パンドラの箱


乳癌学会北海道地方会に参加、教育研修委員会主催の教育セミナーで、治療(薬物療法)の講師を務めるためだ。前の日に山崎弘資先生から聞いていたので午前中の症例報告のところからじっくりと聞いてみた。う~んと、頭がしびれてくるような演題があって勉強になった。特に問題と感じたのは、「術前化学療法を実施して病理学的完全効果が得られた症例は予後がいい」というメッセージを完全に誤解していると思われる発表だ。T1N2M1 ステージ4 原発病巣はそれほど大きくないが、腋窩リンパ節転移が結構めだち、骨盤などに溶骨性転移あり、といった症例を対象に術前化学療法をした、という表現というか、そのようにとらえることがまず、おかしい。この場合は、後で、やらなくていい手術をしたため、確かに「術前」ではあるが、基本的には「転移性乳がん」あるいは「primary metastatic breast cancer」に対する初回薬物療法という認識が正しい。原発巣のわりに転移がめだつ、という病態と合致して、HER2過剰発現を伴う。それで、ハーセプチンとパクリタキセルを併用sたところ、腋窩リンパ節転移がCRになったので、乳房切除術+腋窩廓清をおこなったところ、腋窩リンパ節は病理学的にも完全効果、つまりpathological CRであったので、良好な予後が期待できる、という発表。えーと、何がへんかというと、根本的に考え方が間違っていると思う。なんで、原発病巣の手術をしたのか。いま、これはちょっとしたブームで、遠隔転移があっても原発病巣は手術したほうがいい、という主張をするひとが多い。しかし、それは、原発病巣を手術できるような患者は予後がいい、ということであって、手術をすることがいい、という話ではないと信じる。何で、tumor reductionのための手術という考え方も、多くの外科医が主張するがはたして、その考えは正しいのかというと、腫瘍を植えたネズミでは確かに腫瘍をとったほうが長生きするのだが、それは、植えた腫瘍のかなりの部分を取り去ることができるようなねずみの場合であって、遠隔転移を伴う人間の場合にはこの考え方は証明できていない。とにかく、この症例は、ハーセプチンなど、HER2機能を抑制する治療を中心とした全身的治療を効果的に継続する、ということが、患者に提供できる最善の治療であろう。また、べつの発表で、許せないと感じたのは、わけのわからない抗がん剤感受性試験をやって、感受性ありと判定された治療をやっているうちに骨転移が増悪、脊髄横断性まひになってしまった症例だが、な、な、なんと、この症例は、HER2過剰発現ありで、あとでハーセプチンを使ってリハビリして歩行可能になったと。当然、初回からハーセプチンを使用すべきである。これはひどい。しかし、発表されたので公となったわけだが、発表されない治療がいかにひどいか、想像しただけでもぞっとする。パンドラの箱は、いつ、だれがあけるのだろうか。
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腐っても腐らなくてもがんセンター


