制度矛盾の院外調剤


チーム医療を重視する方向はオンコロジーだけに限ったことではないでしょう。オンコロジーではとりわけ医師、薬剤師、看護師など、異なったプロフェンションの協調は不可欠であり、チームとしての協力が前提として診療が成り立っています。がん薬物療法を専門とする腫瘍内科学が日本でも2000年前後から急速に発展しており、がん治療において内服薬剤の占める比率も急速に増大している昨今、チーム医療を分断するような「院外調剤」は全く時代にそぐわないものと実感されます。今日の朝日新聞にも、福太郎だけでなく、HACドラックも、そして、芋づる式にその他の調剤薬局でも、薬剤調剤歴の記載漏れと不正請求が行われている、という記事が一面に掲載されていました。その実態はあまりにも広範囲に及んでいるため、厚生労働省も本腰を入れた捜査はあきらめている、とも書かれていました。監督官庁である厚生労働省が実態調査に匙をなげてしまった、ということは、薬剤調剤履歴の記載を怠っている調剤薬局が大多数ということなのでしょう。つまり、薬剤調剤履歴を記録すること自体無意味なことと認識されているということなのだと思います。ではなぜ、調剤薬局薬剤師は、薬剤調剤履歴記載をこうまで怠っているのかを探ってみると、そこに、院外調剤という制度自体の矛盾、無理があるのです。履歴を記録出来るだけの情報がない、履歴を記録する必要性がない、履歴を記録できるほど患者は継続して調剤を依頼しない、薬剤師に記録をするだけの能力がない・・・。調剤薬局の薬剤師一人が一日あたり扱う処方箋は40枚以下とされていますから、その程度の業務量なら、時間がないということはないと思います。そもそも、保険医(つまり、保険診療を行うことが許可されている医師)が守るべき法律として「保険医療機関及び保険医療養担当規則」(通称「りょうたんきそく」)があります。この第二条の五には(特定の保険薬局への誘導の禁止)が以下のように規定されています。当該保険医療機関において健康保険の診療に従事している保険医(以下「保険医」という。)の行う処方せんの交付に関し、患者に対して特定の保険薬局において調剤を受けるべき旨の指示等を行つてはならない。」つまり、患者には「どうぞお好きな薬局でお薬を買って下さいね。」と言わなくてはならないということです。患者に「◯◯2丁目の越後屋薬局は抗がん剤のことをよく勉強している薬剤師がいるからおすすめですよ」とか言ってはいけないのです。ということは、患者は自由に、今日はA薬局、次はB薬局、コーヒーがただだから来月はC薬局にしようと、かならずしも、決まった薬局に通い続けるわけではないのです。すると、調剤薬局側から見ると同じ患者が続けて来ないのだから「履歴記録」というものが意味を成さないことになります。なぜ、特定の保険薬局への誘導が禁止されているのかというと「患者に対して特定の保険薬局において調剤を受けるべき旨の指示等を行うことの対償として、保険薬局から金品その他の財産上の利益を収受するから」というのが理由です。「宮悪クリニック様、なにとぞ、私共に処方箋をお申し付け下さい。つまらないものですが、これでひとつwin-winということで・・」、「おっ? そうか、越後屋、お前も悪よのー」の性悪説に基づいて、へんなところで規制をしているので、形ばかりの「履歴をつけなさい指示」は、そもそも制度的に無理があるのです。わけあって厚労省は長年、院内調剤を廃止して院外調剤へ移行するように不自然な行政誘導を続けてきました。その結果が、今回のような履歴未記載問題が露呈したのです。というか、あまりに、調剤薬局が花盛りになってしまったので、これもけしからんと、どうにか、懲らしめる名目はないものかと、探した結果、よし、これで締め上げよう、ということになったようになったのではないでしょうか? 次回の診療報酬改訂で、調剤薬局の点数を大幅に削るための口実として行政とマスコミが協力して雰囲気作りをしているように思えてなりません。

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ついに ロックオン調剤薬局


がん治療では、点滴抗がん剤副作用(吐き気、感染症など)の予防・緩和のための飲み薬、飲み薬の形の抗がん剤、そして今後主流となる分子標的薬剤が、「院外処方」により、「調剤薬局」で処方される。この「院外薬局」については、降圧剤、高脂血症治療薬、胃薬、便秘薬、風邪薬などの、特に問題のない薬が主たる対象となってきたが、ここに、がん治療につかわれる前記の薬剤も加わるようになって、様々な混乱が生じている。吐き気どめ、浮腫予防などに使用するステロイド剤、通常よりも短期間に多い量が使用されるが、これに対して不勉強な調剤薬局薬剤師が「こんな量を使うなんてとんでもない!」と患者に言ったため混乱した話、内服抗がん剤ティーエスワンが男性患者に処方されたが、奥さんが調剤薬局に薬を買いに行って、本人と勘違いして、病名も確認せず、腎機能も確認せず、処方されたけど、トンチンカンな説明で混乱した話・・・。なので、がん治療においては、内服薬の院外調剤は不適切だと思っている。昨日、多地点看護カンファレンスで提示された症例でも、患者が正しく服薬できなかった原因の一端は、院外調剤薬局にあったと考えられるような事例であった。浜松地区でも、薬剤師が「薬ー薬連携」といって、病院薬剤師と調剤薬局薬剤師との連携で、がん治療薬を適切に処方使用という努力がさんざん行われたが、私は、この活動を横でみていて、「電子カルテを共有して、国民背番号(マイナンバー)導入されて、患者情報が共有されない限り、現行の『処方箋一枚からの謎解き処方』は限界がある」と思ってる。しかも、患者は、不便を強いられ、高い医療費を負担しなくてはならない。一昨年のことだったか、「調剤薬局花盛り」というコラムが朝日新聞に載っていた。「塾や、昔からの商店が閉じたあと、あちこちに調剤薬局がオープンし、しかも、長者番付の上位に名を連ねている」という内容で、まえまえから噂されていたように、そろそろ調剤薬局冬の時代か!と思っていた。今日の朝日新聞、「くすりの福太郎」が、薬のカルテを全く記載していなかった、けしからん!!ということで一面に載っている。「◯◯さんに、いつ、どんな状況で、どんな薬を調剤した」という記録を薬のカルテと呼び、その記載が義務付けられているのに福太郎ではそれをしていなかった、というもの。そうはいっても、どんな診断で、どんな臓器機能(腎臓が悪い? 肝臓は?)かもわからず、しかも家族が取りに来れば、肥満か、痩せかも把握できない状況では、記録なんて、形ばかりのもので、その必要性も感じないのだから、記載もれ、となっても不思議ではない。そもそも、薬剤師は6年間の高等教育をうけて、国家資格を得、それで、調剤薬局で、薬のピッキング程度のことしかしないのでは、なんのための教育か? と首をかしげる。そもそも調剤薬局ができたのは、診療所などで医師がいい加減に薬剤を出していた、副作用にも注意を払わず、仕入れ価格も不明確、この状況を当たらめねば、という表向きの理由で院外調剤という仕組みが30年ぐらいまえに導入された。しかし、今回のロックオン、この流れを変えることになるだろう。今こそ、「診療所に薬剤師を配置すべき」、診療所内での、医師、看護師、薬剤師のチーム医療で、多職種相チェック(監視)の体制を整えるのが正しい医療の方向であろう。

