疑問から出発した臨床試験をやらなければいけないのに、企業のエゴでわけのわからない治験がまかり通っている。HER2過剰発現を有する胃がんを対象に、TS1単剤を対照として、ゼローダ+ハーセプチンを比較する試験、こんなん、ハーセプチンが含まれるアームが勝つに決まっている。だからといって、ゼローダとハーセプチン併用がいい、という話にはならんだろう。TS1単独対TS1+ハーセプチンなら、「ハーセプチンの追加効果を検証する」ということで話は簡単だし、デザインとしても「one agent added-on to a standard regimen」ということですっきりする。なぜそうならないのか、理由は明白である。虫が悪さしているのだ。虫のためのみみっちい業務に関与することが大切だと教え込まれ、でもなんとなくしっくりしないと感じている良識あるCRCも多い。しょっぱなの私の講義では、患者のために、よりよい治療を提供するためには、臨床試験として本当に大切なことはなにか、基本としてなにを考えればよいのか、を話した。帰りの品川駅で受講者のひとりに呼び止められ「先生の講義を聞いて考えながら仕事をするということが本当に大切だということがわかりました。」と、お礼を言われた。わかる人はわかってくれたと思ったがKTGWくんは「先生、ずいぶんと診療サイドにバイアスがかかっていますね。」と、あ~、やっぱりこいつはわかっていないな、委員になんかするんじゃなかったと、がっかりである。グループワークでは、1日目には「専門職としてのCRC」、2日目には「CRCのキャリアパス」にアテンドした。自分たちはこんなことをやっていてよいのだろうか、将来、どうなるのだろうかと、誇りも展望も持てないような状況なのだろうか、不安の中で仕事をしているのだろうか、どうにか助言してあげたい、SPIKESの最後のS、strategy and summaryで、一緒にみんなと考えて、よいStrategyを提示することができたように思う。昼からの講演では「治験は国策です」と、えっと思うようなことを真顔で主張した自称ベテランCRCがいた。国策とは、国の根幹にかかわるような、国の在り方を方向づけるような政策をさすのだよ。治験が国策とは、ちょっと情けない、そんなみみっちい国には住みたくないものだ。自分自身、国立がんセンターにいたときに「治験を国家公務員の本来業務とすべきた」と厚生省にかけあったこともあった。その甲斐あってか、治験がらみの海外出張には、緑色の公用旅券が出るようになった。しかし、今、考えると、それは間違っていた。医師の本来業務は、やはり患者のための診療、教育、研究である。治験を研究としてカウントするには、利権に群がる多くのステークホルダーがおり、あまりにダーティすぎ、ゆがみ、ひずみが大きいのだ。しかし、当然のことながら、臨床研究、臨床試験は大切である。私が目指してきたCRC育成の目的は、科学的に臨床医学を実践しながら、臨床医学の場で見つけた問題を解決するために臨床試験や基礎的検討を科学的、倫理的に行うことであった。松村先生に来てもらって、本当に役に立つ研究とはなにか、ということを話してもらった。同世代人としてDDSを中心とした研究に打ち込んでいる姿は美しくそれなりに誇らしい。私も10年間にわたってCSPORには心血を注いできた。CSPORではよい仲間もたくさんいるが、やはり垢もたまっているようだ。10年はよい節目であり、55歳からのライフワークが待っている。旅立ちの春、足元が明るいうちにグッドバイ。
 
左;通常旅券
右:公用旅券(幸か不幸か、これではカジノもはいれない)
 
 
 
 

毎日の移動


今羽田空港で青森行き最終便を待っている。18日(木)は豊橋に講演に行き19日(金)は杏雲堂病院外来で20日(土)は堺に講演に行き、帰って医師会夜間救急の深夜勤務で21日(日)は東京で午前中、教育研修委員会があり午後からガイドライン委員会があり浜松に戻ったのは21時過ぎ。今日はこれから青森行き。吉田院長も一緒の飛行機で青森に帰るということで青森ではすぐに宴会開会ということになるか。待っている間にしっかりと論文を読んで知恵をつける。移動の毎日でときどき自分がどこにいるかわからなくなることがある。