週刊誌で国立がんセンターが叩かれていると友人から聞いたので駅で購入して読んでみた。麻酔科医師が今年の4月にまとまって退職したので外科手術ができなくなった、そのため外科医師も退職し国立がんセンター中央病院が崩壊している、そこで責任は院長にありと、職員大会を開いて院長の責任を糾弾したという話。私が1987年に国立がんセンターの職員になったころにも、ある抗がん剤の座薬開発にからんだ汚職事件(注:お食事券ではない)があり、このままでは国立がんセンターは崩壊するというような危機感があった。しかし、そんなことはなく、治験を科学(サイエンス)にしよう、という機運が生まれ、治験参加は本来業務であるという対応につながり、その後の治験ビジネス隆盛にまでオーバーシュートしてしまった。一方で、腫瘍内科の萌芽にもつながった。今回も土屋院長をつるしあげるのではなく、国立がんセンター改革につなげればよいのではないか。前々から、国立がん外科病院と言われてきた。しかし、がん治療の主体は21世紀の声を聞くころに外科手術から内科的薬物療法に大きくシフトした。1999年に完成した国立がんセンター中央病院の外来化学療法を行う通院治療センターも、私が退職した2003年ごろには、手狭になり、点滴待ち時間が長くなった。一方、手術室はサッカー場ぐらいある広大なもので、手術室と通院治療センターを取り換えよう、という意見を言ったら、本気でそんなばかなことを言ってるのか、と大腸外科のMRY先生に叱責された。しかし、胃癌、乳癌、大腸癌などのコモンキャンサーの手術はすでに全国の病院に専門家が育成され、どこでも均質化された手術が受けられるようになっている。何も、国立がんセンターでなくてもよいのだ。麻酔科医師の不足は全国的な問題のようだ。麻酔科医師は、独立して会社を設立し派遣の仕組みで自分たちの権益を守っているようだ。それも、ひとつの見識だろうが、中~長期的な視点に立てば、癌の外科手術自体が減ってくるので、麻酔件数も減少の一途をたどるはずだ。国立がんセンターも院長を糾弾するのではなく、これを機会に、構造改革をはかり、外科病院から内科的薬物療法中心の病院に転換する絶好のチャンスではないだろうか。あるいは、国立がんセンターは完全に行政機関に徹する、あるいは100%研究施設に徹するべきで、日本で最高の医療を提供するという目標は捨てるべきだ、という議論も昔から根強い。確かに、、研究費の配分もします、政策医療も考案します、最先端の研究も推進し実践します、最高の医療も提供します、若手の育成もしますと、いう八方美人的、総花的な姿勢には、無理があるように思う。それならば、この際、病院機能は、民間に移管して、行政機関に徹するのもよかろう。国立だから給料が安い、だからいい医師が集まらない、という話も頓珍漢である。癌医療を生涯にわたり責任をもって生き抜くためには、目先の待遇の良し悪しは、本当はあまり重要ではない。大切なことは、ただしい「思い」をもつことである。いかに、正しい思いを保ち続けることができるか、それが一番大切なのである。それには、研修医時代に正しい考え方を身につける必要がある。大学の若手医師でも、当直、アルバイトで稼ぎまくって、カンファレンスや勉強会にもほとんど参加しない医師が多い。確かに大学の給料は十分ではなかろう。しかし、ベンツEクラスを乗り回すほどのゆとりがあるのなら、バイトは半分ぐらいにして生涯、正しい思いを保てるように40代からの研鑽が大切である。話はすこしずれたが、腐ってもがんセンターである。国立がんセンターは崩壊することはない。構造改革を進めてほしいのだ。一方、同じころに静岡県にあるがんセンターで用事があって見学する機会があった。ローズガーデン、イングリッシュガーデン、など、一言でいえば、地上の楽園である。錦鯉が泳ぐ壮大な噴水池に続くつづらおりの遊歩道には、ヤマモモやサクラ、クスノキなどの樹木が整然と植えられている。遊歩道にはほとんど歩いていいる人はいない。車いすを押して歩くのには勾配がきつそうだ。図書館には内外の雑誌、図書が整然と整備され、オンラインコンピューターがずらりとならぶ。書籍や雑誌は、全くの新品で、開くとパリパリと音がする。午後の時間帯だったせいか、室内には、利用者は一人もおらず、静寂だけがインクと紙のにおいを湛えていた。研究室は未使用で空室が並ぶ。産学共同とか、看護部で研究に使う、という名目はあるもののその実現性は乏しい。そのような研究が開始され、スペースが必要になったらプレハブでもなんでもいいから部屋をつくればいいのではないか。研究室はガラガラなのに、管理棟の新築工事が進んでいた。管理棟を建てる前に、ガラガラの研究室を使うべきではないだろうか。これもわれわれ静岡県民の税金で賄われていると思うと、高額納税者としては考えさられてしまう。腐ってなくてもがんセンターなら、他人の金で理想の箱ものを作っても許されるのだろうか。一番大切なことは、県民のために安心、安全のがん医療を提供することだと思うのだが、どうもめざしている方向が違うように思う。

バラエティー番組はなぜくだらないか


俳優の峰岸某さんが肺癌で亡くなったそうで、その最初の症状が「腰痛」で、腰痛の陰に癌が潜んでいる、ということを取り上げたいので取材をお願いできませんか、とピンポンという番組から電話がありました。以前、コメディアンのやまだくにこさんが乳がんになったときにもコメントを求められましたが、そのようなくだらない話は聖路加で聞いてくれ、と断りました。今回も同意できない切り口での取材でしたので断ったわけですが、「腰痛でも肺がんの可能性があるから皆さん、注意しましょう、恐ろしいですね」なんていうことになったら、都内のブランド病院の外来は大パニックになるでしょう。ただでさえキャパこえて、診療レベルが低下しているのにこれ以上、劣悪な外来対応になったら患者にも医師にも申し訳ができません。
そもそも日本人の8割は、生涯で一度は腰痛を経験するといわれています。確かに、乳癌、肺癌、前立腺癌は、骨転移御三家といわれ、経過中に骨転移を起こすことはよくあります。また、峰岸某氏のように骨転移(腰痛)が初発症状でよく調べてみたら肺にがんがあった、ということも、それほど頻度は多くはないですが、時々経験します。吉本流にいえば、そういう症例を持っている、ということです。しかし、腰痛の原因で、がんの転移の頻度は、0.7%です。1000人の腰痛患者のうち、7人ががんの転移によるということです。この数字の中には、多発性骨髄腫も含まれており、ましてや初発症状が腰痛などということは、かなりまれなわけですから、ピンポンでとりあげるネタとしては、あまりにキワモノと言わざるをえません。そんなことより、煙草をやめれば肺がんはへる、COPDも心筋梗塞も減る、という話題が本当は必要なのですが、それでは、番組的にはつまらない、ということになる。つまり、バラエティーは、どうでもいいような、あるいは、世の中を混乱させるような、キワモノ的な話題しかとりあげないのでおもしろいかもしれないけれどくだらないというわけです。でもそれが日本人の民度なのですから仕方ありません。民度向上のためには教育しかありませんが、学校の教師の質の低下も歯止めがかからない現状では日本は衰退の一途をたどらざるを得ないと思います。おしまい。

おりた肩の荷


NSASBC01の論文がJCOにアクセプトされました。手元にあるプロトコールを眺めながら長かった14年を振り返り、あんなこと、こんなこと、あったよね~音楽と思い出してみました。ずーっと、どこかにつっかかっていたものがとれたような、肩の荷が降ろせたような、そんな充実感があります。しかし、イ○アフォーの暴挙に対する憤りは消ゆることはありませんなガマン