景気回復ASCOにも


世界的な景気回復で、ASCOも冬眠から目覚めたように活気があります。参加者がとにかく多い。会場中心部の人々の往来は凄まじい。ASCOも「お金を湯水のように使っている感じ。たとえば、昨年までは、virtual meeting を買っておくと学会終了後1週間ぐらいで、oral presentation がインターネットで見ることができましたが、ことしは、発表が終わって数分で、今、見た、発表が会場で、iPadとかで見ることができるぐらい、その作業に関わる人数も膨大だろうし、相当、資金が投入されています。資金源はというと、えへん、私も毎年100ドルづつ、続けて10年ドネーションをしていますよ、もちろん、製薬企業からは膨大な資金が流れ込んでいるでしょう。それは接待費とか無駄な広告費を最近は倹約しているのだから、このような学術活動を支援するのは、また、支援できるのは当然出ありましょう。

さて、びっくりする程の結果は今のところ、何もありませんが、ポスターディスカッションでの話題をいくつか。

燃費の悪い研究:#513 2000-2003年の間に手術した閉経後乳がん、ER陽性、腋窩リンパ節転移1個〜2個〜3個でホルモン療法実施した1500症例、PAM50でRisk of Recurrenceを調べたところ、リンパ節転移1個〜2個のうちでは、低リスク、中間リスクと判定された症例では、結果的に再発していない症例が結構いるので、結果的に見ても抗がん剤はやっぱり必要なかった、という演題です。これは、予後因子と予測因子がごっちゃになっているし、ベースラインリスクと、リスクリダクションについても考えが及んでいない。後ろ向き研究なので、あとでケモなどの「インターベンション」を加えることは当然できなし、たまたま、データが利用できて、病理検体も使用できた症例の予後を見ているだけなので、PAM50は予後評価には役立つが、では、ケモをやったらもっとよかった、っていうことはないわけ、などの疑問には答えはでません。しかし、ばらつきのすくない、どこの施設でも利用できる多因子分子マーカーの導入は日本でも急務であります。

日本の外科医に意見を聞きたい研究:#1012 抄録を読んでちょっと、へーと思ったので、浜松の外科に先生にどう思う?と聞いてみました。
TW→KK「この演題、おもしろいと思います。外科的な観点から、どうでしょうか?」

KK→TW「渡辺先生、シカゴは暑いようですね。抄録ありがとうございます。米国の standard partial mastectomy(SPM)は腫瘍だけをくりぬくようなものなので、切除後にcavityの周囲を一周そぎ取る(CSM)を行うと断端陽性も再手術も減るということでしょうか。日本のように腫瘍から2cmもマージンを取って手術をする必要もないけど、ある程度のマージンも必要というように読み取ります。腫瘍径の中央値が1cmなので、かなり小さい腫瘍を対象にしているのかとも思いますが、CSMしても 断端陽性率、再手術率も当院と比較すると高すぎ。と思います。小さい腫瘍は切除量が少なくなるので、少しのずれが、断端陽性 につながるからでしょうか。腫瘍切除範囲の設定をどのようにしているのか興味があるところです。局所再発にどのくらい影響を与えるのかというところも考え、どこまで切除マージンを減らせるかというのは、外科手術の課題として必要なのだと思います。ありがとうございました。KK」

TW→KK「素早いお返事、ありがとうございます。シカゴは昨日から急に気温がさがり激しい雨がスコールのように降っています。♪つーめーたいー雨にうたれてー まちをさまよおったのよ〜♪ さて、まず、マージンについてですが、先生はSt.Gallenでさんざん検討された「Touch on ink」の話は知っていますね? 2cmのマージンという話は全くありません。touch on inkを基本として考えるとshavingの意義があるのでしょう。しかし、最初からGKBのように2cmもマージンをとっていては、このような取り組みの意義は見出せません。また、この論文では、患者の満足度も、治療群をマスクして上で調べている点が評価できると思います。この演題は、ポスターディスカッションで今日、取り上げられましたが、そのレビューの際に、NEJMに載っているとの話がでましたので、その論文を添付します。大事なことは、(1)このマージンの問題について、地域の外科医の間で共通の認識をもつこと、(2)日本ではそんなの関係ない、最初からマージンはしっかりとっているからね、といった「大和出羽之守」はしないこと、(3)患者満足度を評価しなければ医師の自己満足に終わること、(4)自分たちが取り組んでいる医療行為について、このような形で客観的に(=科学的に)(=臨床試験を通じて)評価する、などです。論文、添付しますので、よく読んで、○○先生、□□先生らと、共通の認識に至るように十分に討議してみて下さい。NEJM20150530

