マルサのおじょうさん


先週、医療法人圭友会に税務署の査察が入りました。査察と聞いて、計理士はじめ、緊張が走ったのですが、「ランダムに選ばれた新規開設の事業者を対象にするもの」と聞いて、自然体で臨めばよかろう、という対応で査察官をお迎え致しました。後でわかったのですが、この読みは全く間違っていたことを知らされたのでした。
査察官、すなわち、マルサの女は、20代後半? 30代? (まさか40代ではないとおもいますが)、とにかくお若いおじょうさんで、挨拶し名刺をお渡しすると、警察手帳のような税務署員証をかかげ、「○○○○です」と、見かけに似つかわしくない落ち着いた声で自己紹介されました。それで、マルサのおじょうさんは、二日間にわたり、我が法人の経理書類を手際よく徹底的に調査分析されたのでした。おおかたの経理書類に目を通した後、初日の夕方ぐらいから、薬剤の使用状況を確認したい、ということになり、法人経理担当者(妻、妙子)と薬剤師が対応しました。「○月○日にハーセプチンを5バイアル仕入れていますが、その使い道を教えてください。」と具体的なつっこみ。当方、優秀な薬剤師を雇用しており、マルサの質問に対して、瞬時に各薬剤を使用した4名の患者のカルテの処方欄を示し「残りの1本はここにあり、明日、使用することになっています。」と完璧な対応。質問はさらに「ゾラデックスは?」「リュープリンは?」と、単価の高い薬剤について、つぎからつぎへと続きます。いずれも薬剤師がきちんと対応し1日目無事終了。
 
翌日の昼頃には、マルサのおじょうさんも多少うち解けたらしく「実は・・・」と、今回の査察の本当の目的を話してくれたのでした。「お宅は薬剤の仕入れ額が医療法人としては、桁違いに多いのにもかかわらず、所得申告額が異常にすくないので、そのあたりの状況を確認させて頂きましたが、特に問題はありませんでした。」というのが、マルサのおじょうさんが話してくれたポイントでした。つまり、「あんたんところは、ものすごい金額の薬剤を問屋から仕入れているのに、それに見合う分だけの所得が申告されていない。これは、仕入れた薬剤を横流ししているとか、所得を過小申告しているとか、決算を粉飾しているとかに違いない、と、乗り込んできたけど、どこにも問題はないことがわかったわ」ということでした。ちなみに、穂積先生情報では、ハーセプチンの使用量は、我が浜松オンコロジーセンターは全国で31番目で、これは、千葉県がんセンターや、群馬県がんセンターよりも多い、ということだそうです。
 
抗癌剤治療、受ける患者さんも、実施する我々もかなりのストレスがあります。また、抗癌剤治療を行うには、相当な専門的知識、経験、高度な判断力を要求されます。にもかかわらず「抗癌剤治療を一生懸命やっても税務署がびっくりするぐらい収益が少ない」 というのが、実態なのであります。これはすなわち、抗癌剤の仕入れ価格が、他の一般薬にくらべて、桁違いに高いのですが、その薬剤仕入れの際の値引率は極めて低く、抗癌剤治療に関わる専門的技術料が不当に低く評価されているというあたりが原因です。医療機関が赤字でも、報酬面で報われなくても、患者さんのニーズは確実に高まっていますから外来抗癌剤治療は今後、ますます増えていくことでしょう。このギャップをどのようにしたら、うめることができるのでしょうか、腫瘍内科医の第一人者として解決策を考えていきたいと思います。 それにしても、マルサの方、何が楽しくてあんな仕事をやっていられるのでしょうか。
このブログがきっかけで追徴金を課せられないことを祈ります。

続・医者のりーくつー


前回、医者のりーくつぅ~を書いたときは、(2)、(3)として、私が見聞きした、世の中に通用しにくい医者の屁理屈を順番に書こうかなと思っていました。たとえば、「僕は乳癌の患者を診ていますが、本当は肝臓外科医なんですよ、もっとも最近は肝臓の手術は、ここ1年ぐらい、していませんけどね、なんていう話は、患者さんは不安になるし、病院としては、そんないい加減な医師を雇用していては、社会的な信用問題にもなりかねない」というような話です。ところが、7月にフジテレビの特ダネに紹介されて以来、セカンドオピニオンが一日5件とか、10件とかの毎日で、時間がなかったことと、セカンドオピニオンを求めてお見えになる患者さんの話を聞くと、あまりにも非・標準、非・常識的な治療が行われていて、今まで勉強してきたこちらの考え方が、実は非・標準的なんじゃないのか、と、我を見失う程の衝撃をうけることもあり、それで、続編の筆が進まなかったわけです。最大の衝撃は、新横浜の血管内ナンセンス治療。ここでナンセンス血管内治療を受けている患者さんは、いままで、何人もお見えになり、状況のひどさはわかっていたつもりですが、ますますひどく、看過できない程の有害診療が行われた患者がお見えになり、すぐに元々かかっていた大学病院の先生に連絡をとり、治療を引き受け願いました。保険外診療だからといって、あそこまででたらめなことが許されていいのかと、強烈な衝撃を受けた夏の終わりでした。