今日から秋葉原


毎週火曜日の腫瘍内科外来(外来化学療法、セカンドオピニオン)、今日から秋葉原に移りました。東京オンコロジーセンターの小さな出発です。
電気街口を出て左に行き道を渡って正面、「東京ライフクリニックアキバ診療所」という看板が掛かっています。お越しやす。

治験


治療薬や診断方法、診断機械などが、ほんとうに患者にとって役に立つかどうかを決めるには、患者に被験者として協力してもらい、臨床試験をきちっとやらないとわかりません。ときどき、マスコミに紹介されるがんの血管内治療、あれは、臨床試験をきちっとやっていないので、ほんとうに役に立つものか、わからないし、多分、だめだと思います。だめなのに、あたかもすばらしい治療方法であるかのように、宣伝されているものがあまりに多いのは、日本国民の「中学校、高等学校での科学教育」の不備が原因だと私は思っています。今日の新聞に、「コラーゲン、たくさんたべて、お肌プルプルは幻想」という記事が載っていました。前から、そんなもの、効くはずはない、と思っていましたが、お肌つるつる、という宣伝文句に多くの日本人女性はだまされていたのでした。しかし、そのとなりに、「元気の源、発酵コエンザイムQ10」とか「歩いたり、すわったりグルコサミン+コンドロイチン」というコマーシャルが堂々と出ています。いったい、何を考えいるんだ、朝日新聞、科学部は!! 斬り~!!(ふるーい)。新しい薬、新しい診断機械、診断試薬などが、本当に役に立つのか、どの程度、安全なのか、と言うことを、きちっと調べるためには、ネズミやウサギ、サルやキジを使った動物実験で、いくら、よいよい、と言ったって、話にならないのです。いつのことだか、思い出してごらん、シークワーサーが胃癌に効く、なんていうネズミ試験の新聞記事が那覇空港の売店のあちこちに貼られ、売り子のおばさんが、胃癌に効くよ、言っていた。あれ、どうなったの? ネズミ試験の結果は新聞では報道しない、ということにしたらどう? 
 
