やらせ文化としゃんしゃん大会


しゃんしゃん大会に参加した方々からいろいろなご意見、感想を頂きました。そもそも株主総会やご祝儀大会などあらかじめ決められたやらせシナリオを主催者を持ち上げる形で最後に、しゃんしゃんしゃんと手打ちをするところから来たこのネーミング。すごいですね、あんなに持ち上げちゃうんですね、というようなしゃんしゃんの実態を始めて認識した素直な感想や、それなりに知識の整理ができました、とくに後半の進め方は渡辺先生らしくてよかったですよ、というポジティブな評価、おまえは中外から講演料をたくさんもらっているくせに生意気なことをいうな、というとんちんかんな批判。これには強く反論したい。しゃんしゃんといえども参加者にとって役に立つ情報をもたらすために、事前の準備、当日の演出などに費やした時間と労力と能力、それに対する正当な報酬を得て何が悪い、世の中とはそういうものです。それにしても日本は基本はやらせ社会です。国会答弁でも厚労省の会議でも、はじめに結論ありき、あるいは落としどころが最初から決まっていて、そのためにすべて事前に根回しがなされ、あらかじめ敷かれた線路の上をただ、ただ、決められたように進むだけ、そのような抑圧された形を好む国民性がしゃんしゃん大会の根底にはあるのだろうと思います。それがすこしづつ瓦解してきている。乳癌学会改革もその瓦解途上の変化であると認識すべきでしょう。

最後のしゃんしゃん


あすはいよいよ虫害しゃんしゃんです。後半のパネルディスカッションの司会をやることになっていて、事前に虫害お仕着せスライドとNHKばりの(ここで笑い)みたいなやらせシナリオが準備されてきました。しかーし、スライド作成の基本原則〈例:文字は7行まで、左上から右下への流れ、など)が全くできていないごちゃごちゃなスライドだったりで、しゃんしゃん大会といえどもそれなりにポリシーを発揮しなくてはいけないだろうから、いくつか手直しして、上質しゃんしゃんとなるようにしてみました。なぜなら、当局の締め付けが厳しくなり、これが史上最後のしゃんしゃん大会となるからです。最後は蛍の光が流れる中、大内天皇の権能自慢で締めくくりとなります。