ちーがーうーだーろーぉ!


Dr.Spoon 日本名さじ先生がm3でレチノブラストーマのことをレチノイドブラストーマと、信じられないような間違ったことを言っていた。耳を疑ってしまった。おいおい、専門家のふりをするなら基本的なところを抑えておきなさい。スポンサーのファイザーもファイザーだよ。原稿チェック、音声チェックしていないのだろうか? 画面のスライドにも、レチノイドブラストーマって書いてある。11月11日のしゃんしゃん(香香)大会、楽しみですね。

https://mrkun.m3.com/mt/onepoint/2584/view.htm?mkep=mrq2.0&pageContext=gp-58524&displaysite=pc_rhs_mrkun_05_limited&mke=1&directQfb=true

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乳腺外科の先生に伺います


Q1:インプラントを用いた乳房再建、かつてはIWHR先生、NGM先生に依頼していました。今は浜松総合病院(仮称)の形成外科医に依頼しています。できばえ? そりゃあ当然、NGM、IWHR先生の方が圧倒的に素晴らしく、形成外科医といっても乳腺については駆け出しに近い浜松総合病院の作品は「ひどいもの」です。乳腺の再建は、乳腺という臓器を熟知している乳腺外科医が行うのがいいとつくづく思います。浜松総合病院の形成外科医は、そのうちうまくなるのでしょうけど、このラーニングカーブの間にしくじり再建をやられた患者はたまったものではありませんが、どう思いますか?

Q2:インプラントを用いた再建が保険承認されて以来、温存できるのに全摘・再建になってしまうケースが実に多いのですが、他の施設でこのような傾向はありますか?  あるいは、乳腺外科医の先生方、ちまちま温存するよりざっくり乳切してしまって「あとはよろしく」と形成外科医に頼んで手を下ろして休憩室でお茶を飲む方がいいのでしょうか?

Q3: 現在30才以下の乳腺外科医は、もし、外科医としての人生を歩むのなら、形成外科医と乳腺外科医のダブルライセンスを獲得して、外科医の人生を全うする、というのをどう思いますか? SGR先生の言うように「腫瘍内科医が足りないので、腫瘍内科医の仕事である薬物療法を外科医が担当する」というのと、「腫瘍内科から見てもとても手術を依頼したいとは思えないような薬物療法の治験に情熱を燃やし手術に興味が薄い乳腺外科医が存在する」というのとはニュアンスが異なります。今後、「薬物療法の治験に情熱を燃やし手術に興味が薄い乳腺外科医」が増えることは望ましい事でしょうか?

医学の歴史 消化器外科編


胃潰瘍の薬「シメチジン」商品名「タガメット」が、我が国初のH2ブロッカーとして発売されたのが1982年です。その翌年、私は国立がんセンター病院レジデントとして札幌から築地に移りました。

今ではH2ブロッカー、プロトンポンプ阻害剤、その新型であるタケキャブなど、豊富な薬剤があり、胃潰瘍は薬で治る病気です。しかしシメチジン登場前は、粘膜保護剤といわれる「胃薬」と食事療法で厳しく食事管理を行い、それでも治らない場合は、胃全摘をしたり、迷走神経遮断術などの外科的治療が行われており、胃潰瘍手術専門の病院もあったほどでした。私は札幌で研修していた時、担当患者が入院中に胃潰瘍から出血、吐血して深夜に亡くなり、悔やんでも悔やみきれない思い出があります。朝日の中で遺族に会ったときの光景が今でも目に浮かびます。その時に胃潰瘍の事をいろいろ勉強して論文、雑誌でよく見た名前が東京のK先生。外科で迷走神経切断術とかやっていて潰瘍外科の専門と紹介されていました。

その後、築地に移って、がんの勉強をやっているとき、胃がん手術の専門として、K先生の名前をよく見るようになりました。あるとき、都内の講演会を聞きにいったらK先生が胃がん手術の歴史みたいなことを話して、昔から胃がん手術に取り組んでいるようなことを言っていました。