臨床試験のなかで、新しく開発された治療薬や診断機械での「性能を調べる」、そして、結果をもとに、厚生労働省に、製造あるいは、輸入承認を得るための、データ収集の試験を、とくに「治験」と呼びます。癌治療薬は、ほかの薬剤とちがっていて、安全性を調べる段階の第1相試験を、がん患者に被験者としての協力を求めて行います。たとえば睡眠薬、では、安全性を調べる段階の試験(第1相試験)、有効性を調べる段階の試験(第2相試験)でも、一般の健康人に協力してもらい、被験者となって性能評価をすることができますが、癌治療薬は、そういうわけには行かないのです。第1相試験では、史上始めて、あるいは地球上で始めて「ヒト」に、その薬が投与される、という場合もあります。いったい、どんな種類の副作用が出るものなのか?、どれぐらいの投与量で副作用がでるものなのか?? 体内に入った薬は、何時間ぐらいたったら、血液中からなくなるのか??? どれぐらいの投与量ならば、まずまず、安全に投与できるか???? 体内で分解され、排泄されるのは、肝臓から、腎臓から????など、様々な疑問について、検討するのです。それまで、動物で、ある程度、あたりをつけてはありますが、所詮、ネズミ、サル、などの動物での出来事ですので、ヒトとは違います。第1相試験では、せっかく、ヒトに投与するのだから、ついでに有効性も見ておこう、という程度であって、有効性を検討する段階は、次の第2相、ということになります。しかし、第1相試験で、ある程度安全、ということが証明されないと、第2相には進みません。
では、第1相試験に被験者となって協力する患者にとってのメリットはいったい何なのでしょうか? 他に有効と思われる治療方法がないというがん患者に被験者としての協力を依頼するのですが、第1相試験に協力しても、どんな副作用がでるかすらわかっていない、ましてや、がんが小さくなる、痛みなどの症状がとれる、寿命が延びるといった治療効果も、あるのかないのか、わかっていないわけです。第1相試験に参加した被験者では、20人に一人程度は、がんが小さくなるというメリットがあるから、それに望みをかけて、試験に参加してもらうよう、説明する、という意見も聞いたことがあります。次世代のがん患者への贈り物として、自らはボランティアとなって、新しい薬剤の開発に協力してほしいと、そういう話もありますが、果たして、自らががんで苦しんでいる患者にとって、このような発想が自然にわいてくるでしょうか。第1相試験を、第三者的に見ていると、こういうような理屈しか見えてきません。しかし、実際は、かなり違うのです。
昨日、癌治療薬の第1相試験の症例検討会があり、私も「企業側の医学専門家」として参加しました。症例検討会とは、治験に参加し、規定の治療を受けた被験者で、いつ、どのような副作用がでたのか、とか、レントゲン写真やCTで、なにか、異常がみられたか、とか、わずかな検査値異常、軽い症状でも、それを主治医はどう考えているのか、薬剤との因果関係はあると思うのか、ないと考えているのか、効果は少しでもあったのか、治験が終わったあとの患者はどうなっているのか、など、一被験者あたり、30分ぐらいかけて、討議するもので、極めて真剣、真摯で、薬剤の評価ということだけにとどまらず、被験者の病状について、まさに徹底的に討論するものです。この治験は2病院の共同参加で行われているのですが、当然、それぞれの病院では、毎週、場合によっては毎日のように、治験に参加した被験者の経過について、徹底的に討論しているわけですが、治験の症例検討会では、さらに、つっこんだ討論が展開されます。症例検討会では、主治医は、被験者の臨床経過の細部、たとえば、熱が出たときの状況や、そのとき院内のカンファレンスでは、どのような討論がなされたか、など、実によく覚えています。いや~、実に関心しました。治験に参加することにより、多くの専門家が、力を合わせて、これほどまでに細部に亘ってよく気配り、目配りしてもらえる、というのは、被験者となる大きな、いや、最大のメリットではないかと思います。治験に参加して、症例検討会を経験していくうちに、担当医師のプレゼンテーション技術も磨かれますし、治験をきちんとこなすためには「臨床力」も鍛錬されます。また、なによりも、患者に治験参加を依頼し、参加後の被験者に経過を逐一説明するための説明力が身に付きます。この説明力は、治験に参加した被験者に対してだけではなく、それ以外の患者に対しても自然と活用されるので、総合的な癌診療力が大幅に向上するものです。臨床試験や治験のことを全くわかっていない中途半端な患者団体などは、モルモットにされる、標準的治療があるのにわけのわからない新薬を検討する意味はない、薬剤は100%安全でなければだめだ、など、とんちんかんな議論を展開し、臨床試験を妨害することもありました。(トラウマです)。治験の症例検討会での臨床研究者の真剣な態度を見れば、きっと、○デア○○○も目から鱗がおちるでしょう。

