2っK・KZKさんへ


先日の浜松オンコロジーフォーラムにご参加下さり、ありがとうございます。ONCOTYPE DXの交渉が暗礁に乗り上げているようですね。転覆目前でしょうか?我々も、ONCOTYPE DX,、PROSIGNA、MAMMAPRINT、 ENDOPREDICTといった、MULTI-PARAMETER MOLECULAR ASSAYSを診療の現場で1日でもはやく使用できるようになってほしいと思いますが、厚労省の担当者ののらりくらりとした、無責任な対応では、日本はますます、世界の孤児になりますね。MULTI-PARAMETER MOLECULAR ASSAYSが使えないのは、日本と北朝鮮だけ、ということにもなりかねません。どうにかしなくてはいけません。最善の道は、MULTI-PARAMETER MOLECULAR ASSAYSで、ある一定の要件を満たすのならば—-たとえば、乳癌学会の学術委員会が承認し、推薦し、厚労省の所轄部署で迅速に「先進医療として承認する」というような流れを作らなければいけないと思うのです。それで、民間の保険会社で出している「先進医療をカバーする保険」に加入している患者ならば、わずかな自己負担で検査ができる、という方向にすればいいのです。これらの検査は、大変高価であるので、「保険での償還」は、はじめからあきらめた方がいいと思います。公助、共助ではなく、自助を基本とするのがいいと思います。また、ONCOTYPE Dx, PROSIGNA・・・を一つ一つ対象として、個別に当局と折衝していたのでは、時間が掛かりすぎます。まとめて、MULTI-PARAMETER MOLECULAR ASSAYSの枠で、承認される流れを作らないといけません。いずれにしても、現状の免疫組織化学染色検査では、不確かな医療を国民に提供せざるをえない、これは、本来なら、規制当局が是正を求めるべき内容です。

そもそも、2011年のザンクトガレンカンファレンスで、突如脚光を浴びた感のあるKi67ですが、これは、以前より乳がん、脳腫瘍など、多岐にわたる疾患で、がんの増殖活性を表す指標として予後を定性的に推測する検査としては使用されてきました。しかし、単一のカットオフ値を用いて、病型をふたつに区分し、片方には、副作用の軽微なホルモン療法だけ、他方には、副作用の強い細胞毒性抗がん剤の使用が必要、と判断するというような、まさに裁判員裁判のような重責が、Ki67に突然、課せられたわけです。しかし、その後の科学的な検討で、乳がんにおけるKi67測定は、施設間での再現性、施設内での再現性ともにきわめて乏しく、臨床検査が満たすべき用件を満たさない、analytical validityが検証できないと言うことになりました(Polley M-YC, Leung SCY, McShane LM, et al. An International Ki67 Reproducibility Study. J Natl Cancer Inst 2013; 105(24): 1897-906.)。このため、もはや、信頼性の低いKi67を含め、エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2の4つのタンパクの免疫組織化学染色で、サブグループ分類、あるいは、治療法選択の根拠とすることは、「PRECISE MEDICINE」の考え方から全く逸脱するものであり、4指標の免疫染色では、乳がん患者に最善の治療を提供することができないという状況は明らかであります。世界は、すでにONCOTYPE DX, PROSIGNA, MAMMAPRINT, ENDOPREDICTといった、MULTI-PARAMETER MOLECULAR ASSAYの応用が、臨床研究のみならず、一般臨床においても前提となっているのですから、それを日本の行政が、前向きに承認しようとしない、ということは、日本国民に対する背信行為とも言えるでしょう。ここは、強い態度で臨むべきであると思います。これからもよろしくお願いします。

指導者の品格


旧約聖書の詩編に次のような聖句があります。「いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。神に逆らう者は裁きに堪えず、罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。」昨日、ノバルティス社が秋のしゃんしゃん大会への出演要請に来ましたが丁重にお断りしました。そのお先棒をかつぐことはまさに「罪ある者の道にとどまること」であると思ったからです。しゃんしゃん大会をするぐらいなら格式ある学会やその地方会を支援するとかやりようがあるでしょうが。謹慎が解けたからといって舌の根も乾かぬうちに売らんかな行動に転じなくてはならない現場社員諸君、宮仕え故の行動といささかの不憫を感じないわけでもありませんがこのような状況で何の配慮もなく引き受けてその道を歩むことは品格を問われかねないと思います。