その後、ピロリ菌感染が萎縮性胃炎をへて、胃がんの発生をもたらすということが明らかにされ、「ピロリ除菌で胃がん予防」、「胃がんは感染症」、「塩蔵から冷蔵への移行で胃がん減少」ということが常識になったころ、大教授として学会を席巻していたK先生がテレビの健康番組で、「私は長年、胃潰瘍と胃がんの関係を研究してきました」と言っておりました。定年後のK先生、最近はあまり名前を聞きませんが、門下生の教授が50人近く全国にいるそうです。

節操がないと批判するか、変わり身の早さを揶揄するか、はたまた、50人の門下生を恐れて沈黙を守るか、あるいは、数々の業績を褒め讃えるか、賢い道はどれだろうか。

 

灰色の調剤薬局?


「ジェネリックはやめて下さい」という患者がいる。レトロゾールを処方している患者や患者家族から、しかも複数の、しかも市の北の方の地域の人たちばかりから。ジェネリックにも松竹梅があって、梅(粗悪品)もあるようだ。しかし、「松」なら、問題なし、ということになっている。お上(厚労省)は医療費削減の施策としてジェネリック使用を推進している。浜松オンコロジーセンターは開院以来、院内調剤を原則としている。患者は便利だし、チーム医療の一員として薬剤師は診療の流れをきちんと把握し、医師、看護師からの説明との整合性も取らなくてはならないからだ。しかし、在庫薬剤品目数は厳しく制限しなくてはならないので、ジェネリック先発品も両方院内在庫、というわけには行かないので、全ての品目について、可能な限り「松」レベルのジェネリックを採用している。

ジェネリックはやめて下さい、という患者に理由を聞くと、ジェネリックは粗悪品、先発品が高品質、と信じているようだ。だれがそんなことを言っていますか? と聞いても、言葉を濁す患者が多いが、希望ということなら「フェマーラ」と書いて院外処方箋を発行してきた。そこで、おや? おーや〜? と、あることに気づいた。フェマーラに変更を希望した患者は、同じ地域の同じ調剤薬局に行っている。調剤薬局が先発品を推奨するのは悪いことではないけども、なにか、怪しい臭いがする。厚生省(当時)の薬剤師の牙城である医薬安全局(当時)が医師の独断・専横にはどめをかけるため、院内調剤から院外調剤薬局への移行を後押しし、ジェネリック導入を推進している。医療の透明化という点では院外調剤はいいことかもしれないが、診療所にも有能な薬剤師を配置すれば、前述のようにチーム医療の実践の下で、質の高い調剤が達成できる。院外調剤は患者には不便だし、情報提供も不十分だ。それにくわえて、灰色の調剤薬局がおかしな誘導をしているとしたら、院外調剤推進も考え直さなければいけない。また、子供医療費無料を悪用して、お兄ちゃんの薬を弟の名前で処方してもらいなさいと、親をそそのかす調剤薬局の親父もいるらしい、という話は以前、このブログで触れた。

「すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。(出エジプト記18:21)」

「不誠実で不義の利を愛する」ことがあるとしたら、そこは改めなくてはいけないのだ。

天下の悪法「個人情報保護法」を考える


浜松医療センターが日本初の「オープンシステム病院」として開院したのは1973年(昭和48年)で、母体となった浜松市医師会病院が発展的に移行したものです。オープンシステム病院とは、病院施設、医療者の智恵を院外主治医(医師会々員)と院内主治医(病院勤務医)とが協力して活用し、患者の診療にあたる仕組みです。この仕組みができた当時は、浜松市医師会員の100名近くが、オープンシステム機能を利用していました。具体的には、浜松医師会員が各自の診療所で昼過ぎ(あるいは夕方)まで診療した後、往診の形で、医療センター入院中の患者を回診し、その際、院内主治医と、意見交換したり、退院後の対応を決めたりと、今で言うところの病診連携で、しかも顔の見える形での有機的な連携が実現されていました。