最悪のしゃんしゃん大会


浜松医師会の定時総会というやつに初めて出席した。いままで講演などが重なり5年間一度も参加したことがなかった。参加していなかったがとくに不便、不自由はなかったのだが今日はたまたま翌日に「浜松乳がん情報局市民公開講座」が入っていたので地方講演は入れないようにしており土曜の午後、時間が取れたので参加した。会場は閑散閑古鳥数羽。それで結論からいうと「もう二度とこんな会にはでないね」、です。すべてが時間の無駄。選挙もあったが相撲協会以下の出来レースで、立会人を指名されたが全く意味のない仕事であった。お偉いさんの事業報告といっても済んだことをべらべらと述べるだけ、協議事項といってもまだ決まっていない、多分かわらないだろうの連発。診療報酬改定については誰も正確な情報を把握しておらず、群盲像をなでるとはまさにこのことだ。情報公開の時代、医療にも説明責任が問われる。時代感覚の欠如した不毛な議論、こんな会なら良識ある医師会員はだれも総会には参加しないだろう。全国各地の医師会でこんな無駄な総会が開催されているのだろうか。その上部組織の日本医師会のレベルは推して知るべしである。フェマーラ発売3周年シャンシャン大会のほうがずっとましだと思った。

歴史は繰り返さない方がいい


ドラッグラグ、つまり海外で使える薬が日本で使えないという話がまたまた問題になっていて、これを解消するため厚労省に委員会が立ち上がったという話をニュースでやっていた。またまた、というのは、2003年にも、当時の野党だった仙石議員が日本で使えないがん治療薬があることを指摘、坂口大臣の肝いりということで「抗がん剤併用療法に関する検討会」というのができた。私もその委員会の委員をやるようにいわれてエピルビシンのFEC100、ACの60mg/m2、デカドロンの制吐剤としての適応、などが治験なしで承認されるように仕事をした。さらに乳癌に対するカルボプラチン+パクリタキセル+トラスツズマブなど、もうすこし仕事をするぞ、というときに、唐突に「この委員会は今回で打ち切りです」ということになって1年ぐらいで幕を閉じた。今思えば、あれは未承認薬に対する国民の不満が表立ってきたので、そのガス抜きのために、周回遅れの積み残し薬剤を一挙に、超法規的に承認してしまおう、という活動だったのだ。委員長は、黒川清先生だったが、なんか、一人で喋っていたような印象がある。それで、また、今度、患者団体などからの不満解消、ガス抜きのために委員会が立ちあがったのである。こんな感じで歴史は繰り返されており、なんら進歩もなく、行政の不作為が繰り返されていく。なぜ繰り返されるのか、それは、薬事行政に根本的な欠陥があるからだ。抗がん剤が特に注目されているが、他の領域の薬剤でも、承認遅れは結構あるようで、たとえば、先月承認された新しい糖尿病治療薬「シタグリプチン」は米国で承認されたのが2006年だからドラッグラグは4-5年ということになる。癌治療薬がとくに脚光を浴びるのは「癌は命にかかわる病気」ということになっていて「命を助ける夢の薬を厚労省が認めてくれない」という構図は世論に訴えやすいということのようだ。しかし、ドラッグラグで話題になってきたドキシルとかアバスチンとか、あれば治療の幅は広がるが、命を助けるというほどのパワーは残念ながらない。先進国では承認されていて世界で承認されていないのは日本と北朝鮮だけという、笑い話のようなことが癌治療薬ではよくある現実なのだ。なぜ、ドラッグラグが生じるかというと、それは、承認するプロセスが遅い、というような単純な話ではない。私が思うに、当局は審査、承認する能力もないのに、手とり足とり、ああせい、こうせいと、口を出しすぎるからいけないのだ。たとえばパクリタキセルについて。当初は3週1回投与というのが、乳癌で承認された用法であった。しかし、日本で乳癌治療に承認された1999年、既にアメリカでは週1回投与方法がいいという兆しが報告された。この方法をやってみると確かに効果は高いし副作用も少ない。それで、一気に広まる気配を示した。しかし、承認されていない用法ということで、あちこちの病院で「保険で切られた」という話が全国に広まった。しかし米国では、術後治療、再発後治療、術前治療、いずれでもパクリタキセルは週1回投与方法のほうが3週1回投与方法よりも優れているというエビデンスががんがん出てきたにも関わらず、日本では、週1回投与は、法律違反とまで言い出す体制派も現れ、挙句に週1回投与方法の治験を行うということになって、それでやっと承認されたのが2007年12月だ。だから、パクリタキセルは乳癌治療に使用OKということを承認したら、用法とか、組合せとか、エビデンスが次から次にでることについていけないのだから、とやかく言わない方がよいのではないか。がん対策基本法もできた事だし、用法、用量、併用方法などの現場的な話は癌治療の専門家にゆだね、当局は、手とり足とり余分なことは言わないようにしたらどうだろうか。最近のはなまる行政はジェムザールを単剤で乳癌治療に承認した事。よしよし、そうこなくっちゃ。大きな政府になりたいのなら大きな人間になりなさい、というわけだ。間違った歴史は繰り返さない方がいい。