ASCOは楽し


ASCOが終わった。木曜日から木曜日までの出張なので休診の傷手は少なからずあるが、それ以上にASCOは楽しい。1988年からずっと来ているのでもう20年にもなるのかぁ。楽しい理由はいろいろあるけど、会場で旧知の仲の知人にたくさん会うことができることも理由のひとつ。Daniel Hayesは、かならず、Toruはいるか、と、今回も私のポスター発表を調べ、会場に来てくれた。「前から聞いてた試験だが、やっと結果がでたか、エクセレント! これなら症例数も多いし結論もしっかりしているから、JCOにいけるんじゃないか。こんどはいつ会えるか?」と、うれしいことをいっぱい言ってくれる。来年、再来年と日本に講演や学会に来てくれるようにたのんだら快諾。あと、St.Gallenでおなじみ、おそるべしDr.Goldhirschも、例のtable4のことをお礼をいったら、こちらこそありがとう、と。また、日本人でも、国立がんセンターの同窓会みたいにいろいろな先生と会うことができた。埼玉の佐々木先生やがんセンターの大江先生とも、お互いの近況を語り合い楽しい時間を過ごした。西條先生には会えなかったが、いろいろお忙しく、また、いろいろとこれから大変みたいな話も聞いた。最終日の火曜日、各種疾患(肺癌、大腸癌、乳癌、リンパ腫)のバイオマーカーのセッションを聞いた。これがシグナルトランスダクションパスウエイの話やら、バイオマーカーのアッセイの話やら、何がなんだか、ちんぷんかんぷんで、理解不能!! 困ったね。昔は、自分でも関わっていたようなことだけど、20年の歳月はずっしりと、私の気持ちを暗くした。ちんぷんかんぷんとんちんかん。一列前に座っていた筑波大学の坂東先生は、スライドをデジカメでしゃかしゃか写しつつ、すらすらとメモをとっており感心した。帰りがけに思わず「先生は、本当によく勉強されますね。」と声をかけると、「いえぇ、まだまだですぅ。」と、はにかみながらにこにことおっしゃっていた。そういえば、だいぶ前に私がASCOで質問をしたら、東海大学の田島先生が、「渡辺君、よく勉強してるねぇ。英語もうまいねぇ、Toru Watanabe from Tokyoなんて、え~、かっこいいじゃない。」とお褒め下さったことを思い出した。♪そんなぁ時代もおあぁったけどぉ~♪、ASCOは勉強するところなので、わからないことがたくさんあった方が刺激になっていい。ちんぷんかんぷんをバネによく勉強して、来年もまたシカゴに来ようと思う。来年はNSASBC02を発表できるだろうか。ASCOは楽し。

5月31日毎日新聞記事コピペ


国の「がん対策推進基本計画」案が、30日開かれたがん対策推進協議会でまとまった。地域により医療の質や情報に格差があり、よりよい医療を求めてさまよう「がん難民」をも生んだ現状の解消を目指す「一歩」となる。ただ、実現には多くの課題が残る。がん医療の実情と各地の取り組みから、計画実現へ向けた問題点を探った。【須田桃子、永山悦子】

 ◇人員不足が深刻--地域格差解消狙う

 「これが実現したら素晴らしい、というものができたと思う」

 30日の協議会では、複数の委員から計画案を評価する意見が出た。委員は患者代表や有識者、医師ら18人。時には深夜にも及ぶ計5回の会合で、立場の違いを超えた熱い議論を交わしてきた。しかし、がん対策基本法成立に尽力した国会議員からは「かえって地域格差が広がるのでは」と危惧(きぐ)する声も上がる。計画の実施には、都道府県が地域の実情に合わせ、がん対策推進計画を作る。しかし、医師をはじめ医療スタッフの不足が深刻化する中、スタッフをそろえることさえ難しい自治体が出ることが予想され「医療格差」解消は容易でない。協議会では「計画を内容のあるものにするには予算措置が必要だ」との声も出た。

 「情報格差」の解消にはどうか。計画には、3年以内に「2次医療圏」と呼ばれる全国の358地域すべてに、患者らの疑問や不安に答える相談支援センターを整備することも盛り込んだ。だが、実情は厳しい。

 各地のがん拠点病院には昨年2月から、先行して相談支援センターの設置を進めている。しかし、がん患者への情報提供に取り組む「キャンサーネットジャパン」の川上祥子・広報担当理事は「各地の相談員が同じ知識を持っているわけではなく、情報をかみくだいて説明できる人が不足している」と指摘する。

 「基本計画が絵に描いた餅になりかねない」と不安視する委員もいる。患者代表ら委員5人は、第3回会合で独自の対案を提出。誰がいつまでに何をするかを明示した行程表を示し、基本計画に取り込むよう求めたが、実現しなかった。厚生労働省は「進ちょく状況を協議会に報告する」と説明するが、実施状況の評価がどこまで行われるかは不透明だ。