私の父渡辺登氏は、このシステムの定着、実践にとても熱心でした。私が医学生の頃は、帰省の度に白衣を着て父の後について医療センター回診に行ったものでした。医療センター医師、院外主治医、看護師、放射線技師、病理診断医といった人たちとも、いつの間にか知り合いになり私は「渡辺登先生の坊ちゃん」と格付けされておりました。時代は下り、2005年に私が父の後を継いで浜松に戻ってきた頃、同じように、父と一緒に医療センターを回診するのが日課でした。しかし、状況はだいぶ変わっていました。そもそも浜松市医師会員でオープンシステムを活用している医師は10人たらず、年配の医師ばかりでした。いくつかの病棟をまわっても、ナースステーションからは、どこのじいさんが来たんだ? みたいな目でみられていましたが、父は一向に意に介せず、右手を挙げて、後はよろしくと、意気揚々と階段を降りて行きました。2007年に父が他界した後も、私は浜松オンコロジーセンターでがん薬物療法を担当した患者が入院した際の回診、診療カンファレンスや、病理診断カンファレンスなどをオープンシステムの利点を活用して院内主治医との討議、意見交換の形で活用し、治療方針の決定、手術の是非に関するディベートなどをしてきました。このような活動は「真実は必ずしも一つではない。」「Aという考え方もあればBという考え方もある」という懐の深さや、ロジカルシンキング、すなわち、自分がなぜAという治療方針がいいと思うかを、相手に分かるように、論理的に説明する鍛錬になり、EBMの基本でもあります。また、「カンファレンス」の語源は、con = いっしょに、力をあわせて、ference=物事を遂行する、話し合う、という意味。時間と場所と、情報と知識と理解を共有して、正しいことに肉薄することです。このような理念がオープンシステム、病診連携には内包されているのです。

Conferenceのconは「一緒に」ということですから、討議の対象は、院内症例も、院外症例も、院内主治医と院外主治医が討議対象としてしかるべき、それだからカンファレンスの意義があると思うのですが、今日、浜松医療センターに行ったら病理の小澤先生に呼ばれて、「このような形の病理カンファレンスは、個人情報保護法に抵触し、病院機能評価でも咎められるし、がん専門拠点病院の認定要件にも抵触するので、今後、廃止したい、との下知(げち、女城主直虎参照)が下りました。院内症例は勤務医の所轄の問題なので勤務医だけで討議する、院外症例は院外主治医の所轄なので院外主治医だけが討議するよう、病理カンファレンスを別々に行う、ということです。がん薬物療法の専門家からすれば、所轄以外の院内症例の治療方針について外科医にとって有益な助言、提言、示唆、指導があると思います。たとえば、国立がんセンターでの外科内科の合同カンファレンスでは、内科は所轄以外である外科担当症例についての意見を述べますし、外科も内科提示症例について、外科の立場から提言をしてくれます。このような異なった立場、異なった専門、ことなった経験を背景として専門医療者が、智恵をあわせる、ともに事を進めることは極めて有意義なことであるのに、今回の下知は、そのような英知を崩壊させるものであると思います。

我々医療者は、様々な律法により「守秘義務」が既に課せられています。「業務上知り得た患者の情報は口外しない」ことは、ルールを超えた、マナーであり、常識であります。正確な基礎情報を提供する電子カルテを供覧しながらの討議では、患者の個人情報は当然共有されます。匿名化していない情報は、要配慮個人情報に該当し、これを、所轄症例ではない医師が知ることが、「不適切な第三者への提供」ということになる、と個人情報保護法の規定を解釈するのなら、小澤先生の言い分は、間違ってはいないでしょう。しかし、カンファレンスの廃止で失うもの、患者が被る不利益も多大なものとなることは、専門家の立場でないと分からないことですが、大問題であります。刑法134条により医師は既に法的に秘密漏洩は硬く禁じられており、オープンシステムの理念を正しく理解した医師は、「最も適切な、客観的意見を提言できる理想に近い第三者」であるのです。個人情報保護法が発行されて以来、医療者は、訳の分からない呪縛におびえ、本来、共有すべき情報を不適切に隠蔽していると思います。過剰反応も目につきます。