視点、論点、問題点


いろいろな考え方、立場、イデオロギーはあるだろうから、一つの事象を一面的に決めつけるのはよくない。かといって、自分はどういう視点からものを言っているか、という自分の立ち位置が全く定まっていないというのも困る。大きな政府、小さな政府という二極でかんがえてみたり、個人主義、全体主義という切り口でわけることもできるだろう。今回は教育の話、ちょっと考えてみた。

 

子供の教育 子供の教育についても、どのような視点で考えていくか、という立ち位置は難しい。自分の息子の教育という話と、社会一般の若者の教育というのも、同列、同方向に考えてよいのか、これも意見が分かれる。自分の息子なら、愛情を注ぎ、お父さんはこう考えているよ、という姿勢を表現すれば、どこかで、いつの間にかしみこみ、たまに見る行動や、ときどき聞く妻を通じて聞く息子の言動から、ちゃんとわかっているな、と感じることもよくある。

 

自分の場合 高校の頃から、受験勉強の合間に1階に降りていくと、父が夜遅くまで医学書を読んでいた。Z会の英語添削で分からない、全く理解できないような長文問題を父に「これ教えてよ」というと辞書も引かずに「これはこういう意味だ」と大筋を教えてくれた。そして「細かいことは自分で文法書を読んでごらん、きっと書いてあるよ、それでわからなかったら朋三さんにきいてみな。」というような大局をみるような勉強の仕方を父は教えてくれた。ちなみに朋三さんというのは浜松西高の英語教師で私が英語を好きになるきっかけを与えてくれた恩師である。父が学生時代に通っていた英語塾(斎藤塾)の後輩でもある。父は気になるところがあると、Websterの英英辞書をもちだしてきて、自分で納得がいくまで調べていた。数日後に「この間の英語の解釈だけどさあ」とこっちが、「なんだっけ」と忘れてしまったことを、いろいろと解説してくれることもあったが、息子としては、「それはもういいよ」みたいな、よその大人には言わないような身勝手ことを言ったこともあった。

 

宮仕え 父は常々、「宮仕えは一度は経験しておく必要はあるが一生やるもんじゃあない」と、公務員生活は重要であるかもしれないが、基本的にばからしいこと、ということを私に教えてくれたので、私もその通りの考えになった。また70才を過ぎて、勲何等とかいう勲章をもらったときも、こんなものはどうでもいい、というようなことを言っていた。「勲一等とか、勲五等とか、それ、どう違うの」と聞いたら、「まあ、そうだな、天皇陛下にどれほど近いか、っていうことだな」と皮肉っぽく言った。「天皇陛下に近い方がいいわけ?」と聞くと、「そう思っている人間もいるっていうことだ」と、世の中には、つまらない人間がいるんだ、って言うようなことを教えてくれたので、私もその通りの考えになった。学会とか班研究とかでいろいろな先生の発言を聞いていると確かに中には、天皇陛下が一番偉いんだ、みたいな考え方がしみ込んでいる人がいて「厚労省のお役員、かれは、確か東大を出た方で、若いのに、ものははっきりいう人ですが、その方のお墨付きを頂きましたし・・」、とか、「がんセンターのお若尾い先生ですが、情報のトップの先生も出席されますから・・」とか、いかにも田舎侍チックで、ばからしい、と思うような活動に無駄な税金が使われているような気がすることがよくある。よくみんな黙っているなあ、と思うが、黙っていれば研究費が降りてくるという仕組みもあるのだろう。

 

