適正使用


ファイザー社のMRくんがやってきてイブランスで多数死者が出ていることを教えてくれ適切使用をお願いします、と言って帰って行った。そのあと、どうすればこの「高い」「危ない」「効かない」薬を適正に使用することができるかをじっくり考えてみた。その結果、この薬剤の適正使用とは使用しないこと、との結論に達した。それでいいでしょうか? 志村先生 アイーン

オンコロジストの生い立ち(12)


膵臓の検査をどうしましょう、と病棟でつねた先生に相談してみたところ「膵臓っちゅうよりは、この患者肺腺がんだべ、アミラーゼ産生肺癌でないかい? 明日の総回診で説明できるように図書館で調べてよ」ということで夜遅くまでもくもくと調べたのでした。教授回診は毎週、木曜日に研修医、病棟医(オーベン)などが、入院している約40人の入院患者ひとりひとりの状態、とくに前回からの変化、今後の方針などを教授の前で発表します。教授回診では教授もそれまでに発表された患者一人一人の情報を自分でまとめて記入した京大式カードを見ながら発表を聞くので、前回までの内容と矛楯したことをいうと、あからさまに首をかしげます。私の教授回診デビューは、「アミラーゼ産生腫瘍」の患者でした。

オンコロジストの生い立ち(11)


肺腺がんの患者さんで60過ぎのやせた男性、腹痛もあって、食欲もない、回診の度に、みぞおち(心窩部)の辺りを抑えて、ここに痛みがある、背中もいたい、と訴えました。オーベンのつねた先生と相談して、胃のバリウム検査、膵臓にも膵がんとか、膵炎とかあるかもしれないから、血液検査でアミラーゼを調べる、などの計画を立てました。胃の検査は問題ありませんでしたが、アミラーゼがべらぼうに高い、という結果でした。当時は腫瘍マーカーもほとんど普及しておらず、CTはどこでもいつでもできる、という状況ではありませんでした。

オンコロジストの生い立ち (10)


病棟医長のみやもと先生は、新しい入院患者が決まると、病棟の黒板に、患者氏名、年令、診断、オーベン名、ネーベン名(注:研修医のことをネーベンといいます。オーベンが「上」でネーベンが「下」とか「近く」とか「副」を表すドイツ語から来ているらしい)を書き込みます。「肺がんに興味のある渡辺くん」は、かならず「肺腺がん」とか「小細胞がん」の患者さんが当てられます。肺がんの患者が当てられることに何の違和感もありませんでしたが、あとで考えると、みやもと先生は、第一内科の「肺がんグループ」に私を引きずり込もうとしていたに違いありません。でも、肺がんの患者さんを私に担当させてくれたこと、そして、会う度に、「渡辺くん、よく診ているね、しっかりやってるね、遅くまでたいへんだね」と褒めて、おだててくれましたから、それはそれはとても嬉しかったのです。

オンコロジストの生い立ち(9)


大学病院での研修は続きます。病棟では、渡辺くんは、がんに興味があるんだね、とみやもと先生に言われて、そう思ったので、はい、と答えてから、肺がんの患者を担当することが多くなりました。80歳近くの肺小細胞癌の男性、糖尿病もあって、カリウムも低くて・・・。かみじまオーベンとセットで診ていた患者さんですが、かみじま先生から「先生、謎解きが必要だよ」といわれ、図書館に行っていろいろと調べてみたら、どうもACTH(副腎皮質ホルモン刺激ホルモン)という、普通は脳下垂体前葉から分泌されるホルモンを、肺がんが作る、という、訳の分からない病態「ホルモン産生腫瘍」というものだ、ということが分かりました。翌朝、かみじまオーベンに報告すると、そーだね、先生、よく調べたね、すごいね、とおだてられました。結局、そのおじいさんは、2か月ほどで亡くなりましたが、がんがホルモンを作る、ということに、ものすごく興味を感じたことを覚えています。それと、また、おだてられたことも。

オンコロジストの生い立ち(8)


がんに興味を強く抱くようになったのでは小細胞肺がんの患者の抗がん剤治療を学んだことが一つのきっかけでした。60才過ぎの小柄な男性で、タバコを1日60本も吸っているひと。それが原因で肺がんになったのです。小細胞肺がんは当時から、診断がついた時点で既に脳転移や骨髄転移をおこしている、と言う病気だから手術はしない、ということになっていました。抗がん剤も、シスプラチン登場前の頃だったので、CAVという3種類の抗がん剤組み合わせを使い、外来化学療法という概念はまだ、ない時代だったので、患者はずーっと半年ぐらい入院していました。病棟医長のみやもと先生は肺がん専門グループでした。なので、抗がん剤治療について相談すると、「うん、それでいいんじゃない」ということで、やっぱり、アスペルギルスという説明をして始めたCAVが、脱毛、吐き気は強いけど、がんの影が一時的だけど、消えてしましました。そのときはじめて抗がん剤とは副作用もあるけど、よく効くなー、という実感をもったのです。みやもと先生にそのことを話したら、そだねー、先生、よく勉強してるねー、とおだてられて、がんやらない? と誘われたのでした。

オンコロジストの生い立ち(7)


今なら、気管切開は外科医に依頼するのがふつうだけど、あの頃は、こいずみオーベンと、駆け出し研修医の私のふたりで、病棟で行いました。前の日に図書館で手技手順を読んで頭のなかで繰り返しシミュレートしておいたけれど、まさか、「先生、やれるよね、やってよ」とこいずみオーベンは後ろで見ていてくれる、という状況は意外でした。局所麻酔もうまくできて、切開もすんなりできました。こいずみオーベンは「せんせい、うまいなー、やるねー」と、褒められて、おだてられたのでした。

オンコロジストの生い立ち(6)


すぐに病棟に駆けつけAMBU BAGで呼吸を補助すると息を吹き返し、また、「わしはな・・」と説教を始めます。落ち着いたところで、動脈血採血を行うのも研修医の仕事。酸素を吸わないとこのじいさんの動脈血酸素分圧は30 mmHg位に下がる。普通は90とか100とかある値が、です。教授回診では、現状と解決策を報告しなくてはいけないので、いろいろと調べると、気管切開をして、いつでも呼吸補助ができるようにすることが必要のようで、そのことをこいずみオーベン相談したら、そーだねーとのことで、教授回診でそう話すと、教授も、そうですね、やってくださいということでありました。

オンコロジストの生い立ち(5)


じいさんは、酸素を吸いながら新聞を読んでおり、研修医の私とオーベンのこいずみ先生が朝、回診すると「わしはな、若いころからな・・・」と、肩で息をしながら苦しそうに人生訓を話してくれました。ある日の午後、じいさんが、酸素を吸いながら、ベッドで気を失っていると、研修医の私がインターホンで呼ばれました。酸素を吸っていると息苦しいという感覚がなくなってしまい呼吸をしなくなり、二酸化炭素が血液中に貯まってしまって、そのまま死んでしまう「CO2ナルコーシス」という状態です。