ユダヤ教では600を超える律法に縛られています。そこに登場した主イエスキリストは、600を超える律法よりも、もっと大事な教え「神を畏れ、隣人を愛しないさい」を説きました。悪法を廃して、事の真実を見つめること、それが今の社会にも大切です。個人情報保護法の呪縛は、いったん横において、我々が今、なにをなすべきかを、小澤先生もよく考えてみたらどうでしょうか。ついでに新院長も。

乳腺外科医の時代的変遷


新時代

今週月曜日に東京の名門病院で研修をしている若手医師が当院に見学にきました。若手医師は乳腺外科を志望しているとのことですが、現在の病院では画像診断医がMMGの読影や超音波診断、針生検を行い、薬物療法は全て腫瘍内科医が担当しているそうです。それはそれで正しい姿ですが、若手医師にしてみると今後の我が身の姿、自分の役割をどう描いていったらいいのかと、深く深く考える契機になったようです。そこで上の図のような私の持論を絵に描いて渡して説明しました。これは乳癌診療のみならず他臓器のがん診療における役割分担の変遷としても当てはまることだと思います。20世紀、昭和の時代は、乳腺外科医が診断から終末期医療までを担っていました。ところが、私のような腫瘍内科医が薬物療法を担当、P子先生のような診断医が画像診断、針生検を担当、となっていると、らっきょうの皮むきのように、皮をむいてむいてむいていくと中心に小さく残る領域は、「手術」であり、乳房温存術、センチネルリンパ節生検、腋窩郭清 などの技法です。乳房全摘後の再建は、人工物を使う手技も、自家組織を使う手技も「形成外科医に丸投げする」という選択肢を乳癌学会はとりました。しかし、ツバル(海面上昇により国土が縮小した島国)のように領域が狭く狭くなってきた状況で、新たな領土となりうる、人工物を使用した再建術、これを手放したのは実に痛いのではないでしょうか。しかし、これから乳腺外科医を目指す若者は、oncosurgeryだけではなく、plastic surgeryも、我が身の修練の対象とするべきであると思います。諸外国ではすでに「oncoplastic surgeon」という守備範囲で乳腺外科医が活躍を開始しており、先日、ドイツデュッセルドルフに見学に行った女医さんから来たメールには「渡辺先生のおっしゃるとおりドイツでは、薬物療法をやっている外科医はいなくて、外科医は、再建手術まで担当しています。」ということでした。次世代を生きる現在の若者は、新しい姿を模索するべきであり、現在の20世紀型の乳腺外科医はワーキングモデルにはなり得ない、と心得るべきでしょう。

正しい知識は安心の灯


ただしいちしきはあんしんのともしび
昨今のマスコミ報道を見ていると、有名人が乳がんになり間違った情報、間違った知識、間違った理解に基づいて、とんでもない、いかがわしい、あきれた治療(治療とは言えないような民間施術)をうけ、あげくのはてに同じ病気の多数の人たちを不安と混乱にに陥れている、という現象が見受けられます。有名人の状況についてTwitterやFacebookなどのSNSで不用意に発言すると血祭りにあげられたりブログが炎上したりと、ろくなことがありません。私は頑なに「有名人の病状公開は単なる売名行為でありいちいちコメントするに値しない」という立場を貫いています。
それにしても抗がん剤治療にしても術前薬物療法にしてもホルモン療法、分子標的療法にしても手術や放射線の意義にしても、「有名人の病状公開」の内容はどうかと思うような内容が大変多いです。しかし、これを真に受けて、同じ病気であってもまったく関係の無いような症状であっても多くの人々がかえって不安に陥っている現状は本当にかわいそうに思います。全ての患者が正しい知識を持てとは言いませんが、もし、正しい知識を提供できる医師に巡り会えれば、それは、不安に迷える人々にとっては安心に導く灯(ともしび)でありましょう。難しいことはわかりません、という人も多いと思いますから、そんな場合は少なくとも「有名人の売名行為」の報道などの間違った知識や情報に振り回されないよう、冷静に安心の灯を探してほしいと思っています。