よその子の場合 浜松医大に講義に行く仕事も増えてきて、昨日は臨床薬理で、細胞毒性抗がん剤、分子標的薬剤、をそれぞれ1時間30分かけて講義した。細胞毒性抗がん剤では、作用機序毎にざっくりと分類して大枠をおぼえておいてね、副作用が強い理由はこういうことだよ、タキサンでどうしてしびれるか分かる人? 吐き気はこういうメカニズムでおきるんだよ、好中球減少、悪心・嘔吐などの副作用対策が重要だよ、抗がん剤は確かに副作用は強いが腫瘍内科医が手掛けるとそうでもなくなることもあるよ、それと忘れてはいけないこととして、緩和化学療法っていうのも重要だよ、SSさんの話を紹介するよ、癌の種類によって、抗がん剤の効果もいろいろなんだよ、中には、従来の細胞毒性抗がん剤ではどうもならないような疾患もあるけど、分子標的薬剤がめざましい効果をあげている領域もあるよ、この続きは、2時間目でね、20分休憩します・・。ここまでは朝850分からだったので、前半は出席者は後ろ半分ぐらい、前から数列はがらがら、で、途中で入室者、ぱらぱらとあり、でもその頃には、寝ている子たちが結構目立つ。休憩前に「お休みになっている学生さんはそのままお休みください」と、皮肉を言っても馬馬耳東風。講義で寝ているのは許せない、というスタンスで何回もこのブログのテーマになっている。講義をする立場に立ってみると、一生懸命新作ネタをいれて、スライドを作り、ストーリーを考えて準備して、忙しい外来を田原先生にお願いね、と頼んで、前の日にスライドまだですか、と催促されて、昼休みも取らずにスライド完成させて秘書さんに送り、講義が終わって帰ってきて昼休み返上で外来をやってそのまま東京に行き会議に出て・・・、と、こんなに一生懸命やっているのに、寝ていたり、おしゃべりしていたり、出たり入ったり、学生教育はなとら~ん、ということになる。教育する立場に立ってみると、国立大学の学生教育として、医師一人を育成するのに、三億円かかる。自分たちの教育にそれだけの税金が投入されているという事実を何と認識するか、寝ていたり、おしゃべりしていたり、出たり入ったり、一体、何を考えているんだ~、ということになる。学生の身になって将来を考えてみると、若いうちから授業中に居眠りする習慣をつけると一生居眠り人間になるよ、がんセンターの総長やったようなえらい先生も会議中、講演中、良く寝ているもんね、それとね、せっかく講義で、いろいろと新しいことが勉強できるんだから、その講義で寝ていたり、おしゃべりしていたり、出たり入ったり、していたら、時間の使い方が下手だよ、もったいないと思うよ。同じこと、自分で勉強しようと思ったら、何十倍も時間がかかるぜ、それよりは、びしっと集中して聞いていれば、いいんだから、講義はもっと大切にするべきだよ、ということになる。

 

よその子の教育の提案  外部から先生が来てくれたら失礼のないようにご挨拶しなさい、とか、元気よく手を挙げて質問しましょう、とか、小学生でも教えていることだ。それが大学生になると突然出来なくなるのは浜松医大だけの話だけだろうか。いやいや、きわめて優秀な学生の集まる我が故郷の医科大学だけ、ということはないはずだ。たまたま、この学年だけだろうか? いやいや、去年もおととしもその前もそうだった。ということは中学とか、高校とかの教育が悪いのだろうか。たぶんイエス。とくに受験勉強だけやっていればいい、父親と話をする時間もない、母親も放任。こんな若者が大学には受かったけれど、人間教育が欠落したまま医師の道を歩み始めるからこんなことになるのだ。学生のうちは、人に迷惑をかけないから、寝ていたり、おしゃべりしていたり、出たり入ったりしてもいいかもしれないが、医師になって人を助けなくてならない立場になって、それで、寝ていたり、おしゃべりしていたり、出たり入ったり、しているようでは、ちょっとまずいだろう。こういう教育のために大学生になったら半年ぐらい小学校にいく、というのはどうだろうか。それは冗談としても、研修として、社会人としての心得や接遇を医学生には、早いうちからたたきこむ必要があるだろう。

 