本末顛倒のような気がする


非正規雇用を減らし正規雇用を増やせ、と共産党などは言っていますが、そもそも非正規でしか雇用されない人はそれなりに訳があるのではないか。つまり、小学校、中学校、高校、大学と、きちんと勉強せず、世間のために役立とうという気概もなく、要するに自己研鑚を怠ったために正規に採用されるに足りる付加価値、能力が備わっていないのだから、それは、それに見合っただけのポジションしか得られないということではないだろうか。だから、若者たちに遊んでばかりいないで勉強しなさい、という教育の徹底を図るのが本来、まず取り組むことではないだろうか。

女性の登用、雇用促進、機会均等と厚生労働省は言っていますが、それは、それなりの能力が備わっているのならば、登用してもいいけれども、能力に劣る人を女性だからと言って、過剰に優遇したり、登用するのはどうかと思います。そのような感じで登用された女性で、立派にやっている人もいるかも知れませんが、どうもね、これはね、ということもある。仮に男性がそのポジションについていたとしても、能力がなければだめなんだろうけど、あまりにも女性を女性を、というのも、ちょっと引っかかります。だから、女性も男性もなく、能力面での公平評価をし、女性は女性としての良い面があり、男性は男性としての優れた面があるのだから、やたらに均等というのはどうかと思います。

3つの定年 パート2


第三の定年(この世との別れ)は通常は自分では決められません。神さまとか仏さまとか、お天道さまとか、それぞれに信じるところが決める、ということになっています。第一の定年、すなわち社会的定年は55才から65才の間にさだめられており、通常、所属する組織に規定で定められていますから、しっかりした組織では、これを自分で変えることはできません。ゆるい組織ではそうでもない場合もあります。第一の定年をそろそろ迎えようという人達が私の周りにはたくさんいます。というか、そういう年齢になった、ということです。その時期になると、これでもか、これでもか、と、権利と勢力を誇示しようと、「教授就任15周年(ほぼ定年)記念パーティー」の案内を1年以上前から配らされている医局長もいます。他の予定は絶対入れるな、出席しない奴は容赦しない、といわんばかりの上司の代行も哀れさを感じます。そのあたりは、ひっそりとやるのがよろしいのでは、と思いますが、権力を誇示し、第二の定年の職場へのきらびやかな移行を誇示したいのだろうと思います。また、もぞもぞと第一の定年後の準備を地味にしている同輩もいます。後継者がすでに着任してしまって押し出されるまでの時間つぶしをしていたり、混乱の中に定年を迎えざるを得ずいつの間にか近くの池にごそごそと歩いて移動するような地道な渡り鳥もいます。この時を迎えて、それぞれが今まで背負ってきた人生が投影される時であり、自らを冷静に吟味する時期でもあると思います。しかし、この時期に私生活も、公生活も乱雑なままになっているとずいぶん大変なように思います。しかし、複雑に絡み合ったしがらみのなかで、もがくのも、自らが作ってきた人生なのでしょう。第一の定年についての考察でした。

残念なコンセプト


「正しい教え方は、生徒に何を覚えるかを教えることではなく、生徒にどのように考えるかを教えることである」そうです。臨床試験の計画もそのように理解しなくてはなりません。CSPOR年会で提案された試験案、どうも胡散臭い。どのような「未解決な問題」「臨床的平衡状態の問題」を対象にどんなデザインの試験で解決するか、ということで、NSASシリーズ01から07まで、そのように計画され、実行され、結果を出してきました。ところが、「どこ企業から寄付をもらうためにどの薬を対象にするか」という、みみっちい、くだらない発想に堕してしまっていませんか。案の定、応援団長の発表が終わったら、ふやけた顔の青二才が、すぐに駆け寄ってきて、ありがとうございますと・・。ああ、なるほどね、フェソロデックスを対象としてどうか、ひとつよろしく、ってことなんだな、と、聞いてガッテン、ためしてガッテンです。まあ、台所事情を考えると、もらい乞食になっても仕方がないかもしれないけど、やっぱり、医学研究者たるもの、与えられしミッションを心得よ! 崇高な理念に燃えよ!と思います。いっかーん!!