本物の心得


土曜日に開催しました浜松オンコロジーフォーラムに70名近い方々にご参加いただきました。ドクトル カピバラ ホズミンも外科学会の帰りに途中下車の旅で寄って下さいましたし、森勝昭先生も浜松での診療支援の後の時間を利用してご参加下さいました。演者としてお招きした何森亜由美先生、戸崎光宏先生のお話は、いずれも、現状に風穴をあける「改革(Revolution)」指向のすばらしい内容でした。わたしも、St.Gallen2015について話ました。これで、St.Gallen2015で話すのはこれで5回目ですが、私の講演の売りは、「同じ内容で2度と話さないということ」、今回は、Ki67などの精度の低い検査は廃止して、Multi-parameter Molecular Marker Assaysにシフトしなくてはだめだ、というところにポイントを置きお話しました。奇しくも、何森先生も、戸崎先生も単なる「Evolution(改善、精度管理)」ではなく「Revolution(改革)」を目指したお話の内容で、わたしの話のポイントも、まさに「EvolutionからRevolutionへ」に置きましたので、今回の浜松オンコロジーフォーラムは、本物の心得がテーマとなり、背骨がピンと一本通った構成となったと思います。しかし、会も16回ともなると、利他の精神を忘れ、利己に走り、準備や当日の運営にも油断、マンネリ、集中力の欠落、甘え、自己中心主義からくるほころびが出てしまい、演者の方々、ご参加いただいた皆さんには大変ご迷惑をお掛けしてしまい、この場を借りて反省の意と改善の決意をお伝えしたいと思います。次回は、10月24日(土曜日)開催を予定しております。遠方からのご参加もお待ちしております。

人を育て人を惹き付ける


2005年5月の連休明けに浜松オンコロジーセンターを開設しました。今年で10周年を迎えます。組織は人なりといいますが、この10年間でいろいろな入れ替わりが有り、入れ替わりながらだんだんとよい人々が集まって来てくれて心身ともに充実したスタッフが揃ってきました。とてもありがたいことだと思います。私の愛読書「原因と結果の法則」(ジェームス・アレン著)では、想い、行動、習慣、人格の連鎖、そしてよい人格を持つ人のもとに人が集まり、集団ができ、よい想いに触発され、さらに連鎖が繋がって行くという伝承の重要性が語られています。よい思いを持ち続けて、それなりによい人の集まりができたと感謝しております。同じ目的を持った人の集まりを「社」といいます。まさに、組織は人なり、人はたからなりです。人の集まりを社団と言います。社団法人とは、つまり、同じこころざし、目的を持った人が集まって、一人の人間のように、まとまりを持って行動し、社会に貢献するものです。人の集まりを構築するには、求心力がなくてはできません。一般社団法人の動きを見ていますと、中心人物に人間的魅力が欠落していれば、求心力は発生しませんから、社団の体裁を保てず、崩壊への道をたどりつつ有るように思います。個人の想い→→→人の集まりという原因と結果の法則が成り立つのです。4月から職場が変わり新たな重責を担う人たち、ストレスもあるでしょうけど、人を育て人を惹き付けることが何よりの基本です。原因=よい想い 結果=社団(人の集まり)の構築 ですね。

屋上庭園は枯れていた


種をまく人のたとえをご存じでしょうか? 「あるひとが種まきにいきました。道端におちた種はとりが食べてしまい芽をだしません。岩の上にたまった汚れのようなところに土に落ちた種は、すぐに芽を出しましたが、土が少なく底が浅いので乾いてしまいすぐに枯れてしまいました。雑草の茂みにおちた種は、芽を出しても雑草に覆われているので光も当たらず、伸びることができません。よく耕された肥沃な畑に落ちた種は、深く根を張り、葉を広げ太陽の光をうけ、高く大きく育ち、30倍、60倍、100倍の種が実りました。」これは聖書に語られるイエスキリストが話したたとえ話です。あるとき、ある病院の屋上庭園に案内されました。コンクリートの上に洒落たレンガで囲いを作り10cmぐらいの厚さに土を盛り「都会のオアシス」と自慢の庭園ですが。。。夏の暑い昼下がり、植えられた草花は全てしおれて枯れていました。案内してくれた事務長は、部下を呼びつけ、ダメじゃないか、夏は水をもっとやらなければ!!と叱りました。しかーし、種をまく人のたとえの如し、底の浅い土では、植えつけた草花も育つことはできず、水をやらないのが悪いのではなく、そもそもそんなところになんの計画もなく、ハリボテのような庭園を作る発想が間違っているのです。底の浅いのは病院設立理念も同じこと、案の定(あんのじょう)その病院は倒産して人手に渡ってしまいました。朝日新聞の連載も4年5ヶ月続きましたが先月で終了、ネタも尽きましたのでちょうど良かったと思いますが、毎週毎週800字の原稿を約200回にわたって書きましたからそれなりに文章力は付きました。推敲、つまり時間をかけて文章を練る力は確実についたと感じます。しかし、新聞には書いてはいけないこともあるので、今まで鍛錬した文章力でひとりごとを続けていこうかなと。。。思います。気まぐれですけどね。