医師は医師らしく・・


ある団体に、医師主導治験について話をしてほしい、と言われました。私は医師主導治験は意味がないと思っているし、あまり重要なことでもないし、私よりは適任の人間が他にいるから、と断ったのですが、是非、辛口批評をしてくれ、と言われました。私の得意技はエビ固めで、辛口批評は柏のマンネリドライフリートーカーの得意技なのでこれまた難色を示したのですが、EBMの視点から話してくれと、多少プライドをくすぐられたりしたものですから渋渋渋・・引き受け話をしてきました。私の視点は、「個々の薬剤の性能評価は製薬企業の仕事、医学研究者の仕事は個々の薬剤を武器とした全体の治療戦略を検討することであり、新しい治療コンセプトの検証にある」と言うことで昔から一貫しています。すると、医師が、製薬企業の肩代わりをして新薬の治験をやる、などと言うことはちゃんちゃらおけさになります。また、有岡君が計画しているような市販薬似たもの同士のちまちました比較も、市販後臨床試験として企業がやるのならともかく、国民の税金を使って医師が行うような代物ではないように思います。医師は医師らしく、製薬企業は製薬企業らしく、総長は総長らしく、Be as what you shoud be と感じます。

既に巣立っていた


つばめ君たちの雛は、7月17日か18日ごろ巣立った模様。旭川市民講座のため出張中の出来事でしたので詳細はわかりません。数日後、やや小振りなつばめ3羽が低空飛行していました。これが、お別れの挨拶かもしれません。つばめ君、巣はそのままにしておきます。来年、来たらまた使って下さい。これにて今年のつばめレポートはあっけなく終了します。

「臨床試験の基礎は中学教育にあり」の巻


臨床試験が思うように進まないことがしばしば指摘されます。日本人には臨床試験は向かない、という、まるでとんちんかんな論調を展開していた大御所もかつてはいました。しかし、さすがにいま、そんなことをいう人はいません。医師の資質の問題、医師の数の問題、医師の仕事量の問題、CRCがいないという問題、データセンターがないという問題、研究費がないという問題、同意がとれないという問題、薬剤が使えないという問題、など、臨床試験が進まない理由としていろいろな問題があげられ、それなりに解決策は講じられています。たとえば、データセンターもここ5年ー10年ぐらいでいくつか立派なのができました。CRCも増えてきました。しかし、いっこうに手つかずの問題もあります。医師の中には、臨床試験の方法論や、臨床試験で得られるエビデンスの意義について、こいつは低脳かと思えるぐらいわかっていない医師が多く、また、医療はすべて完成されたものであると信じ、自分だけは最良、最高、最善の治療をうけたいと主張するわからずやの患者も多いです。「いくつかの最良、最高、最善である可能性のある治療のなかから、どれが、それなのかを、明らかにするために臨床試験に参加して欲しい」旨の説明に対し、「ここの病院は一流であると思ってきたのに、最良、最高、最善である治療がわからない、などというふざけた話があるのか!」と、怒りをあらわに立ち去っていく患者サマもいます。臨床試験参加を拒否するのは、患者サマの権利ですから、それを侵害してはいけません。しかし、いろいろな状況で思いをめぐらしてみると、低脳かと思えるぐらいわかっていない医師や、わからずやの患者らの主張が形成された背景には、初等教育におけるサイエンス教育に問題があるのではないかと思います。
 
人類の技(art)は、完成されたものではなく、つねに、進歩しているものである、という意味で、state of the artという言葉が使われ、よく言う「標準治療」の英訳としては、standard treatmentというようりは、state of the art treatmentと言う方がふさわしい気がします。初等教育でも、このような科学の意味や、科学的研究の方法、そして人類が解明しえたものは、自然現象のほんの一部にすぎないこと、薬の効果とかを含めた医療についても、まだまだ未完成であり、神のみぞ知る真実を解明するためには、科学的な探求方法があることを教えなければいけないと思います。中学校教師の質の低下、熱意の低下がしばしば問題視されていますが、サイエンスの意味を正しく教育できる中学校教師は、腫瘍内科医の数よりもっと少ないであろうと思います。いっか~ん!(ひかえめに)
 
今日、外来に来た中学校教師、治療を計画的に進めなければいけない状況なのに、土曜日は、クラブの遠征などがあり来れない時も多い、平日は会議などがあって抜けられない、それ以外も突然生徒指導などがある、学校は休むことができない ・・・・・・、まるで計画がたたないのが中学校教師の特徴であるかのような主張。都合の良い時間に来てもらえるように最善の努力は払いたいと思いますが、いつこれるかわからない、予約をしても突然キャンセルすることもある、と、こんな状況では、計画的な治療はできません。また、こんな無計画な人間に、人を教える資格などがあるのか、とほほのほ。熱血教師像はもてはやされていますが、計画的に物事をすすめ、場合によっては自分の都合を優先することのできるprospectiveな中学校教師が求められている時代であると思います。

つばめJr.たち


ここ1週間ぐらい、つばめ君夫妻はやけに攻撃的になっており、歩行者の耳元をかすめて飛ぶなど、その狼藉ぶりには巣の撤去をふくめた断固たる処置が必要! という強硬意見も出るぐらいでした。それも本能のなせる技、雛がかえるにちがいない、という穏健派の意見に従い様子をみていたところ2日ぐらい前から灰色の生命体が確認され、今日になって三羽の雛であることが確定しました。雛たちは食事に夢中でストロボの光すら親の接近と思うらしく赤いくちばしを拡げ、チッチッ と餌をねだります。

いろいろな見方


最近、私の転職に関心をしめして下さる方々から、いろいろなコメントを頂戴しています。「渡辺先生、東京での仕事はさぞかしおつらかったのでしょう。ふるさとにお戻りになって、これからはのんびりとお過ごし下さい」、とか、「国立がんセンターをおやめになってもったいないと言われることはありませんか?」とか、「東京にはいられない事情があったとは思いますが、すべてお忘れになってください」とか、「これからは公のお仕事はできませんよね~」とかとか。どれも、ちがうんだけどな~、と思いつつ、他人は、それぞれの情報で、それぞれに解釈して、それぞれに勝手に納得するもの、であり、いろいろな見方があるもんだ、と関心しています。
 
いちいち反論はしませんが、エビデンス侍としては、このような問題も、EBMと結びつけて考えてしまう習性があります。要するに、医療においても医師は、step 1(Assess the Patinet) それぞれ勝手な診かた(所見、検査結果)をして、step 2 (Aquire evidence) それぞれ勝手に、レベルのひくいエビデンスをあつめてきて、Step 3(Appraise the evidence) それぞれ勝手にその情報を解釈して、step 4(aply the evidence) それぞれ勝手に患者の治療にあてはめてしまう、という状況とよく似ているものだ、と、まあ、よくあるエビ固めにはまってしまうわけです。いっか~ん!