2時間目 分子標的薬剤 細胞毒性抗がん剤治療には当然限界もあるので、分子標的薬剤に対する期待も大きい。作用機序が選択的だからといっても、副作用は結構強く、皮膚障害とか、肺、心臓障害も時に重篤となる。でも、ハーセプチンの開発にたずさわって以来、やっぱり、夢を感じる。講義では、ハーセプチンの乳癌治療と、胃癌治療の話、これは、赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い、赤い鳥小鳥、赤い実を食べた、ということで、HER2陽性ならハーセプチン、乳癌だから胃癌だから、ということは関係ないという話。EGFRに関連して、山本信之先生に頂いたイレッサのスライドや、大腸がんの分子標的薬剤の話では嶋田安博先生にスライドを頂いた。これらを駆使して分指標的薬剤の話を組み立てた新作ネタを披露した。2時間目なので、お寝坊したお友達も、続々集まってきて、昼食までの時間、さすがに教室は満席である。空腹だから居眠りもしない。20分を残し1130分に終了、質問があればどうぞ、といっても手を挙げて質問する子供もいないので、質問がある方(子)は、前に来てください、と、臨床薬理の渡邊裕司先生も一緒に前で立っていてくれたが、ひとりの学生が副作用のことを聞きにきただけで、あとの子は、挨拶もしないで、ありがとうも言わないで、眼も合わせないで、会釈もしないで、教室を出て行った。

 

急いでオンコロジーセンターに戻って外来をやって1410分のひかりで上京、本当かどうか疑わしいが最も大切といわれる厚労科研78番目の班会議に出席し193分のひかりで帰宅。田原先生がしっかりとやってくれるので、あちこちに出向いてもオンコロジーセンター機能は安心だが、今日の午前、午後の外勤は、どの程度、世の中のためになったのか、と考えるといささか後味が悪い。

 

医局の底力


医局に所属しない医師が半数を超える時代になった。しかし、医局員を確保したい大学医局は様々な術策で医局体制を維持しようとしている。ある辺境の大学医局の実態を知る機会を得たのでおひれを大きくつけてお伝えしたい。
事例1 医局に入らずに基幹病院で研修を続けてきたA太郎先生、研修終了後、外科スタッフとして就職したが、救急外来とマイナーな手術しかやらせてもらえず、胃がんとか大腸がんとかいうようなメジャーな手術は医局人事で固まっている医師が独占。これでは外科学会の専門医は取得できないと、A太郎先生は心ある先輩のつてで手術件数をこなせる病院に勤務後、隣県のがん診療拠点病院で乳癌診療経験を積んで相当な実力をつけている。A太郎先生は最初から医局と無関係なので直接医局からの働きかけはない。しかし、A太郎先生が県内に戻ってくるらしい、X病院とコンタクトをとっているらしいという情報を得た医局は、医局長を通じて、X病院の外科部長に「おたくはA太郎先生を採用するらしいが、その場合、今後、医局からは一切、ひとは派遣できないとprofがおっしゃっていますが、よろしいでしょうか?」と圧力をかけているそうだ。X病院としては、大学を敵に回すことは、他の診療科にも影響が及ぶことになるので、今のところA太郎先生とは無関係というスタンスをとっている。しかし、すでに手は打ってあって、医局に所属しない医師、あるいは隣県の大学病院に医師供給源を求めつつあり地元大学の医局の影響力は急激に低下しているという。時代は変化しているのに、それに気づかない医局はいまだに古き良き時代を謳歌しているのだ。
 
事例2 医局に所属することに疑問を感じつつあるY病院のS彦先生、医局の行事にはほとんど参加しないS彦先生の挙動は、医局長も問題視しているようだ。その医局は、関連病院のある街で同門会忘年会をもちまわりで開催するしきたりになっているが、忙しいときに、しかも交通の不便な遠隔地まで行き、会っても楽しくもない先輩から説教を食らうのはまっぴらと、S彦先生は欠席するつもりにしていた。ところが前日に医局長から電話があって「おまえが参加しないというのなら今後、Y病院には、医局からは一切、ひとは派遣できないから、覚悟しろよ。」との恐喝。仕方なく時間をやりくりして参加、夜の宴会では、酒も飲まずに酔っぱらったふりをして、派手なパフォーマンスを披露、同門の先輩らに参加を印象付けたのち、夜中に車を運転して帰ってきたそうだ。
 
医局に所属していれば無能な人間でもどこかの病院に就職口を斡旋してくれるなど互助会組織である医局の団結力は、かつては二所ノ関一門よりも強かった。しかし「人を送らないぞ」という殺し文句が通用しなくなりつつある現在、医局の求心力は急速に低下しているのは間違いない。いままで、医師の活力ある移動を阻み、医療の均てん化を妨げてきた医局の完全崩壊は全国的に進んでいる。新しい時代に医師になる人たちは、よっぽどしっかりと自分の将来計画を立てなくてはいけないだろう。どうにかなるさ、は通用しない。もう、医局はあてにならない。
 
(古き良き時代)