 ◇遅れ目立つ治療体制

計画は重点課題の一つに、化学療法(抗がん剤治療)と放射線療法の充実を掲げた。日本のがん医療は手術が中心で、他の治療法は欧米に比べて遅れが目立つからだ。

 国立がんセンターで約20年間、抗がん剤治療にあたった渡辺亨医師は05年、浜松市に全国初の抗がん剤治療専門クリニック「浜松オンコロジーセンター」を開設した。患者が各地から毎週上京、長時間待って治療を受ける状況に疑問を感じたためで「気軽に立ち寄れるがん診療所があってもいい」との思いからだ。

 日本では、抗がん剤治療が専門の腫瘍(しゅよう)内科医による治療は、大病院でしか受けられない。日本臨床腫瘍学会は05年度、抗がん剤に関する十分な知識を持つ「がん薬物療法専門医」の認定を始めたが、今春でようやく126人。米国には同様の専門医が1万人近くいる。

 渡辺医師は「腫瘍内科医は増えてきたが、育成には時間と地道な努力が必要。基本計画ができたことは評価するが、青写真でしかない。私のセンターが、腫瘍内科を目指す若手医師のモデルの一つになれば」と話す。

 放射線治療の体制整備も遅れている。米国で放射線治療を受けるがん患者は66%に達するが、日本は25%。日本放射線腫瘍学会の認定を受けた医師は500人で、米国の10分の1だ。正確な治療を担保する理工学の専門家が極端に少なく、過剰照射などのトラブルも起きている。

 中川恵一・東京大放射線科准教授は「放射線治療のメリットが、患者にも医師にも理解されていない。放射線治療が最善なのに、医師から勧められないまま手術を受けている患者は多いとみられる。切らずに治す選択肢を知ってもらうことから始めなければならない」と話す。

 ◇「個人情報保護」患者登録の壁に

 科学的根拠のあるがん対策を進める基礎データとなるのが、患者一人一人の病名や生存期間、治療法などを記録する「がん登録」。計画でも重点課題の一つとされた。

 しかし、都道府県内の全患者を登録する「地域がん登録」、医療機関内で実施する「院内がん登録」とも一部の自治体や病院にとどまり、全国の発症率は推計値でしか出せないのが実情。データの取り方もバラバラだ。

 また、登録作業をするため、米国には約4000人のがん登録士がいるが、日本には該当する資格すらなく、国立がんセンターの研修を受けた人が約800人いるにすぎない。

 厚労省は04年に「がん登録は個人情報保護法の適用外で、患者の同意は不要」との通知を出したが、個人情報の取り扱いに対する国民の不安は大きく、全患者の協力を得るための妙策も見えない。計画では「院内がん登録を実施している医療機関を増加させる」との抽象的な目標しか掲げられなかった。

 国立がんセンターがん情報・統計部の祖父江友孝部長は「情報の提出が法律で医療機関側に義務付けられていないことが最大の問題。すべての医療機関から確実にデータを集め、正確な統計を出すには、法制化が必要だ」と訴える。

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 ◆がん対策推進基本計画の骨子◆

 ■全体目標

▽10年以内に死亡率の20%減少

▽患者・家族の苦痛軽減と療養生活の質の向上

 ■重点課題と主な目標

▽放射線療法や化学療法の推進=5年以内に全拠点病院で実施体制を整備

▽治療の初期段階からの緩和ケアの実施=10年以内に、がん治療に携わる全医師が緩和ケア の基本知識を習得

▽がん登録の推進=5年以内に全拠点病院の担当者が研修を受講

 ■その他の主な施策と個別目標

▽在宅医療を選択できる患者数の増加

▽3年以内に全2次医療圏で相談支援センターを整備

▽5年以内に乳がんや大腸がんなどの検診受診率を50%以上にアップ

毎日新聞 2007年5月31日 東京朝刊

腫瘍内科 -この10年-


国立がんセンター中央病院で乳がんの内科的治療に取り組み、少し軌道に乗り始めた頃のこと、「もっとこの領域で熱中する若い医師を増やさなくては」と考えた。しかし学会で、ある先生に「先生は何で外科の領域の乳がん治療に、物好きにも取り組んで見えるのでしょうか。乳がんのことは我々に任せ、先生には他にやることがあるのではないでしょうか?」と、助言とも、皮肉ともとれるようなコメントを頂いたことがあり、内科で乳がん?乳がんは外科の病気でしょ?というレスポンスが世間では一般的であった。

