新型コロナウイルス ワクチン 日本遅発について思うこと


イスラエル人の60%以上がCOVID-19ワクチンの接種をうけていますが日本人は2%以下。先陣を切ったファイザー社のワクチン「コミナティ」の供給が少しづつ安定しつつあり、他に海外5社、国内4社がワクチン開発、また既存製品の国内でのライセンス生産にもめどが立っている、とのことですが、日本では何故接種率が低いのか、ということがしばしば指摘されています。現在進行形の「政府、地方自治体、日本医師会など、国を挙げての大規模事業」により我が国の接種率は徐々に上がってくることは間違いありませんが、どうして、「先進国であるはずの日本」でワクチン接種が遅れているのか、私なりに考えて見ました。

(1)大手製薬企業の多くがユダヤ系企業であり、完成したワクチンの納入をユダヤ人の心の故郷イスラエルへ優先する。(2)日本では古くから日本人特殊論があり「欧米人と日本人では薬に対する反応が異なる。日本人は薬やワクチンに弱いので、欧米で開発された薬剤、ワクチンは副作用が出やすい」と信じられてきた。そのため(3)海外で開発されたワクチンでも、もう一度日本人で臨床試験をやり直さないといけない、あるいは海外で海外人を対象におこなった試験で得られた効果、安全性を信頼しようとしない(4)かといって、日本で独自に臨床試験をやりなおすほどの「土壌」がない。(5)なんとなく、他国で接種が進み、大丈夫そうだという感触が得られ、日本にも早く導入しなくてはいかんだろう、という世論が形成されるまで、政府は重い腰を上げない。

私はがん領域の国際共同臨床試験や、国内の治験(製薬企業が主導する臨床試験)、国内の研究者主導型の臨床試験に長年に亘り数多く関わってきた。その歴史は「日本人は抗がん剤に弱い、とか、欧米人は肉を食ってるから体力がある」などといった理不尽な迷信を信じる年配医師たちとの孤立無援の戦いでもあった。その長い歴史を経て、今や「理不尽な迷信」は完全に払拭され、若い世代の医師たちは、立派にグローバルで活躍できるだけの知力、体力、精神力、コミュニケーション力を備えている。ワクチンの領域でもコミナティのようなmRNAワクチンの開発には、基礎的研究で日本人の研究者が大きな貢献を果たしてきたので、基礎的研究力は申し分ない。しかし、その開発力を国民の健康、福祉に結びつけるような臨床研究、薬剤開発、承認審査などの段階では、ブレーキがかかっているように感じる。大部分の薬剤の承認後の一般臨床での使用経験から日本人での効果、副作用の状況は、欧米人(白人)での効果、副作用状況と全く変わらない、というのが現実である。なのであまり、日本人特殊論にこだわらず、海外で有効性、安全性が検証された薬剤はそのまま、日本での使用が承認されてもいいのではないか。今般のCOVID-19 ワクチンについても、菅首相の口から「日本人でのデータが少ないため・・」という言葉が出たことは、厚労省の日本人特殊論への時代遅れのこだわりが背景にあるのではないだろうか。

その他の理由としてはワクチンに対して、子宮頸がんワクチンの事例のように理不尽に反応する集団が存在することだ。また、ワクチン接種の目的は、個人に免疫を付与するのみならず、集団全体が抵抗力を獲得する集団免疫の構築である。しかし、マスコミ報道で、集団免疫の重要性はほとんど語られず、たいして重篤でもない副作用を過剰に報道し、国民をワクチン恐怖症に陥れる風潮は、いかがなものかと思う。

タンカー座礁から思い出すその他の座礁


スエズ運河で大型タンカーが座礁(stranded)し、運河を航行する500隻以上の船が足止めを食い、そのあおりで石油価格が高騰しています。タンカー座礁は大潮の干潮が原因だったようですが、座礁で連想したことがいくつかありました。昨年、浜名湖で妙子とふたりでレンタルモーターボートで遊んだ休日(注:一級船舶操縦士免許を取得した記念でしたが)、今切れ口近くで座礁、1時間近く動けなくなり楽しいはずの休日が険悪な雰囲気になりました。strand (座礁)は「困った状況に陥る」という意味もあり、まさにその通りだな、と思いました。一昨年、静岡の高木くんのヨットで行った伊豆合宿、下田の浮き桟橋(ポンツーン)に停泊していたヨットが干潮でセンターボードが砂地でstrandし、潮が満ちるまでの2時間かかりましたが、その間、二人で思い出話、小説「漂流」の話などなどを楽しみ、必ずしも困った状況ではない座礁もあるもんだ、と思った次第です。