コメントに対する冷静な回答


がん治療の領域は日進月歩です。私の人生の時間軸、すなわち1980年から今日までの30年間だけでも、大きく変容しています。もはや、がんに対して、拡大手術などを試みるドンキホーテのような外科医は存在しないでしょう。そういう観点から、自分たちは変化の流れの中にいる、dynamicな状況であり、決してstaticではないという認識を持たなければなりません。もちろん、心臓外科、小児外科、外傷外科などは、重要な医療として、当面は存続すると思います。また、自分がどうだったらどうしますか、家族だどうだったらどうしますか、という論調を私は持ち合わせておりません。近藤某と同格に認識して頂き光栄に存じます。

腋窩郭清についてASCOの見解


JAMAに掲載されたACOSOG Z1011試験についてASCOの視点を表明しました。それによると、この試験の結果はあくまでも、腫瘍径5cm以下、センチネルリンパ節生検で1-2個陽性で、温存術をうけて、放射線照射と、薬物療法をしっかりやっている症例に当てはまる結果である、としています。

しかし、ASCOでも、すでに、この結果が一般臨床に応用されつつあることを認めています。その最大に理由は、腋窩リンパ節郭清による浮腫、疼痛、運動障害などの副作用は、患者にとって厳しい現実であり、腋窩郭清をしないで済むのなら、しないでほしいという希望は極めて強いからです。

また、この試験は、標準治療を変革させるものであり、また、他のがん領域でも言えることですが、外科医の「手術やりすぎ症候群」にレッドカードを与える、意味のある試験結果であるといえるでしょう、と言うようなニュアンスのコメントも載っています。(渡辺やや誇張気味)。
腋窩郭清は、かつては治療と考えられていました。しかし、それが検査という位置づけに降格になり、今回、不要という烙印を押されかねない状況となっています。これは患者にとっては大きな、大きな喜びでしょう。しかし、反面、外科医にとっては、大きな、大きな悲しみかもしれません。断っておきますが、決して私は外科医がいらない、と言っているのではありません。外科手術が大きく変わってきて、今後は原発病巣からの生物学的情報をえるための生検ぐらいの意味が残っていくだろうけれど、それとて、針生検、バコラ、マンモトームで代用できるのだから、結局は外科医はいらない、ということになるのでしょうか。若い外科医諸君、転職するなら今ですよ。MKタクシー運転手募集中!

審査する立場の不勉強


社会保険の患者さんのレセプト審査で、オキシコンチンを1日400mg使ってくる患者さんについて、「多すぎる、他の手立てはないのか?」との査定がきた。解説を加えると、患者が加入している健康保険により、勤務者なら通常社会保険、自営業の経営者などでは通常は国民保険に加入する。昭和36年以降、日本が誇る国民皆保険である。患者は医療機関で診療を受けた時、その医療費の3割を会計窓口で支払う。高齢者の場合は1割。残りの7割(高齢者の場合は9割)は、社会保険または国民保険の支払い基金が医療機関に振り込む。もちろん、支払基金の元となっているのは、保険料としてみんなが毎月払っているお金だ。支払基金は医療機関に7割(高齢者は9割)を支払う以上は、医療がきちんとしたルール(療養担当規則)の則って行われているか、を月々のレセプト(診療報酬明細書)を審査しなくてはならない。オキシコンチンが使用されていたら「がん性疼痛」という病名がないと、それは認めるわけにはいかないだろう。病名が落ちていて、保険が通らなかった、ということが時々あるので、そのようなチョンボはしないようにしなと、病院が倒産する。使用量が不適切、とか、併用は認められない、という判断がなされると「査定」といって、その分、「これは認めません」と言ってくる。今回、オキシコンチンが多すぎる、という指摘には、丁寧にお答えしたが、それにしても、がん性疼痛で、オキシコンチンが多すぎるという指摘は、不勉強極まりないものだと思う。薬剤師の宮本くんも、そんなことを言う審査員の顔が見てみたいですね、とあきれていた。内心は、お前、分かっているのか、勉強して出直してこい、という感じだったが、弱い立場にある私たちは、御無理ごもっともと、従わなくてはいけないことが多い。審査する側も、よっく勉強しなくてはいっか~ん!