レジデントとして応募してきた若者の中に、「腫瘍内科で乳がんをやりたい」という男がいたので一生懸命に指導した。しかし、ある日突然、肺がんをやりたいと言い出した。よく聞くと「内科で乳がんやっていてもどこの病院にも就職できない。その点、肺がんなら、多くの病院でやっているから、就職口もたくさんある。」つまり、安定した将来を求めたいということだった。「乳がんの薬物療法は間口が広く、奥が深くて面白いし、腫瘍内科医の腕の見せ所が沢山ある。これからは、絶対乳がんのわかる内科医が必要とされる時代がくる。今は、でこぼこのあぜ道だが、一緒にこの道を進もうではないか。」と説得したが、「僕は、舗装された高速道路をかっこよく走っていきたいです」と、肺がんの道を進んでいった。実は、はじめから肺がんをやりたかったが、レジデントの定員がうまっていたので乳がん希望として採用された、ということがあとでわかった。その後の彼の消息は把握していない。

あの頃は、我が国の「腫瘍内科」は黎明期にあったように思う。国立がんセンター中央病院レジデントマニュアルを作ろうと、1995年の春、当時の総長、阿部薫先生に後押ししてもらい、売れるかどうかもわからぬ企画を医学書院に持ち込んだ。現役のレジデント諸君が執筆した拙い原稿を、勝俣範之、小野裕之、山本信之の「みつゆきくん」とよばれた3名のチーフレジデントといっしょに私の医長室で、毎晩毎晩、夜中まで書き直し、手を加えた。そのマニュアルも今年、第4版が出版され、発行部数も飛躍的に伸び、腫瘍内科に対する世の中のニーズも急速に高まってきている。みつゆきくんたちも、今や、それぞれの領域での第一人者に成長した。当時、世間では、化学療法は、入院して行うというのが一般的であった。国立がんセンター病院では、1985年に通院治療センターが開設され、CMF、低容量ACなどのレジメンは外来で行われてはいたが、本格的な化学療法は、まだまだおっかなびっくりという状況であった。1999年に術後化学療法を実施した患者のカルテを見ると、入院患者では、ACの投与量はアドリアマイシン60mg/m2、シクロフォスファミド600mg/m2という標準量が使用されていたが、外来では、AC(40/4006サイクルとか、(50/500)5サイクル、そして、その後、徐々に(60/600)が使用されるようになっていった。2000年から開始したNSASBC-02試験のレジメンも、1999年頃の計画段階では、AC(50/5005サイクルという提案もした。しかし、「どうせ試験をやるのなら、国際的にも標準とされているAC(60/600)でやるほうがよいでしょう」と助言してくださったのは、群馬県立がんセンターの木村盛彦先生であった。今では、外来化学療法も「熱が出なければ採血する必要なし、知らぬがほっとけ、です」と、ちょっと無謀ではないか、渡辺君、と慎重な先生からは、おしかりを受けるようなことを全国を回って助言している私であるが、振り返って10年の間には、試行錯誤の日々もあったということをあらためて思い出す。忘れえぬ時代である。