びっくりすることはないと言いましたが、上記のPAM50を用いた研究もそうですし、遺伝性がんの話では、次世代シークエンサーを用いて複数の遺伝子をいっぺんに調べる方法(遺伝子パネル)が主流になっているとのことで、これも、日本では、全く信じられない姿です。ミリアッドの特許がどうのこうの、その代理店が同じように日本では特許を盾に独占検査していてどうのこうの、などと言う話は、すっ飛ばして、ミリアッドの頭脳、知恵を使えるところは使えるけど、独占ゆえの優位は許しませんぞ、ということですね。独占の原因は行政の不作為にあります。行政が科学の進歩、医療の普及、国民の幸せを妨げている国は、日本と北朝鮮だけでしょうか!! キューバはずっと進んでいると言うし。

今年もASCO


水曜日の新幹線で東京へ 東京駅の近く宿泊し 木曜日7時30分の成田エキスプレスで成田第一ターミナルへ。訳あってJALには乗れないので毎年のANAです。今年は今までと違って東京駅も成田空港も人・人・人。。。Wi-Fiルーターレンタルカウンターも長い列。出国手続きは、去年までは閑古鳥が飛んでいて待つことなく通過でしたけど、今年はここも長い列です。景気がいいってことで、いいことだと思う。今年はこちらも景気良くぱーっと、ぱーっと・・、といってもここから先は去年と同じかな。

選挙談合


医療レベルのブラッシュアップは関心の外、オリジナリティーの高い良い講演で聴衆を魅了するよりもお土産、懇親、根回しを主目的とした講演活動が目につき鼻につきます。また、学会選挙の季節がやってきて、談合鳥、根回し鳥、票集め鳥があちこちで巣作りをはじめて始めています。能力も胆力も人間的魅力もない、さんぴんから面と向かって「私も立候補しますので宜しく」と言われたら、「もちろん先生に入れますよ」と答えるのですが、それもわびしさを添える風物詩。すべて組織票で動く世界、ここは、有権者が、個人の判断でこれぞという候補に一票を投じればいいと思うのですが、そうはいっていません。。司令塔からの指示で投票行動が決まるという情けないソサイエティー、悪しき習慣が続いているのです。そもそも、そのソサイエティーが形作られたのは、司令塔が一派の投票用紙を集めて当落線を予想、33票と予想したら34-35票となるよう、手分けして同門一派候補者の名前を記載する、という明らかにモラル、マナー的に間違った方法による代議員選挙です。代議員選挙の改革も進まず、いにしえの風習を踏襲した学会選挙、これではよい代表者が選出されるはずはなく世界に勝負して患者のための医療レベルを上げることなど、遠い遠い山の夢物語であります。これは、ルール違反ではありませんが、明らかにモラル、マナー違反でありましょう。ですから、マスコミもあまり関心を示しません。選挙談合こそが実は学会活動モチベーションの原動力であり、同時に改革のターゲットであるということを知らないのです。

驚愕のインフォームドコンセント


夕方、医療センターの1階ロビーでのできごと
医師「命を失うことになるかもしれません」
家族「それはどういうことですか?」
患者は車いすで意識もうろうの様子、
えー!! なにぃ〜!! 廊下の立ち話で話すようなことではないだろう!!!!、と思いました。そう言うとT先生が「あの先生ね、循環器ね、いつもああいう言い方するのよ」ということで、これがルーチンなのか、見て見ぬふりなのか、近くにいた数名のナースも特に反応なし。驚愕したのは僕だけなの??

看護の日に少しだけ思う


5月12日はナイチンゲールの誕生日を覚え、看護の日と言うことになっている。浜松医療センターにも看護の日を記念して廊下に展示があったが何を主張したいのかわからない。自分たちはこんなに一生懸命やっているのよ、認めてね、わかってね、という自己主張だろうか?。また、静岡市では人手不足訴え白衣姿の看護師が市内をデモ行進した、ということだが、これもばかげている。そもそも、ナイチンゲール誓詞という、看護師として心の底に保ち続けなければならぬ誓いが、浜松医療センターの展示にも含まれていない。いったいどういうことか?? むかし、むかし、その昔、国立がんセンターに猛烈な看護婦長がいて、必要以上に看護婦の独立・自立・主体性を強調していた。その猛烈看護婦長の薫陶をうけたミニチュア版の猛烈中沢看護婦が「これはおかしい。『心より医師を助け』は間違っている(文末のナイチンゲール誓詞(8)行目参照)看護婦は看護婦、医師の手足ではない!!」と言っていたのを思い出す。しかし、それは間違った考え方だ。看護師は医師を助け、医師は看護師を助ける。これが、チーム医療の基本となる相互に他職種を尊重する心だ。その根底には、他者を思いやる愛があり、その愛の基本には、キリストの教えの中核をなす「隣人を愛せよ」があるのだ。「厳かに神に誓わん」は、これもキリスト教の「神を畏れ」を意味している。それなのに、待遇改善・楽して高収入の労働要求、ライフを中心としたワーク・ライフバランスの主張、「ワーク・ライフ・スタディバランスの欠落」など、看護の日のお粗末な活動には、看護師の実践教育の貧しさが根底にあるように感じたので、ここにささやかな独り言を記す。