がん治療 迷いのススメ セカンドオピニオン活用術  - はじめに –


「がん治療 迷いのススメ - セカンドオピニオン活用術」の はじめに の部分をどうぞ 

今、この本を手にとって、お読みになっているあなたは、きっとがんのことで悩んだり、迷ったりされている方だろうと思います。ご自分が、ご家族が、あるいは親しいお友達が、がんと診断された方かもしれません。がんという診断が、まだ、信じられない方、これから受ける治療を自分で決めるように言われて困惑している方、現在の治療をやめたいと思っている方、など、状況は、様々だと思います。いろいろな病気のなかで、がんだけが特別な病気というわけではありませんが、なぜか、がんという病気には、暗くて思いイメージが伴います。
その理由は、がんは治らない病気である、がんになったら、もう今まで通りの生活ができなくなってしまうのではないか、治療は辛いに決まっている、などという認識が強すぎることがあげられると思います。しかし、そのような話は20年も前の認識で、今は、かなり状況が変わっています。がんやがん治療に関する一般的な知識は、2009年に発行した「がんになったらすぐ読む本」(朝日文庫)に、腫瘍内科医の視点で、かなり詳しく分かりやすく書いたつもりです。よろしかったらご一読下さい。

でも、あなたがすぐにでも、お知りになりたいことは、一般的な話ではなく、ご自分の、ご家族の、あるいは親しいお友達のがんに対して、具体的にどのような治療が一番いいのだろうか、これから先、病気はどうなっていくのだろうか、世の中には、どこか探せば、もっとよい治療や病院があるのではないかなど、個別で具体的な情報や助言なのではないでしょうか。
残念ながら、本書ではすべての読者の個別の状況に対して、正しい助言や方針をお話することはできません。それができるのは、ひとりひとりの患者さんの病状を一番よく把握しているはずの主治医だけなのです。そのような信頼できる主治医に巡り合うことが、安心できるがん診療の第一歩であると思います。ところが、問題は、信頼できる主治医がどこにもいないという患者さんがいることです。しかも、がん難民ということばで表現され、社会問題となるほど多くの患者さんが、主治医との良い関係を持てず、行き場のない状態になり、不安とおそれの中で暮らしているのです。

本書のテーマは、がんに罹った患者さんが、自分にあう良い主治医に出会い、安心して治療を受けられるように、お手伝いすることです。20年前とは状況が変わったとは言え、がんは、やはり深刻な病気ですから、治療は、心の平穏を保ち、安心して、受けたいと誰もが願うはずです。しかし、主治医の説明が理解できない、納得ができないというような場合はどうしたらよいのでしょうか。説明もしてくれない、ということも現実にはあるのですが、我慢して、治療を受けなければいけないのでしょうか。このような問題を解決する方策のひとつとして、本書では、第三章でセカンドオピニオンに焦点を絞りました。セカンドオピニオンをうまく利用することによって、自分が納得のできるがん治療を受ける糸口が見つかるはずです。
国立がんセンター中央病院での腫瘍内科医としての20数年の経験を基盤として、生まれ故郷である静岡県浜松市に、浜松オンコロジーセンターを開設して5年半、外来化学療法、がん治療に関するセカンドオピニオン提供、そして在宅がん治療を三本の柱として、「街角がん診療」を実践しています。週1回、東京お茶の水の杏雲堂病院でも、腫瘍内科外来を担当しています。また、月1回、青森県立中央病院でも外来診療を行っています。浜松、東京、青森と、全く異なった地域、医療機関で、がん治療を実践してみて、分かったことは、地方も中央も、都会も田舎も関係なく、がん患者との良いコミュニケーションを確立することが、何より大切な、初めの一歩であるということです。そのために、医師はプロフェッショナルとしての研鑽を積み、日々の努力を惜しんではならないのです。