「緩和的化学療法(palliative chemotherapy)」という概念を実感できたのもこの頃であった。1999年1月、34才の女性が、私の外来を救急車で受診した。ストレッチャーに乗り、酸素を吸入している。紹介状によると、乳癌で、骨、肺、胸膜(胸水)、リンパ節、肝臓に転移があり、様々な治療をやってきたが、万策尽き、余命1か月と説明したところ、国立がんセンターに行きたい、という本人の希望、とのことであった。状態は悪い。ご本人は外来で次のような希望をはっきりとおっしゃった。「317日に長男の幼稚園の卒園式がある。今、かかっている病院では、それまでもたないと言われた。もし、なんか治療があって、卒園式に出られるのなら、私は国立がんセンターで治療を受けたい。」と。「胸水を抜いて、酸素を吸入すればどうにかなるかも知れない、抗がん剤治療は可能だが、やってみないと効果がでるかどうかは、わからない」と説明し、とにかくやってみましょう、ということで入院となった。入院の翌日、たまたま来日していたメモリアルスローンケタリングがんセンターDr.Andy Sidemanが国立がんセンターを訪れることになっていたので、病棟回診をしてもらい、レジデントの清水千佳子先生にこの症例を提示をしてもらった。Dr.Seidemanは丁寧に患者を診察すると「状態は悪いが、症状緩和が目標であり、使えるのならパクリタキセルの週1回点滴はどうだろうか」と提案してくれた。我々は、数ヶ月前に抄読会で読んだJCOに掲載された彼の論文「Dose-dense therapy with weekly 1-hour paclitaxel infusions in the treatment of metastatic breast cancer」を覚えていた。早速、翌日から治療を開始した。一時期、病状は極限まで悪化し「DNRDo Not Resuscitate) Order」が出されたが、2週目頃から、みるみる状態が改善、呼吸困難が軽快し、酸素なしでも歩行できるようになった。4週間にはCEAが著明に低下した。医師たちは喜んだ。39日退院、外来でパクリタキセルを続けた。患者は希望通り317日卒園式に参列することができた。さらに、4月5日の入学式にも夫婦そろって参列できた。4月の半ば過ぎごろから、リンパ管性肺転移が再度増悪、肝転移も進行し黄疸が出現した。本人のご希望に沿って地元の病院への入院を依頼した。連休明けの5月7日、今朝、ご家族に見守られ、静かに息を引き取ったという連絡をご主人から頂いた。お礼も言ってくれた。奥さんは、病床の枕元においた、満開の桜の下、親子3人でとった入学式の写真をいつもうれしそうに眺めていたそうだ。忘れえぬ症例である。

がん対策基本計画ができた、と言うことで、毎日新聞記者の永山悦子さんが先日取材にきた。記事は531日の朝刊に掲載された。なかなか、よくまとまっていて、ポイントを突いた記事であったと思う。取材でお話したことで、記事にならなかったことが二つある。一つは、上記のように1997年の時点ですでに、腫瘍内科の育成に取り組んでおり、腫瘍内科医の育成は確実に進んでいること。人を育てるということは、桃栗三年柿八年よりも、もっと時間がかかる。即席ではろくな人間は育たない。もう一つ、患者団体にあまり迎合する必要はないのではないか、ということだ。がん対策基本計画の議事録を読むと、患者団体が、各自の主張を繰り広げ、それにいちいち座長が対応している。マスコミなどでも、がん患者であることを告白することが流行っているが、我々は、常に診療の現場でがん患者の生の声を聞いている。治療でも、診断でも、できることはできる、できないことはできない、しょうがないことはしょうがない、済んだことは済んだこと、といった現実的な切り分けを如何に患者に説明し、具体的な対応を考えていくか、ということは、日々の診療での重要な課題としてすべての腫瘍内科医は既に取り組んでいるのである。なにも、患者団体に指摘されるまでもないことである。

今、私はASCO参加のためシカゴにいる。今回はNSASBC01試験の結果を発表する。データをまとめてみて、2-3年の時点での打ち切り症例があまりに多いのにあらためて驚いた。これは患者団体「イ○ア○ォー」による理不尽な妨害工作によるものだ。試験に参加した患者が中止を申し出たり、試験に参加していた病院が参加を取り消したりと、さんざんな目に遭わされた。この経験が私にとって大きなトラウマとなっていることは事実、だから、なおさら、自己中心的な患者団体のいい加減な主張には、今後も厳しく対応しなくてはならないと思っている。