誰も責められないね


「新専門医制度の下で地方から医師がいなくなる 特に内科医、外科医は、東京、神奈川、愛知、大阪、福岡の5大都市圏に集中!!」が問題となっています。具体的には内科医は秋田県、福井県、香川県、徳島県、鳥取県、山口県、高知県、宮崎県ではたった10数人、青森県、群馬県、山形県、福井県、山梨県、奈良県、島根県、山口県、徳島県、愛媛県、香川県、高知県、佐賀県、宮崎県などでは外科医は5人以下、だそうで、美容皮膚科、湘南美容外科のようなどうでもいいようなところに「有為な」人材が流れてしまう、ということです。その原因が新しく発足した「日本専門医機構」の失策、制度改悪、ちょんぼ・・と責められています。

しかし、そもそも、日本の人口構成自体が大都市への人口集中、地方の人口激減のトレンドであること、新専門医制度導入の背景に医局離れを阻止するもくろみから「大学病院での研修」に力点を置いたこと、から、1970年代から80年代に新設された「駅弁大学」と言われる非力な大学・医学部しかない県には、専攻医はとどまらない、希望しないのではないでしょうか。我が静岡県も東海道の東西往来の真ん中にあって、新幹線の駅は一番多いけど「のぞみ」は一本も停まらず、本来、文化的に「人はとどまらず」という土地柄の東京・神奈川と愛知の狭間において、弱小・非力な浜松医大しかなく、県内に留まる専攻医が少ないという現実は、当然の結末であり、今さら激論したって不満を言ったってあとの祭りでありましょう。とりあえず、大都市の大学に集中した専攻医くん、専攻医ちゃんたちが今後「医局人事」で地方に配属されるよう、地方の病院は、十分な給料を用意して待っているしかないでしょうね。それとも、だぶつく女医を射止めるイケメン男性(医師に限る必要はない、医師と結婚する女医は返って不幸になる、という話は別の機会に)に活躍してもらうというのもいいかもしれません。

研修薬剤師・研修医師との巡り会い


研修医師Aくんは先週までで、今週から研修は、研修医師Bくんひとりです。研修薬剤師くんは、彼ら2人と一緒の時期で、ちょうどいいときに浜松で勉強できましたね。研修薬剤師くんが浜松で魅せた様々な技(調剤の技術、服薬指導の取り組みなど)は、今でも「すばらしかったね」と当院薬剤師や看護師たちの間で話題になります。それだけ、研修薬剤師くんは、良い経験を積み重ねてきているのですよ。国立がん研究センター東病院のレジデントとして学んだことは、それほどの大きいものがあるのですね。また、短い期間でしたけど浜松でもいろいろ勉強できたと思います。その経験もまた、研修薬剤師くんをさらにグレードアップできたのではないかと思います。研修医師Aくんと研修医師Bくんとともに先週の土曜日昼に、オンコロジーセンターの近くのイタリアンレストランで、パスタ、ピザ、ティラミス・・・ 私はビール、を楽しみました。彼らも「研修薬剤師さん、薬剤倉庫で働くのはもったいないですよね」と言っていました。確かにそうかも知れませんが、薬剤倉庫での払い出しとかも、きちんと、間違いなく、しかも効率的に行う、だれからも信頼される方法で、あるいは今までの方法をさらにグレードアップして、よいもの、効率のよい方法を確立して残す、ということも、薬剤倉庫での仕事としては大変貴重だと思います。しかし、ここで大きな問題があります。杏の里薬剤室のように「おつぼね支配の硬直化した組織」だと、かえって、そのような効率化、工夫、は、「余分なこと」、「私たちの方法を勝手に変えてもらってはこまる。元通りもどしなさい」ということになってしまうのです。ところが、浜松オンコロジーセンターでは「いいね、いいね、いいね」となり、すぐにその改善が取り入れられるのです。事実、研修薬剤師くんが浜松にいた数日間で、みせた「混注のわざ」は、当院でさっそく取り入れました。このように、「よいものは評価してすぐに取り入れる」ことが大切で、「今までやっていたから変えないでください」という発想は組織を硬直化させ、時代遅れ、セピア色の杏の里、としてしまいます。待合室に貼ってあるセピア色の昔の写真を見るに度に、そんなことを考えていました。
研修薬剤師くんが、「目から鱗が出た」と言っていたとおり、新しいことに常に敏感であり、よいものはどんどん取り入れる、という姿勢が大切なのです。ちなみに、目から鱗が出る、のではなく、目から鱗が落ちる、が正解です。その出展を調べてみて下さい。浜松という土地柄は、徳川家康が「レジデント」の時期をすごしたことから「出世の街」と呼ばれています。研修薬剤師B子さんも、いちど、浜松にお越し下さい。そして、研修薬剤師B子さんの、在宅医療とか、地域医療にかける情熱、夢、展望を聞かせて下さい。うなぎ、餃子、かつおのさしみ、しらす卵かけごはん、イタリアンなどごちそうしますよ、いいね、いいね、いいね・・・