これを知らなきゃ看護師の資格なし! ナイチンゲール誓詞
(1)われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん、(2)わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。(3)われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、(4)悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。(5)われはわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし。(6)わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、(7)わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。(8)われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。

うわっつらのこと


というタイトルの「ご教訓」を紹介しよう。

私はラムゼー司祭長のこの話が大好きである。彼はバラを愛していた。彼が客に、「庭に出てみませんか。私のバラを見て頂きたいのです。」というとき、それはすばらしい好意の印であった。ところが、ある日、大変美しい婦人が彼を訪れた。「庭に出てみませんか。」と彼は言った。「私のバラたちに是非あなたを見せたいのです!」これは、女性に対して捧げられた最大の賛辞である。
それにしても、なぜ、多くの女性たちは皮一重(かわひとえ)の美を求めて美容院に殺到するのだろうか。人生を美しくする魂の美にたいしてはどうしてかくも無関心なのだろうか。皮一重の美を手に入れることは、お金さえあれば、難しいことではない。しかし、そのような美は、美容院にいけばビンづめや箱づめで買うことができる。これに反して魂の美しさ、すなわちすべての生を美しくする生のの内面的なすばらしい魅力は、そう簡単に手にいれることはできない。それを手に入れるためには、克己、自己否定、努力、奮闘、祈りという代価を払わなければならない。箱づめのものを買う方がはるかに容易である。皮一重の美は人に満足を与えない。第一に、そのような美は仮面によって現実の姿を隠しているにすぎない・・。

昨年だったか、テレビのニュースで国立がんセンターで、「アピアランス支援センター」というのをつくり、がん治療中の患者の「アピアランス」を支援する業務を国家機関として開始したというのを見た。なんで、我々の貴重な税金を使って、皮一重の見かけのとり繕いを支援しなくてはいけないのか??? と思った。私も腫瘍内科医として数多くの女性が抗がん剤治療を受ける現場をよく知っている。患者が家庭でどのような姿でいるのかも家族を見て知っている。脱毛、皮膚の荒れ、皮膚の色素沈着など、トラブルは多いので、QOLが損なわれるのもわかっている。しかし、化粧ができない状態で外来を訪れる患者が「こんな顔になっちゃって・・」と涙する場面で、上のご教訓を思い出す。「ぼくはあなたの内面を見ているので全然気にならないですよ。治療をしっかり受けながら仕事もして育児もしているあなたの姿はとても美しいですよ。そういう美しさはご主人もわかっているはずですよ、ねえ」と、隣に座っているご主人に問いかけると「そうです、そのとおりだよ!!」と、患者さんとふたりで、満面の笑みを浮かべていた。その笑顔は、さらに美しく、まさに魂の輝きであった。アピアランス支援センターのような活動は、皮一重といえども大切ではあると思う。しかし、そのような支援活動は、ボルネクストとかピアとか、民間の、よっぽどセンスのいい企業(美容院、支援グッズ販売、副作用皮膚のお手入れ指導など)が、既に存在し活動し普及し、患者:医療機関:企業間で、win:win:winの関係が成り立っているではないか。だから、その活動は、そちらにまかせておけばいい。医療者は医療者として、皮一重を支援するのではなく、患者の心を支援し、サイエンスを実践するのが本来業務である。国家機関が皮一重に手を出し口をだすのは、民業圧迫でさえあり、言語道断だ。

そもそも、最近の国立がんセンターの活動を見ていると、日本国のがん医療の方向性を提言できていないのではないか。アピアランス支援だったり、がん登録手続き論の細かな話だったり、へんに上から目線でやらなくてもいいようなことをやっている。そんな上っ面なことではなく、がん地域医療、がん介護、がん診療、がん医療、がん研究、がん教育、がんビジネス、など、がんにかんして国の政策として強く提言するのが、腐っても「国立」を冠する機関の使命である。まさか「くにたち」ではないだろうし。私が所属していた時代の国立がんセンターは熱かった。Krebs-Abendという集まりがあり、そこには総長、研究所長とかの年寄りや、我々のような平職員、レジデントも参加して、国立がんセンターはどうあるべきか、を、ワインを飲みながら深夜まで語り尽くす会があった。「2228(にーにーにーはち)」と呼ばれた吉田部屋もそう。そこで語られたことが、やがて、がん医療の国策になっていったのを知っている。ところが、今はどうだ。うわっつらのこと、小役人が考えたがん医療ごっこの実践、登録だの、規則整備、研究費使途の全面公開だのといった、二次的な枝葉的な話題ばかりが、がんセンターニュースの堀田理事長の挨拶に並んでいる。昔はよかった。侍がいた。今の理事長は単なる御用聞き、という批判もある。うわっつらのことにとらわれず、本質に突き進まなければ、日本のがん医療はさらなら周回遅れを重ねるだろう。