できる!! 街角がん診療 〔4〕


現在では、日本全国、どこの病院でも行われている外来抗がん剤治療であるが、当時は、がんの化学療法は入院して行うもの、病院によっては「無菌室」に患者を閉じ込めて抗がん剤点滴をしているところもあったのだ。学会で、外来抗がん剤治療の導入について発表したところ、会場にいた年配医師から「それは東京だから、国立がんセンターだからできること。田舎の一般病院では、無理な話だ。」と批判を受けたこともあった。東京ならばできる、田舎ではできない、というのもなんとも覇気のない話であるが、ここに、街角がん診療を展開するヒントがあったのである。(以下次号)

できる!! 街角がん診療 〔3〕


1999年、国立がんセンター中央病院では、現在の病棟完成を機に外来治療へ全面的に移行し、私が責任者を務めていた乳腺・腫瘍内科では、乳がん治療では転移性乳がん患者を対象としてパクリタキセル週1回点滴を開始した。この治療は、脱毛や手足のしびれは強いものの、吐き気はほとんどなく、奏効率の高い優れた治療として注目されていた。しかし、毎週点滴をしなくてはならないという不便さがあり、近在(東京都中央区、江東区、港区あたり)の住民にとっては好ましい治療だが、遠方に住む患者は簡単には利用出来ない。九州から毎週日曜日に飛行機で上京し、翌日、診察、点滴を受け、夕方にホテルに戻り、翌日帰省するという二泊三日ツアーを1年近くにわたり繰り返した患者もいた。遠来の患者の口からは感謝の言葉と同時に、地元にも外来治療ができる病院があればいいんだけどね、どうにかなりませんか、という話もよく聞かされた。(以下次号)

できる!! 街角がん診療(2)


外来抗がん剤治療の発展

国立がんセンター中央病院に勤務した間、外来抗がん剤治療を提供する通院治療センターでの業務や、電子カルテ導入に伴う外来外来抗がん剤治療システムの導入に携わった。1980年代の始め頃は、抗がん剤治療は長期入院して実施していた。たとえば、卵巣がん治療のCAP(シクロフォスファミド+アドリアマイシン+シスプラチン)を3週間毎に合計6回の治療では、点滴はセデーションをかけて行い、患者は4ヶ月間ずっと入院という状態であった。1985年頃から、乳がんのCMFなどを対象に外来抗がん剤治療が開始されたが、アドリマイシンやシスプラチンを含むレジメンは強烈な嘔吐のため数日間の入院が必要であった。1990年代に入ると、カイトリルなどの効果的な制吐剤が発売され、抗がん剤治療は、外来治療へと急速に移行していった。(以下次号)

できる!! 街角がん診療 


郷里の浜松で腫瘍内科診療所「浜松オンコロジーセンター」を開設したのが2005年の5月、診療理念を表1のように定めた1。仕事や子育てをしながら外来に通って抗がん剤治療をうける患者、がん治療に関するセカンドオピニオンを求めて遠方からやってくる患者、自宅でがんの末期を過される患者を対象としたがん診療や、がん検診、がん予防相談と、近隣の方々の一般内科診療を行ない10年の歳月が流れた。診療の中核は、やはり、私の専門とする腫瘍内科領域であるがんの内科的治療、すなわち薬物療法である(以下次号)

それでも朝は来る


ある商業誌から依頼されて半生を振り返ってみました。ここではそれを12回に分けて連載することにしました。その中には触れていいませんが、半生といえば還暦、赤いちゃんちゃんこは着せられませんでしたが、後輩たちからガーミンのForAthlete225Jをプレゼントされました。ガーミンですからGPSの老舗、加えて心拍数もはかれ、しかもスマホとの同期もばっちり、二か月間、ほぼ毎日、5−10kmぐらい、毎朝走っています。青森でも秋葉原でも京都でももちろん浜松でも。高山忠利先生も「仕事の流儀」で走っているところが写っていました。私は還暦を迎えてからの活動期間を25年と考えていますから体力、知力、胆力が大事、おそらく同年代の活動家たちは同じように考えているのでしょう。そして心に構える名言「それでも朝は来る」,どんなに厳しくつらい夜であっても何事もなかったように朝は来ます。朝がくれば太陽が昇り闇を消し去り輻射熱を与えてくれます。「それでも朝は来る」ーー ひどい人にひどい思いをさせられても何事もなかったように朝をむかえる。一日のルーチン活動を終えた時、反省と納得と成長の夜を迎えます。

司会者の役割


今年の癌治療学会は本庶佑先生や山中伸弥先生の講演があり第一会場は満員で講演内容もすばらしかったです。癌治療学会の性格上、平行セッションが多くなり、また、セッション間の時間も限られており、あれもこれも聞きたいという場合に、予めの参加計画(advanvance attend planning)が不可欠ですし、また、司会者が後のセッションとの関連、つまり、その会場で次のセッションは計画されているか、他の会場でのセッションまでの移動時間は確保できるか、などを考慮しなくてはなりません。しかし、司会者の最も大切な役割は、講演者に持ち時間を守らせ、会場からの質疑応答を盛り上げることです。また、参加者は質問があれば、予めマイクの前に立ち、質問の意志を司会者に伝えること(advance standing at microphone)が大事です。ASCOなど海外の学会では、これらのマナーが適切に実践されていて、司会者も質問者も気持ちよく質疑応答することができます。後のセッションがなければ、時間的に余裕があれば、質問時間を切り詰めたりしません。質問者の質問を大声でさえぎるような馬鹿な司会者はいません。質疑が盛り上がれば、多少時間が超過しても、質疑を優先させます。演者の講演・発表が終わってから、司会者が、愚にもつかないまとめをだらだらと述べて、時間を浪費することはありません。そもそも、海外の学会では、質問する人が沢山いることを前提に学会が運営されています。ところが、日本では、質問する人がいないセッションが普通で、司会者が時間をもてあますことが多いのです。それは、日本の文化なのかもしれません。とくに、製薬企業の人たちは「自分たちは質問してはいけない人種である」と教え込まれているようなので決して質問しません。なので、薬物療法のセッションなどでは、フロアの半分以上を占める製薬会社社員はくろこであり、会場は「半分空席」と同様なのです。また、看護師も質問しません。看護師は、自己表現の習慣が乏しいようです。自分の考えを理路整然と述べる、要領よく短くしゃべる、ことが出来ないひとが多いことに加えて、学会で質問しよう、という意志を持たずに学会に参加する人が大部分、学会で黙って座っていよう、というひとがほとんです。司会者はこのような、silent majorityを如何に鼓舞して、如何に演出して、会場からの質問を引き出すか、ということも、与えられたミッションであると思います。よくあるのは、二人の司会者がいて、機械的に、セッションを前半と後半にわけ、ここからは、私が司会を変わります、といって、もう一人は役割ごめんで、後半、壇上で静かにしている、とか、司会者が一人でしゃべりまくって、会場からの質問者にさえぎられてはじめて話をやめる、とか、沈黙のうちに、パネリストひとりひとりに、同じ質問を順番に機械的に繰り返していく、とか、質問者がマイクの前に長い時間立っていることに気づかずに、不手際な司会を続け、時間になりましたので、このセッションを終わりにしたい、と言ったり。学会は質問者が主役である、という原則にたち、もっと、上手な司会をしなくてはいけません。また、あまりに高齢者に司会をさせると古風な流儀で、無駄な所に時間を費やし、死んだようなセッションとなります。もっと、ダイナミックな質疑応答が出来るような文化に衣替えしてほしいものです。