「迷いのススメ」という本書のタイトルの意味は、「最初に、多少の時間をかけ、あれこれ迷って、納得のいく治療を求めることが重要です。」というメッセージをお伝えしたいからです。確かに、現在のがん診療には、多くの問題があり、それが、直接患者さんの好ましくない影響を与えています。第1章に、好ましくない影響の実例をあげたのは、だれしもが陥りやすい問題として警鐘を鳴らすのが目的です。そして、具体的な患者さんの事例を第2章にあげました。個人が特定できないように、多少、状況を変えてあります。ここでは「注意しないと、こんなにひどい事にもなりかねないですよ」ということをお伝えしたつもりです。

「患者の知る権利」と「医師の説明義務」が、過剰に強調されるあまり、本来、あるべき患者-医師関係が失われる可能性があります。また、医療崩壊の結果、大病院では限界を超えた業務量に加え、行き過ぎた手続き主義が、診療効率を低下させています。一方、個人開業診療所は、社会保障としてのがん医療の一翼を担うだけの機能と責任を持ち合わせていません。この状況を改善するため、高機能診療所構想を提案するなど、第四章では、これからのがん診療のあるべき姿について、前向きに考えてみました。

腫瘍内科医としての30年の経験のなかで体得したこと、失敗と反省を糧に学習したこと、そして、なによりも患者さんたちから学んだことが、本書を執筆するための直接、間接の材料となっています。また、駆け出しの医師の頃から現在まで、ご指導頂いている阿部薫先生(国立がん研究センター名誉総長)、海老原敏先生(杏雲堂病院院長)および吉田茂昭先生(青森県立中央病院院長)との巡り合いがなかったら、私の腫瘍内科医としての経験は、ここまで充実してはいなかったと思います。また、世の中に少しだけ役立っている医師としての私をはぐくんでくれた、父、渡辺登(2008年他界)と母、渡辺千江子に感謝するとともに、紆余曲折の人生を共に歩んでくれている妻、妙子にもお礼を伝えたいと思います。

では、読者のみなさん、迷うことをおそれず、納得のいくまで、よいがん医療を求めてください。そうすれば、安心と平穏が得られるに違いありません。
2011年1月

渡辺 亨

朝日新書から本がでます


浜松オンコロジーセンター開設5年を過ぎた段階で今まで蓄積した経験知を「がん治療 迷いのススメ – セカンドオピニオン活用術」と題して、朝日新書から出版されます。amazonでは、2月10日より発売、となっています。「がんになったらすぐ読む本(朝日文庫)」と合わせてお読みいただければと思います。

20世紀にタイムスリップ


京都日赤病院では看護婦はゾメタの点滴は刺すけど抗癌剤の点滴は医師が刺すそうです。中心静脈ポートもあまり使っていないんだそうです。医師は忙しい外来の合間や病棟業務の際中に呼ばれていって点滴刺して大慌てで本来業務に復帰するそうです。そのように看護部が取り決めているそうです。役割分担ができていません。NHKでブラジルの草原でのアリ塚の話をやっていました。草原に住むアリですら働きアリ、兵隊アリ、点滴あり、羽あり、と、きちんと役割分担が出来ているのにいったいどういった魂胆なのでしょうか。患者の病状を正しく診立て、全体の治療計画をきっちり立てて、そしてそれを分かりやすく患者に説明する、医師はそのために時間を使わなくてはなりません。看護師は安全でストレスのすくない安心できる環境を構築しながら患者の心理状態に合わせた対応をし疼痛が最小限となるような卓越した刺入技術を提供するのが本来業務ではないのでしょうか。医師は医師らしく、看護師は看護師らしく、それが正しい役割分担というものでしょう。医師が点滴刺しをやるなんて、久しぶりでそんな話をきいてなんだか三丁目の夕日を見ているような京都での講演でした。

乳がん市民公開講座


今回は第11回です。パネルディスカションではいつものように「あなたの疑問になんでも答えます」、 事前に頂いた質問と、今回から当日会場での質問にも出来る限りお答えします。また、基調講演は「よくわかる放射線治療」を浜松医療センターの飯島光晴先生(通称、照射マン)にお願いしました。詳細はがん情報局ホームページhttp://www.ganjoho.org をご覧ください。